Singh,Another side of emerald(2)
他方、樹海のさる洞穴にて。
青木ヶ原の民が、数十名潜むように――集まっていた。
皆、バラバラの衣服を着ている。作業着。何かしらの民族衣装のようなもの。襤褸を纏っているだけのような存在。明らかに衣類でもない布を縛り巻きつけているだけのような者たちまで。それは路上生活者の集まりのようでもあり、少数民族の集まりのようでもあり、何かしらレジスタンスの会合のようにも見える光景だった。
「長よ、首尾は?」
暗がりと入り組んだ場所でもなお皆慣れきったように振る舞う。その内の一名に問いかけられ、長と呼ばれた老爺が周囲へと返す。その背後には、一抱えほどの石に、神仏のような何かが彫られたレリーフがあった。それがこの連中――青木ヶ原の民の象徴であろう事は、例えこの場に部外者が居ても一目瞭然であろう。
「ここら一帯の磁場は狂わせた。GPSを使おうにも、機器その物が使えなければ意味は無い――おのれら、持ったな」
「はっ」
各々が奇怪な――通信装置らしき何かを持ち、動き出す。
「届けさせよ」
「承知」
長の声色と共に、傍に居た一人の民が暫し集中を始め――彼の手によって「声」が接続される。
聞け。
聞け。
「――――!」
「聞け、外より至りし若人よ」
洞穴よりやや遠く、木々の中を彷徨うシンに、何者かの静かな声が届く。シンは瞬時に周囲を見回したが、その視界には気配も読むべき心も見えない。拡声器――否、なんらかの通信能力によりシンの周囲を狙って響いている物だとすぐに察する。それは、青木ヶ原の長たる者の呼びかけだった。
「我々は百人にも満たぬただの棄民だ。今の政府に移り変わるよりも遥か前、人にあらざると咎められ、いくつか前に……捨てられたモノの末裔よ。今やそれをどうこうしようとも思わぬ。」
恐らくは被差別階級として、ある種の恥として、追いやられた何者か。今や理由も明瞭としない何者か。
いや――それだけではない。樹海で何代も過ごしている、という事実が。青木ヶ原の民に、常人ならざる力の存在を証明していた。
結局のところ。集落も作らずロクに人としての痕跡も残さず、野生動物に半歩踏み込んだように樹海の奥で暮らして何世代も持つわけがない。何らかのギミック。後ろ盾。あるいは力。安定した生活供給源――そう言った物が無くては、人は生きていけない。
「このまま帰るなら追わぬが」
「嘘だな」
長の勧告を聞くや否や、シンは否定する。即断の拒絶であった。
実際、ここでシンをおめおめ外へ行かせてしまえば、外部で吹聴する可能性がある以上、何が均衡を崩し追われるかわからない。いや、何よりシンが来た時点で、既に青木ヶ原の民にとっては特大のアラートが鳴り続けているに等しい。つまりは逃がす理由が一つたりとて――無い。
仮に帰ってこなければ捜索隊が、という話がついているにしてもまずシンを捕縛し、尋問なり何なりをしなければならない必然性が青木ヶ原の民側にあるのは自明の理だった。
「力持て隠れ――集まり、それでやることが……自殺者や迷った観光客の追いはぎか」
呆れたとばかりに苛立ち混じりの言葉を投げかけるシンへ、老いた声は更に不愉快さのこもった返答をする。
「何が悪い。態々死にに来る者らから奪うことの――何が悪い?」
「……」
「大体ここは本来自らの命を絶つのに向いた場ですらない。それがいつの間にやらそう言う物だと、外の連中は思い込んだ。我らは、それを許容した上で環境の一部として適応したに過ぎぬ」
勝手な認識で荒らしておいて被害者ぶるな余所者が――とでも言いたげな苦々しさを練りこんだ声色を聞いて、シンの挙動は、むしろ冷静さを取り戻していった。
