仕事の狭間(4)
翌日――某所における、一度に路地裏の壁や地面のアスファルトに確認されているだけで二十三人もの人間が溶け込んだそれは、さすがに大規模すぎる怪死として、明確な事件となって報道された。今までは怪談じみた雰囲気で噂がはびこる題材で、現実に人が死んでいるやもしれないケースまで扱うのは不謹慎だからと、どの局もさして扱っていなかった「マザリ」の事件だったが、一度真剣な問題として報道できる切っ掛けができれば話は別だった。
深山が勤める局も何度も危険な怪事件として連日扱っている。
誰が呼んだかは既に判然としてはいないが、その様々な形に埋め込まれたような姿からいつしか通称「路地裏ボルダリング事件」として名が広まっていた。
だがやがて、その奇怪さと不気味さを帯びた世間の反応も、専門家として呼ばれたある人間によって一変することとなる。
「はい、現代において変化した気象条件のもたらす建築物や人工物、アスファルト・コンクリートなどへの影響を研究している専門家の田沢さんです」
紹介と共に映像が切り替わり、スタジオから何かしらの研究室らしき部屋が映る。田沢と呼ばれた男が、テレビ慣れしていないのか多少緊張の顔を見せた。
「はい、田沢です。これはですね。猛暑における熱疲労と、風がもたらす現象なんですね」
「風……ですか?」
スタジオのアナウンサーの声が、何かピンと来ない音声として相槌を返す。むしろそういった回答を予想していたのか、田沢は饒舌になっていった。
「はい。金属も多彩な負荷を浴びせると疲労するように、熱が激しく時に風が吹き込む路地裏のような狭ーい力が集中する場所と、後は微震にならないような弱い地盤の震動もあるでしょうか。それらが一点に集中して、一時的に路地裏やビルの裏のような場所で分子が部分的に混ざる現象を引き起こすのです」
「でも、壁や地面自体が溶けてるようには」
「ああ、その時に人間が通りがかるのも負荷の一つですから。誰も通らない道と通る道は自ずとその際の圧力が変わってきます」
最初の緊張が嘘のように語る口ぶりに、スタジオは皆いくらかの納得の声を出す。
「なるほど、それで一体どうしたら……」
「まあ、素材の構成にもよりますが発生箇所を細かく断定するのは難しいでしょうね。とにかく狭いコンクリの場所や路地裏には入らないことですね。夜や妙な空気、温度の時は特に危ない」
「なるほど、ありがとうございました」
元のスタジオに、映像が切り替わる。
「いやー危険ですねえ攪拌現象。全く危ない時代です」
「いや全く」
「俺はあれ連想したね。ほら、アスベストとか。あれだって昔は平気で使ってたけどさ、今危ないってわかったじゃん。ソレと同じだよね。この場合は異常気象とかの今だからこう、危なくなったみたいだけどさぁ。今大丈夫ってなってる素材も未来だとどうなるかわからないよなーって話ですよね」
と、ゲストの芸能人が危惧を喚起する言葉を投げかけた。気をつけないといけませんよねえ、といった言葉をいくらかやり取りして以降、もう「マザリ」と呼ばれる何かは謎の怪奇事件ではなく、難解な自然災害だという共通イメージがその場に固まっていた。ニュースで全ては一段落してしまった。結局マザリは新種の災害ということになった。
しかし、深山の中には釈然としないものが凝っていた。
現象の説明自体なんだかもっともらしいが、どこか曖昧である。それだけではない。そもそも、なぜ二十人以上もの人があそこまで路地裏で固まっていたのか。そこからして不自然だ。
「……あの田沢って人、信用できるんですかね」
出社した深山はコーヒーメーカーの前に居るプロデューサーにそう、語りかけた。そこそこに仕事付き合いの長いプロデューサーの四家井もアンテナは張っているらしく、即座に誰のことか察する。
「ああ。見た見た、他局で出た自称・攪拌事件の専門家の人ね。うーん、私も聞いた事無いけどさ――うん。あれ、そもそも相当新しい研究分野みたいでさ」
