仕事の狭間(8)

 加川との飲み会の翌日――早朝と言っていい時間。高層マンションの、八階の角の一室。そこに住まう深山はもう起きて朝食を作っていた。職場からも相応に近い。一人暮らしにも慣れ、元々料理は嫌いではないがすっかり手際のよさに磨きがかかってしまった。今日のスケジュールからすれば別段早起きをする必要もないのだが、なんとなく朝の光でリフレッシュしたかった彼は、無理にでも起きて顔を洗い、飯を炊いている。多少なりとも気が紛れるのを自分でも感じつつ――味噌汁を温めながら彼はテレビを付ける。

 習慣としてなんとなく、深山は自分が勤めるテレビ局とは別のチャンネルのニュースを毎朝見ている。ザッピングができるように、リモコンは台所から手が届くところに置いてあるし、テレビの配置も台所から見える場所にあった。ニュースの内容は今日も――と言うより連日、マザリに関する注意勧告と報道で持ちきりになっていた。お天気コーナーのようにお約束化しつつある、怪死事件。いや、事故という意味ではそれは普通のニュースと何ら変わりないのか。

「昨日また十二人の攪拌現象による被害者が出ました。そのうち二人は学生です」

「はい、またも被害者が出ました。危ないですねえ……夏場の対策として、学校などでも指導しておくのが重要ですよね!」

 ニュースキャスターがハッキリと、それでいて悲しげなトーンで言う。だが、その目にはあまり深山が共感し得る感情が見えなかった。いや、その顔に嘘ではなく恐怖はあったのだ。テレビ番組として丁寧に取り繕ったものではあれど、本心からの言葉なのだろう。しかし、あの時の加川の瞳にも見た、言いようの知れぬ理不尽に対する根源的恐怖では無い――身近な事故に対する恐怖だった。

「半咲市の市長が、あんな物は欠陥建築が蔓延る地域だから起こることだ、と過激発言です。未だ自分たちの市ではこんな事は起こってないと……」

「いや、でもそれは偶然じゃないですかねえ」

 それは画面の向こうで脅威として盛り上げ議論すべき題材となり、対立項をわかりやすく作り上げ会話が盛り上がっている。

(ウチの局も、更にマザリに対して力を入れるべき、なんだろうな……)

 ちょくちょく理加とのラインでも何度かその話題には触れている。なんでも、同じ学校に通う娘が報道されたらしく、かなり怯えていた。絶対にロジウラ入らないと執拗に言っているが、こちらとしてもそうしろとしか答えようがなかった。テレビ企画とか近道でも絶対に車でも歩きでも通っちゃダメだよとあちらの方から心配してくる始末だ。理加の家族もそこらへんはかなり注意を強めているらしい。

 日常だ。これはもう日常の事件になってしまったのだ。いや、自分が気に病んでいるだけで事実災厄による死という本質はどれも変わるまい、と深山はかぶりをふる。真に気にすべきは対処法であり、それを受容した上でどう気を付けるか、ということで。ならば深山が今覚えている恐怖はただ、未知の物をむやみに恐れるだけの原始人と変わらぬ心境でしか……そう、悩んでいる最中。電話が鳴った。

 空転する思考を切り替える切っ掛けができたとばかりに、反射的に深山は受話器を取りに行く。

「はい。深山です」

 それは実家のある、山梨県の市の職員からの電話だった。また父母が何か「やらかした」のかと身構え、聞いていく。気分転換どころか、むしろ余計に気が沈むようだった。しかし――話は深山が予想にしない流れへと行く。

「はい、ええ。えっと……はい?」

 ですからねえ、この暑さでしょ。攪拌現象で――

「父と母が、死んだ?」

 呆然と、深山はただ問い返した。台所の味噌汁は、刻一刻と沸騰しつつあった。

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