帰郷(4)

 その後、村田夫妻に礼を言って、二人が帰った後に帳簿を探すと、それらしき複数の単語が出てきた。まずはURLがいくつか……これは見覚えがあった。マザリの事件に関する、デマじみた無関係な動画に関連するURLだ。

 何かしら彼らもそれを見ていたのか。まあ、これに関しては生前からよくある父母の妄想じみた行動の類だと思って除外する。既に彼もいくらか見てはいた。同じく意味のわからない乱雑な文面をいくつか外し……そうすると残った物に奇妙だが、まだ何かしら意味がありそうな単語や用語が主に五つほど見受けられた。

『虎井シン』

『脳情報感覚補填研究所』

『MD』

『MDS』

『拡散』

 虎井シン――とは素直に考えれば、村田夫妻も見た娘の名前だろう。研究所も符合する。

 MDとMDSは同じ言葉の略称か定義か……脳情報と見るに、なんらかの、スキャン装置か何かの名前だろうか? 拡散、は端的すぎてどこにかかっているのかが微妙にわからない。だが、研究所に関しては、連絡先らしい電話番号や住所の走り書きが別のページにあった。とりあえず、電話で連絡だけでもしてみるかとかける。

「はい、こちら脳情報感覚補填研究所!!!」

 大声で怒鳴るような声がまず、深山にダメージを与えて来た。

「あ、いや。そのああいえ、私は。先日亡くなった深山一太と深山ユメの息子で……」

「……あなたが、深山弘二さんで?」

 酷く暗い声色だった。嫌悪するような、怪しむような。

「あの、生前の父母が自分たちに何かあればそちらに連絡を取れ連絡を取れとうるさくて。何分、少し歳のせいか破綻した言動も多く――ご迷惑をかけていれば、何らかの賠償か謝罪くらいはせねば、と連絡を取った次第で」

 咄嗟に父母の謝罪と言った形で深山は取り繕う。実際、彼は必要とあれば賠償まで視野に入れていた。身内の恥である。

「……わかりました。ではいつでもいらしてください。なんなら今日でも構いませんよ」

「きょ、今日ですか? いや。その……では明日で」

「はい。あの……貴方、本当にあの二人の息子さんですか?」

「はい」

「……それにしては。いや、こちらの話です。では」

「はい、では後日――よろしくお願いします」

 受話器を下ろす。

「――たぶん、相当迷惑かけていたな。あのボンクラども」

 誰に対するでもない呟きが、家に木霊した。

 ネット関係の物――スマートフォンでも無いかと探すと、深山の父が使っていた自室のひとつに、ノートパソコンと周辺機器、そして車のキーがあった。村田夫妻が言うように、機械に強いというのは本当らしい。そんなこと、自分が知らないままに死んでしまったなと、深山は少し戸惑う。

 どうせ死ぬのなら、もう少し直接話すべきだったろうか。いや――喋れば喋るほど、読めば読むほど彼らが何を考えているのかはわからなかった。だから……どうしようが、今とさして状況は変わらなかったが、息子ともども軟禁されるのがオチだと考え直す。

 無闇に感傷まで抱けるほど、期待はしていなかった。

 バッテリーは充電されていたのか、起動や使用に支障はない。ネット接続もされているし、データを多少探る。

「……これ、性能が良くて妙に腹が立つな」

 名義ごと貰っておこう、と深山は誰にでもなく言った。ちょっとした補償である。

 と、窓をカリカリと引っかくような音が聞こえた。

 なんだなんだと居間の庭先を見ると、猫が何匹か居た。

 飯をくれと、鳴きながらせがんでくる。

「……あの人ら、そういうことは今でもしてたんだな」

 彼はわかったわかったと猫たちを制すると、台所に向かった。

 深山は、子供の頃から野良猫に餌をよくやっていた。心が今ひとつ読めないから面白い、と親に言うと。母が「つまり魂に汚れなき動物だからこそあなたでも容易に読めないのね」と言い出し始め、飛躍した論理をいくつか重ね。いつしか父母も野良猫をよく可愛がるようになっていたのだ。

 実際は魂の汚れがどうこうと言うより、単に言語能力が無いからに過ぎないからだろうと深山は考えている。

 知能や心の問題と言うより、動物には頭の中で情報を文章のようにまとめる力が無いのだ。あれはああいう物だという単語の知識や判断力はあるしコミュニケーション能力はあっても、それを言語の複雑な情報として出力する力を持たない。だから散文的――どころではなく、断片的なイメージの塊やらボンヤリとした単語のニュアンスくらいしか見えないのだ。

 今でもキャットフードらしき買い置きと皿が、冷蔵庫の横あたりにあったからもしや……とは思ったが。やはり深山が出て行った後でも、近所の猫に餌やりはしていたようだ。

 今になって当時を思い返すと、本当は――親たちも、子供の頃は動物を飼っていたのではないかと、推察が浮かんでくる。

あんな親とは言え、自分が生まれるずっと前からああだったとは流石に思えない。それにどことなく、あの二人は猫や犬に対する仕草が慣れている感じだった。

 母の実家、父の実家の事情を深山は知らない。自身が生まれる前の情報は家捜ししてもロクに見つからなかった。おそらく縁切りをしているだろうとは思われた。だが、もし――自分が生まれる前の父と母が、ごく普通のまともな人間として生きていた、とすれば。

 普通に犬猫を飼うような人間であったとして、そういったどこにでもあるような思い出や感性すら――深山弘二の能力と存在に対する狂った思考を間に挟まなければ、行動することができないほどに。彼らは自分たちの人生すら、その理解できない思考に侵食されていたのだろうか。

 そう思うと、深山は何かひどく悲しくなった。

 自分が生まれなければ、あの人たちは世間一般から見ても正常な人間として一生を送っていたのか?

 わからない。

 今さら考えたところで、全ては霧のように曖昧な謎の中――

「ととっ」

 いいから飯をよこせ。そう訴えかけるような猫の鳴き声と、前足で引っかきに来るような焦れた動きに深山は意識を戻して、慌てて皿へとキャットフードをあける。

 途端に群がる数匹の猫たちが、ガツガツとキャットフードを腹の中に納めていく。

この量くらいで丁度良いか。餌をやり終えると、深山は悪い悪いと言いながら猫たちに笑いかけた。

 暫くしてふと、食べ終わった白い猫が深山を見て、ジッと不思議そうな目を向けた。

 あれ、いない。

 つい深山が心を読むと。あたかもそう――どうしてと首を傾げるような、誰かを探すようなぼやっとしたイメージが見えた。

「ゴメンな。もう、あの人たちは居ないんだ」

 白猫にそう深山は軽く謝る。返答は、当然ながら無かった。

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