帰郷(5)
翌日。調べた住所をもとに電車を乗りついで研究所に来ると……小さなビルに、研究所の看板があった。小奇麗で真新しく見える。ネット上のサイトを見るに、そうそう古さを感じさせない場所なのは確かだったが、まるでビジネス街の店舗のようだった。一見すると周囲の家屋からも浮いている。
「すいません、先日連絡した深山という者ですが」
受付にそう言うとしばらくお待ちくださいと待ち合いに通される。どうにも病院で待っているかのような感じだった。
あまり時をおかず、人がやってくる。
太めの身体に、整えられたわざとらしいヒゲが印象的な壮年男性と、細身の中性的な人だった。後者は中性的――というより、性別はパッと見て判別がつかなかった。年長者のヒゲを生やした方がこちらを見ると慣れた感じに自己紹介を始める。
「脳情報感覚補填研究所・所長の島です。こちらは助手の右」
島の所作や外見は、科学者の部類と言うよりパーティーに出る紳士のような感じで、どこか鷹揚ではあるが少し浮いている。右はそれに比べれば研究者然としてはいたが、神経質な雰囲気がどうにもギャップを感じさせて――二人揃うと、どこか落ち着かない空気をかもし出していた。
「右です」
苛々するような声が混じったそれは、電話で聞いた声だ。しかしその声色を直接聞いても、右の性別は微妙に判断しにくかった。が、なんとなく男性かな、と深山は当て推量で仮の結論を出し――後はあまり考えないことにした。今そこをさして優先して気にすべき局面ではないからだ。
「深山弘二です」
自己紹介を追えた途端即座に、深山は読心を行う。あまりこの力に頼り過信するべきでは無いが、躊躇している場合でもない。すると……
(まさか君は本当にそうなのか? 彼らの言う通りの存在――)
心を読める男……との言葉が見えた。思わず、深山は驚愕に目を見開く。
それは幼少の頃から読んできた、本当に心を読めるかどうかなどハナから信じていない、本当かよと怪しげに思う疑いではなかったからだ。
そういうものがある、ということを認めざるを得ない心境であり、その上で真に深山もそうなのか、と吟味する――そういう、牽制の心境だったのだ。
「……そうか、君は本物だな。君もなのか」
逆に深山の反応から鋭く察し、ため息をつき肩を落とす島と、なんだか厄介ごとを目にしたような眉間に皺を寄せた顔をする右。
「君……も?」
「ああいい。いっぺんに読んでも逆に混乱するだけだろう。私の口から順序立てて話そう、深山さん」
そう言って彼は研究所の中の自室に招きよせた。己の読心にも限界や語弊はあると弁えている深山は、逆らう理由もなしと警戒しつつも従う。
「……まず率直に言おう。つい先日亡くなられた人間の遺族に言う言葉ではないかもしれが、我々にとって貴方の親は相当迷惑で、夢見がちで、酷い人間だった。もしまた彼らに直接会えば……私はあの二人を、激しく罵っていただろう」
右と呼ばれた助手も苦々しげに肯定の意を表現していた。
「……ええ。息子としても、それに関しては特に否定しません。というか、おそらくこの世で一番よく知っているかもしれませんね」
深山は、複雑な顔ではあったがアッサリと自分の両親に対する中傷を肯定した。いや、中傷というにはそれは穏やかな生易しい表現であると、細やかな配慮すら感じていたほどだ。
「……やはり、意外ですね。あの二人の子供とは思えない。理性的な方だ」
右が心底驚いた、とでも言いたげに――皮肉がゼロというわけではないが、少なからず本気で言っているのは明らかだった。しかし、島はその言葉を即座にたしなめる。
「右、失礼だぞ。彼はあくまで独立した一個人だ。断定は侮辱につながる……まあ、しかし、だ。とはいえ、だ。あれらがそう狂う理由の一端が自分にあったと……考えているのも事実だろう?」
なにせ……君の読心能力自体は本物なのだからね。
「はい。俺は、遠隔外在化能力、と考えていますが」
「遠隔。外在化。うん。いくらか適切な表現だ。やはり話が通じるね。あくまで君はそれを感覚的能力の延長、あるいは脳機能の一種としか考えず……そして彼らは、読心を神がかり的な存在が持つ一端としてとらえた。まあ、我々の科学的考察が意味をなさぬ領域だからその見解自体は否定も肯定もできんがね」
