仕事の狭間(7)
やがてコンコン、とアパートのドアが鳴る。
「親御さん来はらしましたでござるでぇーっ」
緊張を緩和させるためにわざと茶化そうとしているのか、関西弁を通り越してなんだかよくわからない言語となっているダミ声が聞こえてきた。
靴を履いてドアを理加が恐る恐る開けると、彼女の両親が飛び込んできた。
「……理加!」
理加の母は泣いた。泣いて理加を抱きしめた。父も同じく泣いていた。酷く意外な物を見るような眼差しを娘の側がしていたことから、日頃はあまりそうやって泣くような親でもないようだ。
「浚われでもしたか、マザリに巻き込まれでもしたかと思ったんだぞ――!」
理加は怒鳴られ、下手すれば叩かれると思って戸惑いながら深山を見て――少し、涙ぐんだ。
櫻田が隣に来て深山にこっそりと耳打ちする。
「さっきまでお父さんの方は、単なる家出ってことが確定したせいか道中で人騒がせな娘をどついたろかみたいなノリでさえあったんけどなあ。ありゃその前に散々心配し過ぎて安堵の感情が先行しとるわ……」
ひとしきり感動の再開のような情景になった後――傍に居た件の協力者らしき、アパートの住人であろう男が――こちらも感化されたのかやや泣き顔になっているのを気付いて、美加の父が恨みの全てを叩きつけてやるとでも言いたげな顔で男を睨み始めた。
「しかし……あんたねえ、いい大人がこんな子供の家出を止めようとか思わなかったんですか――!!」
まるでチビっ子扱いのような父親の言い草に理加が多少むっとした顔をする。落ち着かせようと櫻田が思わずフォローに回る。
「まあまあ。道中でも言いましたが、実際変なことをする奴に騙されるケースもあるわけで。これはむしろ人畜無害系なこのアンちゃんでラッキーと言える部類の話ですがな」
「は、はい。危険なことは、何もしてません。え、ええ。先祖の墓に誓ってアレです。理加ちゃん大丈夫です。健康です」
ビクついているのか滅茶苦茶な言い回しも混じってたどたどしく平に容赦を願う男。なお「理加ちゃん」との物言いに父親が苛立ちの目線を強めた事には気付いていないようだ。
「そうよ、この子が無事だったんだから良いじゃないですか」
「……ああ。だが、君の名前と個人情報の詳細は記録させてもらうからな! 今後娘にまた何かあったら……タダではおかんぞ……」
壮絶な表情で凄む理加の父を見て、顔を真っ青にして男は首を縦に振った。それは人間の挙動と言うより、幼児用の玩具のような激しい動きだった。
成人男性ではあるのだが押しに弱いと言うか、流されやすいと言うか。深山が心を読んだ限りでも悪人とは到底言い難いのだがどこか頼りない男であった。
「いや。悪いの私だし。その人悪くない、し――その、ごめん。帰るから」
いくらなんでも自分の我侭に付き合わせた青年がここまで言われるとあれば、罪悪感もあってか理加もフォローに入る。両親もとにかく家に連れて帰れるという感情が優先されたらしく、それ以上責めたてるような会話もあまりなく、帰り支度が始まる。
アパートの外には依頼人の車であろうワンボックスカーが停車していた。理加は懐かしげな表情で車に入り込もうとするが、振り向いて深山に向かった。
「じゃあ、今度出たくなったら彼の家じゃなくて、やっぱそっちの探偵事務所に行こうかな!ウチと結構近所みたいだし、そんでフカさん話相手に呼ぶの!」
「だから日頃から事務所にゃ来れないって。ほれ――名刺だ、赤井理加」
ディレクターとしての名刺の裏を取り出して、個人的な電話番号とメールアドレスを書き込んで渡す。
「ラインでもいずれやりゃあ良いだろ。じゃあな」
「うん、じゃあね、フカさん!」
理加はそう言って快活に車の中に入る。
探偵らしき男と妙に打ち解けている姿を見て、助手席と運転席の両親は何かしら怪しい者のように深山を見ながらも、目を白黒させていた。
車が出るのを見送ったところで男もまた、僕もこれでとアパートの部屋に戻って行く。アパート前に残った櫻田と深山の二人も、事務所に戻るかと互いに柔軟のような動きを軽くしながら、帰る準備を始めた。
「事務所はガールズトークの溜まり場じゃねぇぞ?」
「わかってるよ。ガールじゃないし、俺」
なんて櫻田の軽口に応対しつつ、深山は張り込みをしていた車の中に入る。
(今回は、まだ深刻にならないで済んだケースなだけだな……)
