認識欠落(6)
泣き声が聞こえる。病院の分娩室。立会い場所には見覚えのある顔が……
「……父さん、母さん?」
妊婦は深山の母、ユメ。立ちあっている男性は父、一太に違いなかった。だが、その様は酷く若い。よく見ると秋谷老人らしき医者の姿も見えた。
思わず深山が駆け寄って何事かと問いただそうとすると、すり抜ける。
「幻、いやここは。過去――?」
ここは過去の記憶、そのヴィジョンの中だと言うのか。深山は軽い混乱に陥った。
「馬鹿な、俺は主に表層の意識を読むだけでこんな、記憶を仮想現実みたいにまで感じ取る力は――MDS……か?」
耳をなぞると、そこには確固たる機器としてMDSが装着してある。暴走状態の読心が、意識して読んだ「それ」がもたらした状態だったのだろうか。研究所の人たちはこれをあくまでただの脳波測定やMRIの延長線上と言っていたが、深山のような異能を持つ存在が使ってしまうことで非現実的な作用をもたらしてしまったようだ。
そうこうしている内に出産が佳境となっていた。
頑張れ、と父が母に対してエールを送っている。それはごく普通の親のようにも見えて、親の末路を知っている深山弘二の目線ではどこか虚しい物を覚えさせる光景でもあった。
(この頃はまだ――まともだった、のかな)
「生まれるぞ!」
喜びの篭った父の深い顔を見て、彼は自身の生誕する瞬間を見た。
赤ん坊の泣き声が耳に来る。しかし――出てきたその声は、二重に響く輪唱だった。
双子である。
しかし、それは一つの命でもあった。
看護師は察していたようでプロらしく驚きはしなかったが、通常より強まった緊張の顔が見える。秋谷医師も同じだった。
むしろ父母が、狂喜に満ちた顔をしていた。
父の吊り上がった口は、初めて見た我が子に対する感動や緊張とはまた違って見えた。母は、出産と言う苦難を乗り越えた後とは思えぬ、疲れすら一切見えぬ爛々とした不気味な眼差しをしている。
あたかも栄光に満ちた……人知を超えた何かを授かった、と言いたげだった。
生まれ出でたそれは二つの首が一つの胴体から生えていた。
手足が、ひと塊の何かから四つ生えていた。
それは――
「俺と……シンは……」
結合双生児、であった。
「ふ、ふふ。はは――」
赤子の自分たちを見てから父母が出し続ける、狂ったような笑い声を跳ね飛ばすように――深山弘二は叫ぶ。
「驚いたよ。驚いたが――だからなんだっ。こっちは超能力者だぞ、今さら生まれがシャムの双生児だろうがそれでどうこう思うほどガキじゃない」
親が自分を特別視していたのはこういうことだったのか。謎の納得にも似た感情が広がる。
変わった生まれ方をした……欠損・奇形とされる赤子は、時に差別の対象であり、昔は殺されることすら珍しくはなかった。しかし同時に、吉凶で言えば吉をもたらす存在――インド辺りの国では、神仏の化身として。めでたい存在と珍重されることもあった。
現代の視点に置いてはそれはただの体質であり、独立した個性として尊重するのが正解なのかもしれない。だが、そうやって異なる外見の赤子を社会に受け入れる知恵が時と場合によって存在するのも、事実である。深山の父母は――事前にシャムの双生児であることを診察から知り、己が子を否定してはならぬと考え……反動で、過度の神格化に走ったのだろう。
「そうだよ、俺も分離処置をされていただけだろうが、こんなのただの体質で――体質、で」
思わず深山は自分の手足や腹を探る。何一つ、妙な部位が見当たらない――見当たらなさ過ぎる。
四十年近く前の状態で、あそこまで深く結合した双生児を分離して……なんの跡も残らないということがあるのだろうか? 少なくとも欠損部位も臓器も見られない。度々の人間ドッグか何かでいくらか奇妙な結果が出てもおかしくないはずだ。今までのそれも見受けられなかった。かつて結合双生児であった人間にしては、深山弘二は平均的な人間として、健康体すぎた。おそらくは、虎井シンも。
(俺とシンは、一体どういう分離処置を……? いや、それよりこんな症例が残っているとしたら秋谷先生の記憶に残ってないはずが……それに二人だってどうしてシンを手放して何も言わず……)
深山が困惑しながら考えを巡らせている、その時。
するり、と。分娩室に誰か――今まで居なかった誰かが、立っていた。
不意を突かれ出現した存在にひっ、と深山が軽い悲鳴を上げるが「それ」は意に介さずこちらを認識せず――その場の他の面々と同じくあくまで過去の映像として、事を起こし始める。
そこには影があった。
深山が動画に紛れた何かとして見た――影法師が、いた。
影法師とはシンではなかったのか。
では、これは……これは一体何者だ?