扱いに困る。それが彼らが自分たちの存在を認めた上でのスタンスなのだろう。判断保留、あるいは専門外として受け流すこと。当然と言えば当然かもしれない。深山がざっくばらんに見た限りでも、彼らの専門は脳神経における情報関連であって別に読心能力ではないだろうと言うのは理解できた。
「だが――その上で彼らは、我々を自分たちの同類とみなしたのだよ」
悩ましげに所長は眉間を揉んだ。
「同類……とは」
「我々は、脳内部の情報を機械的に読み取って映像やビジョンとしてわかりやすく変換し、人間が感覚的に理解できるよう翻訳することを考えている。君の能力を想起する部分が無いでも無いが、あくまで使っている技術は脳波測定やCTスキャン等の延長線上の物だ。より深く検査し、言語情報や視覚情報として根本的に分析・変換しようというだけだ。まあ……いずれ科学に多大な貢献をするとは確信しているし……脳神経関連の技術としては超常的なレベルを保持しているのは事実で、頂点と言っても過言ではないと、自負してもいるがね!」
自慢、というより場を和ませるジョークでもあるのだろう。おどけるような語尾で島は己の胸に手を当てた。思わず深山も多少緊張がほぐれ、軽口に似た言葉が出る。
「はあ……いや、個人的には取材してみたい題材です。興味深い」
「取材?」
「あ、実はテレビ局のディレクターをやっていまして」
「……本当に自立しているようだね。まあ、君の歳からすればそれが自然か――」
「なのにあいつらは!!」
唐突に、我慢できぬとばかりに右が声を荒げた。島が言葉を切られ気まずそうにひげを右手でしごく。
「深山弘二……深山さんの存在から連想して、あいつらは……まるでこっちがオカルト研究所のように言い出してあれをしろこれをしろお前らの最終目的は私らこそが有している、かのようなことを言い出して……研究成果のデータを、盗難まで……!」
衝撃だが、深山からしても意外ではなかった。むしろ、確かにアレらならやりかねないという嫌な説得力があった。ほぐれた緊張は即座にいたたまれない気持ちに塗りつぶされる。
「それは、その。なんと言ったらよいか」
「ああ、良いのです。我々もセキュリティが甘かった。ハッキリ言って、内容は凄いが地味に研究してきたからなぁ、こっちで。資金はそれなりに個人的にキープはしていたのだが界隈や業界へのアピールが下手で……だから、どうせ盗む者もおらんだろうと機密保持がザルだった側面は否めない」
島所長が落ち着かせるために出した説明にうっと右がうめく。どうやら、かなりそこは図星だったらしい。法的手段を用いなかったのはたかが老人二人に出し抜かれるようなセキュリティ関連の不備を恥じてか、それともあの父母に世間へ騒がれると世俗より怪しげな研究扱いされる醜聞を危惧してか――どちらにせよ、かなりの苦悩と悔しさが会って少しの深山にも見て取れた。
「まことにご迷惑を……あの、実家を探してお返しできるものが少しでも見つかれば、最優先でお返しします。賠償が必要なら用意もします」
深山は全霊で頭を下げた。己がやったわけではないが、己が関わる汚点がこうもありありと見えれば謝罪の念も自然と沸くものである。
「え、いや……そんな」
振り上げた拳を逃したように迷いながら、右は――いいですよ私はもう、とうめくように返した。誰と……と言うまでもないが、こうも下手に謝られては落差に戸惑うらしい。
「そうですか、いや結構。お前もそれで良いね、右。深山さん、我々の研究成果が見つかれば言ってほしい。なんでしたら……シンさんにも伝えてくださいませぬか。責める気はない、と」
「シン――虎井、シンですか!?」
「はて。ご存知無い? 彼女は君と同じ……」
読心能力者……つまり、遠隔外在化能力持ち――だろうに。
その言葉に、深山はうめき、ある意味では得心した。
ああ、だから――だから自分の親はああも特別扱いしたのか。
代わりを……あるいは、狂信の対象が倍加したのだと。