このような失踪事件やらに付き合わされる事例も、深山にとってそこまで珍しいことではなかった。その読心能力を使って依頼人とのこじれた会話の説得や、周辺現場での聞き込みの一助としていた。仕事の合間に手伝わされる形だが――児童虐待にDV、食い物にせんとする犯罪者と、もっと後味の悪い目に会うのも一度や二度ではなかった。むしろ、こじれた人間関係や暴力沙汰、金銭問題等に相対して読心能力の無力さを悔いた事も、そう珍しくは無い。
そして怪しまれ、嫌われる事も。
赤居理加の場合はあくまで、タイミングや彼女個人の性格が重なり一つの調査がスムーズに終わった例に過ぎない――
(にしても――だ。一般的な反応は、既にああなっていたか)
マザリに対してそれとなく、理加にも深山はそれとなく聞きだしていた。
「家の近所や学年にも死んじゃった人は居るみたい」
「よくわかんないから気を付けなさいとは聞くし、なんか自分でも怖いから家出してからもテレビ見ててあの人の部屋で大体は引きこもってた」
良くも悪くもごく普通の反応である。
だがそれは、怪奇な死に対する反応ではなかった。
もう既に、マザリの死は日常の物へと侵食しつつある。
車が滞り無く発進する。やがて、事務所に行く途中の道路で――狭い小道に入るところに立ち入り禁止のテープと、慌しく動く警察の姿が見えた。
道中の誰もが――通行人も、車も、自転車も。それを気に止めず、走って行く。
ああ。
たぶん、あれもマザリだ。
なんとなく、深山はそう気付いていた。
狭い道だからというだけではない。不自然な空気でありながら嫌気が指す馴染み具合が、見なくても深山にはわかっていた。
運転席の櫻田は、やはり気にも止めていなかった。
櫻田の依頼も解決したことだし、久しぶりに別の旧友と会おうと事前に連絡をし、落ち合った飲み屋でマザリへの不安を深山が話すと、建築士をしている同じ超能力者の知人、加川勇毅はあきれたように返した。
「おいおい。ちょっと疑い過ぎじゃねえの?」
「いや、それは……そうだが。不自然だろう!」
苛立ちの混じった言葉を投げかける深山の焦りを他所に。不自然がどうした、とでも言いたげに加川は杯を傾けた。
「自然災害はあっても、なあ。ごく自然な形の災害なんてのは無いよ。熱中症なんて細かい定義は昔じゃ世間にちゃんとは定着していなくて、日射病とかだけだったろう? 光化学スモッグなんて言葉も無かった。だからって今さら熱中症の存在自体を疑うやつはバカでしかない――」
更には突き出しの漬物をぼりぼり食べながら、一息つく。
「……だがお前の主張はそれより酷い。なんだか不思議な雰囲気だから、そんで俺たちがこんな境遇だからって一切合切を怪奇事件のカテゴリにぶち込んでもただの妄想だろ」
加川の言葉は正論ではある。結局のところ、どんな人間でもどこかで何かの情報を信じなければならない。あらゆるものを陰謀へとつなげる陰謀論でさえ、それを陰謀だと断定する一定の情報源を信じることには違いない。
「ましてや曲りなりにもメディアに関わるお前が――今、そんなことを言っても余計に世間をかき乱すだけだろ」
「いや、それは――そう、だが」
深山は気まずそうに顔を逸らす。
前はあれだけ怪奇現象としての噂がちらほらとあったSNSの情報も、攪拌現象への対策で一色となっており、むしろおどろおどろしい怪死として扱うことが不謹慎であるような雰囲気に染まっている。が、安易にそれが全て間違いとは言いがたい。むしろこのような状況になってまで呪いじみた発想に行く方が不謹慎、かつ情報の錯綜を招くのは事実だし、あらゆる物を警戒しようとも、容易くそれらの専門家になれるわけではない。否、それこそ番組の取材でままあることだが――専門家でさえも、門外漢の事物や危険性に関しては疎かったり軽んじていたり、驚くような雑な認識のままなケースが珍しくないのだ。一関係者としてメディアの情報が真実であるとは決して軽々には言えないが……全てを無根拠に疑い、流言飛語に飛びついたところで何一つ意味が無いことも理解していた。むしろ彼が今までの人生で会ったそう言う類の人間は、深山自身軽蔑してしまうタイプの――言ってしまえば、自身の父母を多少連想させるような人間が少なくなかった。
だからこれは理屈ではない。論理として正しいと思っているわけでは、ない。もっと感覚的な危惧――危険に対する、何らかのもどかしさ。
病的な不安でしかない。
しかし――だからこそ、深山は、理屈で止まろうとも思わない。