「お前は誰だ!」
と深山が叫ぶも……過去の幻像にそのような言葉は通じなかった。
塗り固められた影に、その場の誰もがあっけに取られ、やがて恐怖し固まる。深山のように「お前は誰だ」という言葉すら出ず。縮こまりながら固まっていた。
ただ、赤子二人だけが元気に啼いている。
「――このままでは力が強すぎる。お前たちでは、この子らが齎す物を受け止めきれない」
外見に似つかわしくないしっかりとした口調で、影が明確に……しかし性別や年齢のわからぬ奇妙な声色で喋るそれは、断定だった。反論を許さぬ断言であり、最初からなんの受け答えも求めていない通告だった。
「故に」
そう言って、双生児の首元へ影法師は指をおろす。ずぶ、ずぶ、ずぶと――指は埋まり。なぞり分断するように指を引くと――赤子らは、分かたれた。
二人の泣き声は、変わらぬままに。そこには元気なごく普通の……性別こそ違えど、どこにでも居るような双子が居た。
すると、どこか安心したように。影法師は優しく二人の赤子を撫でた。
「この子は只人だ。ニンゲンとして育てよ」
そう言うと、その場の大人たちは影に飲み込まれた。看護師も、秋谷医師も、子供を産んだ深山の母も、付き添いの父も……全て。
そして記憶が飲み込まれる。影が全てを塗りつぶす。
暫くして――そこには男の赤子だけが居た。何事も無かったかのように父と母が、喜びの顔を見せる。やや狂的な喜びはひそめていたが、名残のような物は見受けられた。
その後読心能力を見せた弘二に対し、父と母は病的なまでの偶像として彼を持ち上げることとなるが。その理由、その一端をどこか彼は見た気がした。
生前の彼らはあれでまだ、何かしらその衝動が弱められていたのだ。あるいは、無理やりその理由、根源を忘れ去られ、自分たちでも深山弘二という人間をあそこまで特別視する理由がわからないまま中途半端なところでどんどん歪んでいったのかもしれない。
分娩室の片隅にはまだ、影法師が居た。影法師は誰にも認識されることなく、女の子の方の赤ん坊を抱え、去っていく。やがてその影が解け――ある、顔が見えた。
その顔。
その、姿は。
「まさか――!」
深山は、幻影の中で絶叫をあげた。誰も聞く者もおらず、本当に自身が声をあげているのかすらわからぬ状況で、目の前から像と音が消えてもなお、それでも叫び続けた。
ん……くん……
「弘二くん」
心配そうな呼び掛けに、深山の目が覚めていく。意識と視界が戻るとそこは元の、秋谷医師の自室だった。
「大丈夫かね? なんだか少しボーっとしていたが……」
「ああ、いえ。大丈夫、です」
「しかし顔色が悪いぞ。何か精神的に――」
大丈夫です、と。深山は会話を打ち切る。
「あの、すいません。急用を思い出してしまって。今すぐ会わなくては――」
それは言い訳ではなく事実ではあった。櫻田辺りと会わなくてはならないと、逃げるように秋谷家を去った彼は、近隣のパーキングに走る途中、携帯をかけ続けたが、櫻田に対し繋がらない。電源が切れているか、圏外だとの音声通知が来るのみである。
「……まさか――」
パーキングの中に入って自動車に乗り、悪い予感に追い立てられるように、深山はキーをひねり――アクセルを踏んだ。
道中警察にスピード違反で見つかって捕まらないのは奇跡的と言えただろう。人々の認識の網を抜けるように彼は車を走らせて行く。あたかも
(……櫻田だ。探偵事務所に少しでも速く行かなくては――!)
探偵事務所の前に行くにつれ、徐々に、人だかりのようなものが増える。
深山はドリフト気味で人だかりの前に駐車した。
「いや、これどうやって入ったんだよ」
「路地裏っちゃそう言えなくも無い場所だけど、これ狭すぎない?」
「遊んでたのかねえ」
恐ろしげに皆勝手な言葉を重ねてはジロジロと一点を眺める野次馬を蹴散らし、深山は探偵事務所に行き着いて、見た。
――櫻田探偵事務所と、隣のコンビニエンスストアの間には空間がある。隙間のような、空間。そこに櫻田は居た。
いや――あった、と形容すべきだろう。
彼はもう。その狭い地面に詰め込まれるように、混ざり死んでいるのだから。
「さ、櫻田……さーちゃん! さーちゃん!!」
深山が叫んで、狭いアスファルトに囲まれた空間へ助けを求めるように――或いは、花のように生える太い手を握る。腕の付け根は当の昔に溶け混ざっていた。腕の傍の地面からは、飾り物の仮面が落ちているようにも見える、顔が見えた。捻じ曲げて無理に狭いスペースへ押し込めたかのように、不自然な配置だった。櫻田裕は死んでいる。もう、死んでいるのだ。
しかし……一瞬だけ、埋め込まれた櫻田の唇が動いた気がした。
「お前に……最後、の」
と。その、瞬間。
「さ……!」
流れ込む。櫻田が見た物が、流れていく。最後の心が、情報が、託されていく。
(これは――!)
それは、一時的にMDで拡大した深山の認識と読心能力が最後の櫻田の力と反応して残っていた情報を読み取ったのか……それとも、純粋な櫻田の意志が遺した物なのか。わからない。もはや誰にもわからないことだ。だが、全てのピースは揃った。揃ってしまった。
「そう、か。俺が……」
俺のせいだったんだ。
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