「あの、シン……さんは今どこに!」
「ふむ。どうやら君はよほどご両親と距離を置いていたらしい。シンさんの存在すら知らされていなかったのだね?」
「え、ええ。実は……私だけでなく、直接は無関係な私の息子まで監禁しようと考えていて。家族を逃がし、己も普通の仕事につきできるだけ遠ざかるのに精一杯でした」
深山の個人事情を聞いて、右が不快そうにうめいた。あの深山家の関係者である、という憎悪よりも、最早被害者同士である共通項に基づく深山弘二個人への同属意識の方が勝っているようだ。
「写真かなにか、ありますか? その、能力持ちのツテで探すよう頼んでみます」
「はい、ありますよ。というかその口ぶりだと……」
「ええ、チラホラと。色んな人が居ますよ。親には絶対教えませんでしたが……読心系は、自分以外知りませんし」
「……ま、こちらからすると正直言って専門外ですので。深くは聞かなかったことに」
学術的に見ると厄介でしかないからなあ、と島所長はとぼけた声で困ったように振舞った。深山も思わず苦笑する。
「はは、助かります」
「ま、まあ。それでこちらの話ですけれども」
右もそれなりに打ち溶けたらしく。図らずも、親の方から見聞きした情報との落差あってのことだろう。
「シンさんはやつらが呼んだ協力者として、我々の意識翻訳技術のモニターをしてもらったのだ」
島は一転神妙な顔をし、核心に触れるように喋る。
「えぇ。最初はインチキだと思ったのですが……連れてきた連中は、その、アレでも。なにせ当人は本物なわけで。MDの被験者としては絶好の……」
「MD……とは」
帳簿にあった、謎の単語が出てきた。まさかミニディスクのことではあるまい――
「MD、ないしMDS即ち……Mind Decode System――」
脳情報解析表示装置です、と部屋にあったクリアボードに向かい単語を書きながら、右が解説した。
「主観的に人間は思考に自分で考えるよりもなお数多くの情報を裂いています。表層的に言語化された意識面はともかく、思考の奥深くは実際に言葉として発声や表記されるよりも高速かつ多くの……コミュニケーションとして使うのとは別種の、頭の中で成立すればいいよう暗号じみた状態で伝達されているわけです。果ては無意識の思索や睡眠時の夢、映像情報、様々な種類の情報が複雑にあるわけです」
右が研究室で指し示したクリアボードには、他にも脳の作用や精神状態が諸々図式として描いてある。
「ええ、はい。そこまでは知っています……」
「MDSとは、読み取った脳波から最大限それを解析し続け、それを人間が読み取れる形で直接情報として送り込んでみよう、という代物です。脳のソースコードを直接別の人の脳が読むような物ですね」
「はあ……」
「しかし、客観情報として読み取るべき情報量はあまりにも膨大で、かつ複雑です。プログラミング言語のソースコードを直接表示して日常会話や読書をしている人が居ないように。実際は更に複雑かつわかりにくい代物と言えるでしょう。意識的かつスムーズに処理するには人間の知覚・処理能力自体が足りないか、ある種の翻訳機構が必要である……というのが、脳神経に関わる我々の定説でした。無論、単体の画像情報などに置き換えた翻訳がいけないわけではありません。が……ある種の齟齬は否めないし、そういったプログラムを更に外付けするのも至難の技です。そこで」
虎井シンが、関わってくる。なるほど。
「つまり、元々遠隔で精神の情報を局所的に読み取り、感覚で理解するに必要なだけの情報を絞り、翻訳が瞬時、ないし同時かつ自動的に可能な――読心能力者に使わせて、その情報の処理過程を翻訳機として組もうと……」
そのためのデータの解析・送受信と蓄積を並列して行う機械がMDS――ということらしい。
「はい。まあ……貴方のご両親は、その。単に読心能力を更に強化する不思議な装置としか考えてなかったようで」
「盗まれたわけですか……」
深山は今は亡き己が両親にあきれ果てた。あまりにも浅すぎる。いや、理由がなんであれ盗みを正当化する理由にはならないとも思っていたが。