「まあマザリ自体がそう聞いたことありませんからね今年に入るまで……」
「あーいや、それっぽい事件はあったらしいけどさ。どうにもねえ……なんか……」
「え?」
口ぶりから見るにいくらかそう言うのを四家井も調べていたらしいのだが、どうにも急に歯切れが悪くなる。
「いや、元々大規模になるまでは怪談話みたいな感じだったじゃない。前々の目撃証言なんてそれこそデータとしては眉唾の息を出ないのよねえ。それがいきなり科学的に証明されちゃってさ。鎌鼬みたい。あっでも、アレも今じゃ俗説なんだっけ?」
鎌鼬――四家井が言う通り、百年以上前に真空が起こす傷という一種の仮説が提唱されたが、今となっては人間が生息する通常環境で起こる気圧差では傷を発生させることはほぼ不可能に近く、現代科学では否定されている。にも拘らず、真空のカマイタチと言うイメージは未だ定着し続けているのが実情だ。
それと似たような――現代目線だと胡散臭い、と言わざるを得ない空気を四家井も少なからず感じ取ったのだろう。
「まあ、マザリの測定とか。被害者の解剖とか進まない分にはなんとも。というか実際に撮影しないとそこは検証しようがないとも思うからねえ。信用するもしないも危ないっていうかさ。素人判断の域を出ないからウチはあの田沢ってアンちゃんに触れるのはパスかな。保安上の呼びかけはするけどー」
何事も過度の予断は後々になって問題事を起こす。故に他局が真っ先に自称専門家を呼ぶのは、やや先走った行為だと四家井は判断していた。大意においては、深山も特に異論は無い。納得できる判断だった。
とはいえ、注意喚起と言う観点では他局のやったことも間違ってるとは断言しがたい。インチキである、とも第一印象だけでは決められるものではない。場合によっては、あちらが事実正しかった場合は、こちらの方が後手で消極的過ぎたといった結果になることも――あり得るのだ。どちらにせよ、今はまだ判断に困る状況だった。
「というか、下手したら深山クンの方がワタシなんかよりずっと詳しいんじゃない? 第一発見者がこの記事書いた人だって聞いたけど」
「ええ、皆神さんですね。元々ここでカメラマンしていた人です」
「あらまあ」
フリージャーナリストとしての皆神も、目撃者視点として記事を売り込んだおかげで週刊誌で中々の仕事となったらしい。
「どうせならカメラマンのままの方が、ウチの局で一本特集組みやすかったかもしれないのにねぇー……いや、それより今度のバラエティよバラエティ! クイズ枠があからさまにあっち被せてきてるじゃない? もうちょっと差別化しましょうよ!」
「ゲスト変えますか?」
「うーん、調整はあっちの方が得意っぽくてこっちは長続きしないからパス。もうドラマ枠の宣伝が入りっぱなしだし。それよりクイズ内容で勝負した方が良くない?」
「田辺にいくらか考えさせてみますかねえ」
「あー田辺くんね。全体的な意見としてはまだ穴が多くて微妙だけど、部分的なアイデアは悪くないんだよねえ……かと言って、いつまでも中途半端な立ち位置にさせるのもなんだし」
悩みどころだ、と言わんばかりに四家井は腰をひねる。こういうオーバーな表現が好きな男性なのだ。慣れているらしく妙にサマになっているのがまたユーモラスである。
「とりあえず編集入ってますから、ボクはこれで」
「あっもうそんな時間? ……マザリを気にする暇もないよねえ。危ないの私らも同じなのにさ」
「ええ全く……」
そして、世間話として話は切られた。お互いに仕事を再開する。
数日はそうやってあっという間に過ぎていき――マザリに対する違和感は内に積もるも、結局のところ仕事が入ってそれどころではない、と言うのが深山の実情であった。
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