仕事の狭間(6)
赤居理加。歳は十三。キャミソールの上着とデニムという、動きやすい格好をしているが、どうにも逃走の際の動きを見るにあまり運動が得意というわけでもないようだ。
ポニーテールにしている髪は染めたことがあるのか、色落ちした茶色の部分が少し見える。櫻田に見せてもらった写真だと本来は明るく可愛いと言われる娘なのかもしれないが、どこか今は目尻が下がり必要以上に無気力にすら思えた。
時折心を読んで、逃走を試みているかどうかを探るが――どうやら、諦めた様子だった。もう良いか、と深山は読心の感覚をいったん閉じる。
やがて、沈黙に耐えかねたのか美加の方から深山にねえ、と話しかけてくる。
「鋭いんだね、オッサン」
完全に理加の動きやタイミングを読んで裏を取ったことを指しているのだろう。後は協力者の男まで含め、見透かしたかのような深山の挙動からか。
「……まあな」
「場数踏んでんだ、プロっぽい。探偵ってさ、お金貰って人を探してんでしょ。私を探すのにいくら貰ったの?」
少し挑発するように言ってくる。ぶしつけな質問だが、そもそも自分を探している探偵への会話できるところなんて親の言動か、それくらいしか見つからないかと深山は心中で納得する。
「俺は探偵じゃないよ」
「は?」
どこか深山に対して気負ってたはずの理加が呆けたような声を出した。
「本職の探偵はさっき君のお父さんお母さんを迎えに行った櫻田探偵事務所の所長で櫻田って言うやつ。それで、俺はあいつの昔なじみだから時々手伝わされるだけだ」
「……おっひとよしだなあ」
ロハなんだ、とどこで覚えたのかわからない古い言い回しで、今度は半ば呆れたような声色を見せる理加。この若い馴れ馴れしさは自分にはない長所だな、と深山は内心で苦笑する。
「まあ、なんだかんだアイツには日頃世話になっているしな。つうか、俺はともかく君はどうなんだよ」
読心――なんてとこまで含めたあまり込み入った事情を話せるわけもなく。苦し紛れのような歯切れの悪い返しをした深山だが、理加も自分の家出を言われると少し、言葉に詰まったようになる。
あー、だとかうー、といった音をいくつか出して後に。
「……なんで、探すのさ」
親や家族に縛られたくない、という意見を具体的な形にするのは彼女自身にとってもありきたりな家出少女の台詞すぎて、ダサくて言いたくないようだった。
先ほど深山が読んだ彼女の心の中にも、何故自分が家出したのかという理由は複数あれどどれが真剣な決め手ということもなかった。今更ながらやり過ぎたかな、とも思ってはいるのだろう。
失踪者の心理や事情は人それぞれであり、そして抱える感情もひとつとは限らない。この子の場合は、ただ単に可能であったからやれてしまった――と言う理由も小さくはないだろう。
「まあ大人でも子供でも、フラっと居なくなったら周囲は心配するよそりゃ。フラっと居なくなる大人も居たけどさ」
概ね大人の場合はそれを蒸発と言う。櫻田に協力した調査には、蒸発した夫や妻を探してくれ、なんて依頼もごく普通にあった。
「大概は心配するもんだけど、まあ――そっちの家庭がどうかってのにもよるな。うん、俺にもさ。君くらいの子供が居るんだよ」
「それで?」
唐突な他人の家庭の話に対し、だからどうした、と言わんばかりの白けたような眼差しが深山に突き刺さる。家族が心配するぞ、なんてお定まりの理屈自体はそりゃあ子供だって元来わかってはいるのだ。深山は構わずに言葉を続ける。
「それで、君くらい若い頃の俺は俺自身の親のことなんか全くわかっちゃいなかった。なんだコイツら頭おかしいんじゃねーか、みたいに思っていたんだ。でもこうして人の親になると――自分の親の気持ちも、少しは共感っていうか、わかる部分が出てくる……と、思ったんだがなぁ……」
今でもさっぱりアイツらが何考えていたのかわからん。心の奥底から本気でそう答える深山に、理加は虚を突かれたように。
「えぇー……」
と声を出した。
「だってなあ。生まれたばかりの俺の息子――あいつらにとっちゃ孫を、だ。よりにもよって拉致しようとする輩の気持ちなんざわかるか?」
「いや拉致って……」
話が突拍子もない方向に行ったせいで完全に理加の方が引いている。深山が真顔なせいで、それは実に対比の激しい光景だった。
(だが、本当にあったことなんだよな――)
あの時。妻の純香が、子供を産んだ。三日ほど経って――俺は、両親を呼んだ。
少なからず心変わりを期待してのことだ。
