認識欠落(5)

 深山は実家に再度戻ると、来ていた猫に軽く餌をやってから、親が使っていた車を躊躇せず使った。持ち主が死んだのがごく最近なせいか車の調子に全く問題はない。山を越え、東京――府中まで来る。もう実家からはかなり遠く、むしろ今住んでいるマンションや局に近い。

 赤い屋根の真新しい感じがする一軒家。自身の実家とは違い、活気や明るさを感じさせるその家に、インターホンを鳴らす。

(これが終わったら、実家じゃなくて直接今の家に戻るか)

「はーい」

「すいません、そちらに秋谷春雄という方はご在宅でしょうか」

「ええ、私ですが。何か」

「……俺は、深山弘二と言うものです」

「……? あーあー。あの。ええ良いですとも、お上がりなさい」

 驚くほどアッサリと深山の名を聞いただけで、ドアが開いた。

 中から人の良さそうな禿頭の老人が穏やかに招き寄せる。

 おずおずと深山は言われるがままにお邪魔します――と、靴を脱ぎスリッパに履き替える。

 中はそこまで新しいというほどの家ではなかった。戸の向こうではテレビの音がしており、誰か家族らしき人が他に居るようだ。廊下の隅にはワイパーとティッシュペーパーが置いてある。階段下にカレンダーや、置物が控えめな自己主張をしていた。

 ひょこっ、と。小さな子供がこちらを訝しげに覗いてきた。

「これ、客人だぞ」

 と秋谷医師は僅かに注意をした。

 家族の生活感がある、家だった。一人暮らしの自宅や、ある種異様な有様である彼の実家や、何を考えて住んでいたのか印象がひたすら薄い虎井の部屋とは違う、まともな家庭の家屋に久しぶりに入った気がした。

 二階の自室らしき書斎に、秋谷は招く。途中でおじいちゃん誰その人ーという子供の声がする。

「お爺ちゃんがな、お医者さんの頃に知り合った人だ。お母さんが帰ってくるまで静かにしているんだよ」

「はぁい」

 間延びしたやり取りを見て、どこか居心地の悪いものを感じた。なんと言うか、一家団欒に対する闖入者のような――そんな、無礼を犯している感覚に深山は一瞬陥った。

 しかしそのような罪悪感に似た感覚も当の秋谷老人は知るでもなく、世間話でもするかのようにフランクに接してくる。

「――さて。いやあ、懐かしい」

「覚えてらっしゃる……んです、か?」

「ああ。ま、患者や取り上げた子はそうそう忘れんのもあるが。君はなんだ。君が大きくなってから出た番組を見たからな。苦労――しているようだね」

(成程、山梨の何かしら関係ある面々にとっては、この顔と名前だけでそこそこ名は売れているわけか)

 深山は幼少時、先んじて地方局にはかなり出ていた過去がある。もっとも、深山の両親にとっては牧歌的すぎる扱いが我慢ならぬということで、すぐに全国ネットに売り込みをし――件の笑い者となるわけだが。

「ええ、今ではテレビを作る側で……」

「おお、そうかいそうかい。先日ニュースでね、見たんだよ。山梨でご両親が亡くなったそうで。私にはそれで、かね。赤子の頃の――なんだ、そういう思い出か何かでも聞きたいと――?」

「い、いえ」

 そう、思われていたのか。深山は得心した。父母の死に動転し、その足跡でも追おうとして当時の担当医師を尋ねた――そう言う形の絵図が秋谷の中で描かれていたというわけだ。

「あの、虎井シンという名前をご存知ですか?」

「……? いや、知らないな。私に聞くということは患者の名前かな? 私は患者の名はそうそう忘れないんだが……」

 無論深山はその質問と同時に秋谷の心を全力で読んでいる。が、質問に対し本当に知らない、とだけしか返ってこない。

 しかし――何か、不自然な物を深山は感じた。ほんの僅かな違和感。知らない、と思考し答えを出す速度がやけに質問に対してスムーズすぎる。

 人間は誰しも聞き取る前からある程度会話の内容を予測したり、アタリをつけている。知らないことをいきなり聞かれたりした場合は、高確率で情報の吟味による僅かに遅れや聞き間違いのようなボンヤリした部分が出るものだ。その淀みが医師には一切無かった。無数の心を読んできた深山だからこそわかる、違和感。

 それを理解した瞬間、深山は何か理屈で動くのをやめた。理屈ではなく直感的に……ポケットの中のMDSを、付けた。

 吸い込まれるように耳につけられたそれは――深山のなにか五感では説明しきれぬ知覚と処理能力を、こじ開けた。

 何を――と医師が聞く暇もなく、深山の意識は……飛んだ。

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