第二章

Singh,Another side of emerald(1)

 青木ヶ原樹海――木々が生い茂り、道もなく、人など居ないはずのエリアに……人が居た。

 スーツを着た女と、迷彩服のような物を纏った男。

「何がしたい?」

 迷彩服の怪しい男は女に問いかける。恨みや憤りでここに来たのかと――訝しげに。

 ……己が境遇に恨みなど、無い。そんな物で戦ったことなど、一度たりとて無い。

 樹海の中で、スーツの女ことシン――虎井シンは、そう感じながら。返答もロクにせず拳を握り、闘い続けていた。

 彼女は樹海にある集団を探索しに来ていた。あたかも人の探索を拒絶する孤立した地のようなイメージこそあれど、現代では実際に「富士の樹海」とされる一連の地域その物は観光地として道も整備されている以上、前人未到ではありえない。そもそも近場に村なども存在する、ごく普通の人の手がそこそこに入った部類の自然環境だ。しかし、同時に――死者が、珍しくもない物とされ処理されていくのも事実である。

 死体はある。例え、怪死が起こっていたとしても、そこが「樹海」ならば――それはあって当然のものとして扱われる。木ではなく。土でもなく。自殺の名所として一度根付いてしまったイメージが――あらゆる不自然を、覆い隠してしまう。

 そして――その中で人知れず集まり、樹海で人を食い物にする者たちが……ごく普通にある村の存在ともまた違う、誰も知らない何かが。森その物に潜む誰かが――シンが来た、この樹海に居た。

 青木ヶ原の民。

 それを見つけるために――そして、それらを一掃するためにシンはここに来ている。さる、依頼の下に。

 そうして第一に見つけ出した迷彩服の男は、傷ついていた。相対する女の打撃によってだ。付き合ってられるかとばかりに、迷彩服の男――青木ヶ原の民であろう男は、枝や土を纏いながら逃げだした。手慣れたように姿をどこかへくらます。

 だが、シンもシンとてそれに対して何ら驚きを見せない。彼女は揺らめくように辺りを見渡した。

視線をバラけさせ、より広範囲を認識し、少しでも心のヴィジョンが見えた部分へ即座に向かう。

 シンは読心を一種の予兆やレーダーとして感じる事に長けていた。

 必要とあらば読み取る情報を深く具体化せず――曖昧なまま、ただ相手の動きや反応を読むためだけの印としか見ない。視聴覚の一部のようなものとして処理している。

 木に隠れた迷彩状態の相手でも、視界をたどり見つけることが可能。

 木々にぴったりとくっついて息を殺し姿を消したまま、幻惑して去ろうとする男――青木ヶ原の民が一人、その首根っこを掴み近場にあった木の幹へと叩きつける。苦悶のうめき声が男からするが、特に動じもせずシンは指を締め――頸動脈を塞がれた事による気絶を確認すると、放す。

 シンは身を隠しながら――息を整え、休息を取る。

(……大体はあと、数年で更年期か)

 木の根にまみれた土を踏みしめ、力をある程度抜いてよっかかるように背を預けると――そんな、自身の肉体に言及する場違いな単語が、シンの頭にふぅっと浮かんだ。

 老いとまでは言わないが、時間に対する疲れのような物は明確に感じる年頃だなと一人彼女は自嘲する。今となっては持ってきたGPSも磁石もその効果を発揮しない。樹海で方位磁石が効かない、なんてのは完全な都市伝説であったはずだが……どうやら、カラクリがあるらしい。

 世直しとばかりに、鼻っ柱の強い超能力者やら社会に巣くう輩を見つけては、喧嘩を売り続けて十年以上。いつの間にか、先がわからぬまま大人になり――それでも、続けていたら――四十も手前のところまで来てしまった。

 何が楽しくてこんなことを自らやっているのか、とシンは自問自答し――本当になぜだろう、と自分でもわからぬ物にぶつかる。

 スリルだ、危険だとかを欲してというわけでもない。それならそれこそ世に危険などいくらでもある。戦地でも極地でも未踏の地でも好きに行けば良かったのだ。

(何かが欠落したまま、ただ己の能力を振り回し無軌道に近いような、そうでもないような立場で暴力を使い続け……気付いたら、この歳になっていたというわけだ)

 そこまで考えるともう、笑えない。

 自身の性別こそ違えば、それは男の意地だとか、男はバカな生き物という言葉一つで誤魔化され説明され、済まされてしまうのかもしれない。

 だが、それはタダのおためごかしだ。

 心を軽く読んだだけでも――他人が理解できない意地の部分なんて誰にだってある。その意地に相当する心の領域周辺を丸ごと性別という単語でコーティングする風習が蔓延し、延々と続いているに過ぎない。そんなものは定型句となったカビの生えたジョークであって、それ以上でも以下でもない。

 だが。シンの生き方は――やっていて楽しいのか、意地でやっているのかさえ自分にもよくわからない。それは惰性のようでもあり、ただの病気じみた行動にも思える。

 己のやっていることが、社会に対してプラスになっているのか、マイナスなのかさえわからない。

 それでも虎井シンは――現状に対して、ただ拳を振るう。

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