授乳のため、新生児室から出され病室の純香の腕に抱かれる子を見せて、俺は言い聞かせるように彼らに新しい命の存在を説いた。
「……ほら、アンタらもお爺ちゃんお婆ちゃんになるんだ。少しは――」
その時、二人の心を読むのが怖いからこそ。俺は完全に感覚を閉じてあの二人に接していた。
物理的に見る限りでは父さんと母さんは、感涙していた。
ああ。まともな情動をこの人たちも見せるんだな。俺はなんだかほっとするような、そんな感情を覚えた。
「この子が!」
「おお、おお……」
何も言えないような口ぶりの二人は愛おしげに茂へと近づき――瞬時に、純香の腕から赤子をさらい、走って行った。歳に似合わない非人間的な動きだった。
ラグビーボールのように茂を腕の中でガッチリとホールドしながらも足を止めない父をサポートするように、母が素早く病室の扉を乱暴に開けて、二人は走り去っていく。
俺は一瞬何が起こっているのかわからなかった。それは全く理解の出来ない光景だったからだ。
ドップラー効果を思わせる勢いで、茂の泣き声が病院内の廊下を満たす。
赤子を抱えて走っている彼らを無理に取り押さえることもできず、通路に居た人々も跳ね飛ばされていくように開かれる。
純香は真っ青になってくたり、と力が抜けたように気絶した。俺はナースコールを慌てて押して、追いかけようと病室の外へ駆けた。
病室の外を見回すと、既に奴らは十メートル以上離れたあたりだった。俺は叫びながら追いかけた。ふざけるな、と言ったつもりだったが、怒りと驚愕のあまり、走りながらよくわからない文言の恫喝として周りを怯ませるだけだった。
当の逃げていくあいつらは何一つ聞いてないとばかりに走り続ける。俺の怒りや嘆きには一切の興味がないのだろう。俺の存在を、その証を手元に置きたいだけか。
だが。あいつらが逃げていく向こう側に――見慣れた幾人かが居た。
俺の子が生まれたのを知って駆けつけた友人知人たちが、丁度来たところだった。
赤ん坊を抱えながらも爆ぜるように突進してくる若くもない男女の姿、しかもよく見れば友人の親という状況に誰もが驚く中。一人だけ、こうなることがわかっていたかのように。奴らの更に向こう側からすれ違う形になった皆神さんが、流れるような動きで茂を奪い取った。人間離れした手早い動きだが念力で保護しているのか、茂に一切の異常は見受けられない。
少しして大丈夫かっ、一体どうしたんですかと皆神さんの傍に居た友人たちが喧々諤々の騒ぎを起こす。丁度追いついた俺も絶叫と急な運動のために、息は荒くすぐに説明はできなかった。
数秒して、孫が――彼らがモノのように奪い取ろうとした孫が、自分たちの手に無いのを悟って父母は皆神さんにくってかかる。
「何をする!」
「人の家族を取る気か!!」
わめき散らす姿はおぞましかった。だが、皆神さんが口を開くと彼らの罵詈雑言はぴたりと止んだ。
「――あなた方に。この子をどうこうする権利など、無い」
すぐ傍に居る茂を慮ってのことだろう、怒鳴り散らすような類の反応ではない。ひどく静かで――それでも俺は、皆神さんが怒りの顔を見せる姿を初めて見た。
加川も櫻田も――他にも、集まった友の面々が、呆気に取られている。そして俺も。
年齢だけなら眼前の人攫いの二人とさして変わらぬだろうに。その気迫は確かで、それでいて鋭かった。
歯軋りをしながら二人が気圧されている中。皆神さんは茂に笑いかけると、俺に茂を抱かせに来る。
茂は、皆神さんの腕に入った瞬間から泣くのを止めていた。
俺は純香と茂にもう絶対にあの二人を関わらせない事をその時己に誓い――その場に居た面々にも事態を説明し、協力を仰いだ――
「うん。言葉のまんま、拉致だよ。いい歳した大人の俺を実家に戻したいからとか言うロクでもない理由で――な。当時ウチの嫁さん卒倒したからな、茂を産んだばかりだってのに」
「いやいやいや、サラッと言いすぎだから。意味わかんないし。怖いし。それに対して私何言えばいーのよオッサン」
そりゃそうだ、と深山も返す。
「だからまあ。自分の親だからって考えてること全部わかるもんでもないだろう。俺は未だにわからん。だが、子供を普通に心配する親の気持ちならまだわかるし、血の繋がってない世話になった人らの方が遥かに理解できる。それで――君のとこはどうだ?」
「…………いや、ウチの親は、ねえ。オッサンの家ほどそこまで極端に頭おかしいってカンジではないけど、さぁ」