「大体不安ばかり言っているけどさ、実際見てる皆神さんの身にもなってみろよ。あの人が一番……不安だろうよ。仕事、休んでんだろ」
「ああ――そう、だな。なんかチンピラみたいなのにも襲われたらしいし」
「そっちの方がコトによっちゃ危ないぞ」
よくわからん災害より生きてる人間の方が危ない危ない――すいませんもう一杯。加川が会話の流れに繋ぎ目なく注文をねじ込む。確かに、そこらの詳細を伺おうとしたら、皆神自身が休みを取ってまた行ってしまったわけだから、そこに関しては深山たちからすると何とも言えないのは事実だが。
「いや、そうだが。じゃあ……お前は、おかしいと思わないのか?」
「ん、言ったろ。不思議に思えるからって……」
「違う。お前は感じないのか? 何かもっと……言葉にできない不安さを、あの事件を見て感じないのか、と言っている。異常なまでに精神の奥に訴えかける、嫌な感覚がお前にはないのか?」
「…………」
押し黙る。沈黙がしばらく続き……それはある、と。か細い答えが出た。その時の加川には深山の目に宿る恐怖と、同じ物が宿っていた。
やがて緊張を打ち切るように、再注文を今度は深山が始める。全ての会話は酔っ払いのヨタ話として、周囲の雑音に吸収される。誰も聞いてなどいないし、真剣に取り合う者も存在しない。ましてや二人の会話は、ただ怖そうな災害に対し謎の恐怖を覚えたというだけのことでしかない。だが、それでも深山と加川は互いの目に宿る恐怖を――忘れることはできなかった。酔った友人同士の戯言と、流しきることができなかった。
結論も出ないまま二人はただ酒を煽り続け――お開きとなる。あぶねーから路地裏には入るなよとだけ軽口を言いあって別れた。
「おぉっと。俺はあぶねーとこになんか入りませんよっと。バカとは違うからね、バカとは。あー怖い」
ふらふらとした足取りとわざとらしい独り言だが、しっかりと加川は路地裏を避け帰っていく。
そこには恐怖があった。根本的に暗がりに近づきたくない、近づけないとばかりの――恐怖が。ただ暗闇を怖がる幼児のそれとも違う。まるで何か近づいてはならぬと意識ではなく本能が悟っているかのような……何かを。
事実そこには。何かはあった。いや――何者かが、居た。
◆
ここは……どこだろう。
気が付いたら、真っ暗だった。
私は、学校が終わって……家に帰ってたけど、確か買い物を頼まれて――
記憶と、景色が混ざる。目が慣れてきたのか、色々見えてきた。
建物の間――暗がりに何も見えない。えっと、ここは……
「路地裏――? あ、ああ」
逃げなきゃ。いや、逃げて、どこに……
アレは誰だ?
アレは……そうだ、逃げなきゃ。
逃げるんだ、アレから!
「あ、ああ。テレビ、では災害だって、自然現象だって……!」
言っていたのに。あんなものが自然の産物であるものか。
あれは敵意だ。こちらを敵とみなす、何かだ!
叫びながら路地裏を私は逃げる。わめいて、わめいて、壁を乗り越えようとして、転ぶ。膝や腿の痛みが、この状況が全て夢でなく現実なのだと訴えている。
泣きながら、変な動きで走る。
ああ、もう少しで外だ。路地裏の外から漏れ出る光が少し、見えた。
なのに。どこまで行っても薄闇は縮まらない。一人くらいは外に誰か居るだろうに――夜であろうとも、酔っ払いの一人二人程度は、通っている時間帯のはずだ。
「なんで誰も聞いてくれないの――?」
終わらない道。逃げられない場所。誰の耳にも入らない叫び。
そもそも、私は何時の間に路地裏に来ていたのだろう。
みんなが注意するように、あぶないからって入らないようにはしていたのに。
いつの間にかふらふらと……そうしたら、アイツが、来て。
ああ。今もきっと居る。後ろに、振り向けない。固まったままで這いずるように歩くと。
目の前に。
「――――」
目も、口も無い。黒っぽい影を貼り重ねるみたいに重なった、痩せた人型の何か。そこに居た誰かが。こちらを掴んでくる。
撫でるみたいに優しい手なのに、私の身体が地面に沈んでいく。違う。
地面と私が溶けあっているんだ。
痛くはないし、辛くもない。ただ、怖いよ。
こわい。
私はまた、叫んだ。ばかみたいに叫んで、そして。
別れの言葉のようなものを、聞いた気がした。
そして今日も、混ざり死ぬニンゲンが増えていく。
◆
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