あの二人は、現代の日本社会に属する存在でありながらその内に社会常識から外れた自分たちの倫理、世界観を、何十年と構築してきた人間である。無論、程度の差こそあれ家庭や個人によって形成される常識や価値規準は大なり小なり異なるものではある。だが深山は、学校という――家族とは別のコミュニティを見知った辺りから、早々に彼らの行動原理を理解する事を諦めていた。
あるいはカウンセラーや、カルトなどに詳しい人間ならば別だったのかもしれないが、明らかに自分にはあれらを理解すること自体荷が重いと、心を読む事さえ半ば放棄していたのだ。家族であり狂信の当事者としてはいささか無責任かもしれないが、それは深山自身の精神安定のためでもあった。一種の自己防衛とも言える、断絶した感覚。
だからこそ、遠ざかってから見返し徐々に明らかになってきた生前の父母の行動は、ある意味ではあらゆる道理の通じない、予測不可能の何でもありな存在にも見えたのだ。
(……俺と同じ存在である、シンという女性は。一体、あの二人をどう見ていたのだろう)
深山と同じようにある種、狂人の類とみなしていたか。それともいくらか同調をしていたのか――少なくとも、目撃情報や周囲の印象を見る限りではそれほどあの父母の言説に傾倒しているようには見受けられないのは確かだ。
「ああ、あった。これだ。君は関係者だし、進呈しましょう」
島が取り出した虎井シンの、正面から写したバストアップの写真がそこにあった。
服装としてはごく普通の白いワイシャツだけだったが、浮いていると思わせるほどに肌までが白い。髪型は黒髪にいくらか白髪混じりのショートカットが無造作にある。鋭い目線と、口元は静かに引き締まっており、女性と言うより総じてピンと張り詰めた紳士のようなイメージさえあるが、なんだか顔つきは普通に若々しいせいで年齢の印象が定まらない。
総じて隙の無さそうな鋭い女性である、としか思えぬ外見である。
「なんというか。気が強そうでしたが同時に、礼儀正しく、穏やかな方でした。こんな人がどうしてあんな胡散臭い人たちに協力しているのかと思うほどに」
そう想い返す右のイメージの中の虎井シンは、確かに何か、覇気のようなものを感じる女性だった。こういった思考の中で想起される存在は、本物よりも思考している人の印象が影響しているためかならずしも同じとは言い難い。が、それを差し引いても心身共に強そうな自立したイメージが浮かぶ。
少なくとも、あの父母に唯々諾々と従うには違和感のある印象と言うのも頷けた。
「私もだ。それで体質が体質故に……と思った。少し調べれば君がかつて超能力少年としてテレビ出演していたことなどすぐにわかる。だからこそ、それ繋がりでなにかあったのか……と思ったんだが」
「当の私は彼女を知らない、と。それで彼女は今……」
「MDの被験者となって以降、すぐに疲弊してしまってね。どうにも精神的負担が強かったのか、読心能力者の情報処理能力に何か不都合をもたらしたのか。どちらにせよ中止しようとした途端、彼らのMDS盗難事件が起こった。そして……その直後、彼女は姿を消した――」
そこで一端言葉を切ると、自室の椅子に座りこんで、島はどこか遠くを眺めだした。
「マザリ、と呼ばれる事件が頻繁に起こったのはその前後とも聞く」
「それは……しかし……」
「ああ。何の根拠も無い。だが、何か……私は。嫌な連想をしたのも、事実だ」
そうして途方に暮れていたら深山弘二の父と母、一太とユメのマザリによる死が報道されたのだ。研究所の面々が不気味に思い、軽いパニックに陥っても不思議ではない。
「MDSはあくまで物理的にはただの機器に過ぎません。ですが、確かに現代科学の水準から見ても異常じみている部分はあります……それは、大きさと、電気信号を読み取る力です」
「新技術や素材をつぎ込んだせいで、持ち運びができるほど軽い。その上データも周辺機器につないでやり取りが簡単にできるようにしてある……だからこそ、盗まれたあの一つを見つけ出さなければならない」
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