流石に一緒にされたくないのか、理加は意識せずして、初対面の人間の見知らぬ家族を形容するとは思えぬ率直な言葉で評していた。特にそこは気にもされなかったが。事実、深山自身からしても頭がおかしいことを否定する余地も無ければ、否定する気も無かった。
「なら、どうにかなるかもな」
「なるかなぁ……」
「完全には、わからんね。親だって子供だってそれぞれ個人だ。人や場合によるさ」
「無責任」
責めるような単語とは裏腹に理加から、無邪気な笑いが出た。初めて見せた、年相応と思わせる力の抜けた笑い方だった。
「誰も未来の人間関係にまでは持てないんだって、責任なんて。気を付けるべき点はあるが、どうなるかわからんし。例えば――初対面の人間にオッサン呼ばわりは止めとけとかな」
「……お兄さんと言うには幾らなんでも無茶な気が……」
顎に手を当て、真面目に悩みだす理加。どうやら素らしい。
「いや、選択肢それしかないのかよ。流石に息子くらいの歳の娘に「お兄さん」とか言われたら俺だって怖いよ」
ぞっとしないぜ、と深山は手を後ろに組んで言う。そして気軽に彼は名乗る。
「俺の名は深山弘二だ。よろしくな、赤居理加さん」
おお、と理加は成程と言わんばかりに手を打つ。
「わーったよ、フカさん」
「いや、フカさんって……」
「だってあの櫻田って人もフカって呼んでたじゃん。あだ名なんでしょ?」
フカと呼ぶのは実のところ深山の近しい友人でもその呼び方を思いついた櫻田くらいである。あまり呼びやすい感じでもないからと、そこまで定着しなかったのだ。櫻田だけが意地で呼び続けているあだ名と言っても過言ではない。
「フカさんねえ……まあいいか。にしても、別に一生家から出られないってわけじゃないんだ。こりゃどちらかと言えば家を出た先達からのアドバイスだな」
「今もフカさん、親んとこに帰ってないの?」
「おう、帰るよう奴らからは嫌がらせの工作を今もバンバンされているが、実家にはかれこれ高校の中盤辺りから二十年以上帰ってないぞ。その間に仕事をものにして嫁と子供まで出来たわけだ」
「スゲー!」
深山の言葉にケラケラと、笑いが広がる。だが、ふと理加は気まずそうな顔になると。
「でもさ。帰っても別にいいか。とか少しでも思えんのなら、帰っても良いんだよね」
――本当は、帰りたかった部分も大きいのだろう。今更帰れないと、タイミングを逸したタイプだ。
「勿論だ。かなり叱られるだろうけどな。それで万が一危ないことになったら……それはそれで、逃げるってのも悪いわけじゃない」
「うへぇ……じゃあ今度ウチを出たくなったらアレだ、そっちの探偵事務所とかに行こうかな。今ここに来ても迷惑かかるし」
「さーちゃんが迷惑するだけだと思うんだがなあ……俺とか頼られてもまず居ないぞ、スケジュール開いてる時くらいの臨時手伝いなんだから」
「そっか。なんか本業の仕事とか、あるの?」
「テレビディレクター」
「えっ、じゃあ私の好きな番組どこか作ってる!? 亜細亜クイズ百問とか!」
途端に食いつき激しく、理加の反応が強まった。意外性があったのか興味津々に深山の肩に手をかけて揺さぶってくる。深山の製作現場とは全くの無縁だが、仕事上把握していた比較的最近に始まっている番組コーナーの名前を聞いて――こいつさては家出している最中はテレビばかり見てたな、と深山は確信を抱いた。心を読むまでも無い。
SNSの類は、おそらくアカウントのやり取りから親に探られることを警戒したのだろう。携帯機器も今は紛失用の探知サービスがある。置いていかざるを得ない。だからこそネットの類から離れていたのか――あればうっかり情報を残して騒動になるから。
まあ、どうしてもと言うのなら部屋の中でも匿ってる男から借りれば良かったのだろうが、男の方が気後れしたのかもしれない。どちらにせよ、今時珍しいくらいテレビ制作に食いつく女子中学生に、深山は苦笑するように答えた。
「そりゃ他局だ」
「えーっ。じゃあ私もテレビ出してよっ。それならフカさんの作る番組見るからさー……」
「素人使うにも最近編成が大変でなあ……それより、お前自分が出演した番組とか見たいか?」
「えっ見たくならない? 私は見たいけどさ――」
その後もしばらくは取りとめのない話が続いた。完全に雑談じみた脈絡の無い話題に、学校のこと。テレビ番組ってどうやって作るのという話。噂話――
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