「そうか……まあ、そうなんだろうな。間違っちゃいない……だが。お前たちの存在を知った以上、見過ごす気も無い。自ら死に行く馬鹿や、森を甘く見て迷う奴らだろうとな、死ねば悲しむ者も居る。かぎつける者も、恨む者も――そうやって、私なんぞにお前たちを叩きだしてくれと、頼む者も」
一概に悪と断ずる気は無いが、敵であることにも変わり無いのだと。その宣言に対し、長は互いの空気が冷えて行くのを感じた。洞穴の冷えた空気が、体感で更に冷え切ったものへと化していく。
「――成程。そして追いたてるのだな。構わぬ。骸となればここでは、全てただのありふれたモノに過ぎぬ。そう扱われるようにしたのは、お前たち外の者らなのだから」
会話が打ち切られた――と同時に、何か来ると考えたシンは耳を塞いでその場を跳躍した。直後、ハウリングするような耳障りな怪音がその場に掻き鳴らされ、地面が抉れる。
(足を止めてはいかんな)
そして着地と同時に駆ける。多少は調整に時間がかかるようだが、最初にあちらから通信をさせられた、ということはシンの位置が特定されているに等しい。どちらにせよシンにとって、この場はどこに居ようと敵のホームグラウンドである。
ならば留まる方が不利と踏む。
コケと根にまみれた地面は滑りやすく、走るのに向かない場所だが、お構いなしにシンは重心を器用に移動させ走る。
(――多少、硬いような反響があった。私の周囲の木々に響いた音だけでなく、あちらでの状況がいくらか影響しているのなら……あの感じ、恐らく洞窟かどこかに居るはずだ)
いくらかの遠方に目を凝らすと――青木ヶ原の民らしき者が、見えた。
後ろに回って蹴りをねじ込むと、即座に退避して他の奴らが来るかを周囲を駆けながら見つけようとする。
が、空から。あるいは地面の内より……何物かが飛び上がり、落ちてくる。ある者は木の上に隠れ――ある者は地面に潜り、一人を囮として待ち構えていた。
しかし、シンは――既にその動きを読んでいた。
右足前の地面より飛びかかる一人を踏みつけ、力を入れその反動で上空へと跳躍。空中の二人の内一人を殴りつけ、もう一人の足首を掴み……地面のもう一人に叩きつける。
五人の敵は、総崩れとなった。
虎井シンは……それはこの場に居ない深山弘二もだが、この二人は視覚情報に付属する形として心を読む。心の動きやイメージが、読む対象の周囲に二重写しのように浮かび上がるのだ。それはつまり――身をギリギリで隠すような隠形ならば……その心の切れ端程度なら、容易に見えてしまうということだ。身を隠しただけでは、虎井シンの目を騙すことはできない。その周囲に蠢く心すら隠さなくては……見つけられる。
倒した五人が気絶するまでの瞬間的な間を読んで、数人の心を読む。
シンの獣のような無意識じみた思考が位置と構成人数を割り出し、現在座標からの到達点を想定する。
「あちらか――!」
熟考は不要とばかりに、洞穴を目指してシンは走った。
時間を経ずして数々の民が襲いかかってくるが――それは、逆に敵本拠地、即ち首魁の位置に対して刻一刻と向かっているということ。方向が間違っていないという事実確認でしかない。
時に電気や槍のような何かを纏った、非現実的な力がぶつけられてくる。どこからか調達した廃材なども用いられているようだ。
シンは打ち倒すと言うより、道中の邪魔を払いのけることを重視する感じで、攻撃の回避も必要最低限で、ロクに避けもせず蹴散らす。とにかくある一点を目指して足を止めない。
肩に研いだ枝のような棘が刺さり、紫電は痺れを生む。木々の間を縫って来る鞭のような物がシンの我が身に衝撃を与えてくる。しかしそれを食らった直後にはその使い手はシンの拳に叩きのめされ、地を這っていた。
その足は加速し続ける――
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