仕事の狭間(3)
「や、深山君。いやいや。お久しぶり」
「皆神さん……」
それなりの大きさで席が立ち並ぶ中。やや奥のテーブルには、浅黒いがっちりとした、六十ほどの男性が座って蕎麦をすすっていた。思わず深山が声を出すと、その男――皆神は、箸で天ぷらをつまんだまま、穏やかに笑ってみせた。
「あ、ここ座ります」
「え? ああハイ」
店員に確認をして皆神と同じテーブルに座ると、ざるそばを頼む深山。
目の前で天ぷらを食べている男は、元テレビカメラマンの皆神。彼は深山が幼少期に出演させられた番組のカメラマンとして知り合った男である。そしてただ一人。深山の読心を番組関係者の中で真剣に信じ、理解しながらも一個人として深山を尊重してくれた男でもある。現在は局を退職し、フリージャーナリストとして十年以上活動している一風変わった経歴の男だ。
「久しぶりです、ね。仕事は……」
「いやサッパリでね。櫻田君のとこのバイトで食いつないでいるよ」
昨今はあまり記事の実入りも無いからと、皆神は知り合いのツテで探偵業務の手伝いもしていた。と言うより、ほぼそれが主な収入と化している時も珍しくないらしい。
「元気が無いね。親御さん絡みかな?」
「……ははっ。俺より上手く読んでるじゃないですか」
「買いかぶりだよ。私にはそんなことできない。推察に過ぎない」
「だからですよ。迂闊に俺みたいな読み方をするよりも、自分で考えて見切る事の方が、ずっと大事だと思います」
心を読む――ということは、ただ情報を読み取るだけでは成立しない。人の心の内は衝動や思考をわかりやすく整理しているわけではないからだ。
人間の思考は無数の情報を瞬時に整理し、意識的にヴィジョンや思索として考えていない数々の処理が並走している。
それは仮定に仮定を重ねた、学術的にも証明していない深山自身の推察に過ぎぬ持論ではあるが。感覚的イメージであるにしろ、文章や映像であるにしろ。頭で相手が処理している情報をある程度はこちらが意識して認識しやすい形に「翻訳」する必要がある。それを自動的にやるところまで含めて読心能力の本質である、と深山は考えていた。
つまりは、読むと同時に内面情報をこちらが受け取り手として認識し無理なく変換する――遠隔外在化能力。
それぞれの脳にある複雑な大本の情報が自動翻訳・編集されているような物だ。それを見聞きして完全に本質をすぐさま理解できている、と考えるのは浅はかだろう。
TVのディレクターというある種の情報を加工する仕事をやっているのもあってか、四十も手前となった今となってはそういう冷めた発想にもなっていた。
「まあ、君が来るかなと思ってね。数日ほどここらへんで昼を済ませていたんだ」
「……いや、連絡してくだされば別に」
「ちょっとした用心だよ。用心。あとはまあ、蕎麦も好きだからね」
実際これでもうせいろ三枚目だ、と言う皆神の姿を見て、その食いっぷりを見せられると自分の歳もあってか――やや皆神の健康面の方が気になってしまう深山だったが、あまり言及するのも話の腰を折る発言だろうと、そこは流して言葉を促した。
皆神は、蕎麦をある程度すすり終えて一息つくと、話を切り出した。
「ここ最近起こっている怪死事件。あとはまあ、噂も知っているだろう? マザリとか言われてるアレだよ。」
「マザリ……ですか」
マザリ。それは謎の肉体が地面や壁に溶けるように混ざって死んでしまう、という……噂話のような死亡事件である。事実SNSでその死んだ状況がネット上ではいくらかアップロードされているが、荒唐無稽な映像であるのと、事の真偽はどうあれ生の死体という体である為か削除も激しく、チラリとそれらしい物が出ては削除されるというイタチごっこの状態となっている。
もっぱら具体的な死者の映像より噂話や仮説、あるいはそれに関係した誰それの声を聞いただとか、一定の手順をすると死んでしまうだとか、合成じみた曖昧な動画の方がはびこっていた。噂とは明確すぎない方が広まりやすい、ということらしい。
「……正直、あまりその手のことは考えたくないんですけどね。こうして世を見渡してわかるのは、世の中結構自殺者や行方不明者だとか、まあ。そういう奇怪さや死に瀕した事例が珍しくないってことです。俺はホラ、こんな仕事でこんな身の上ですから。普通にしていてもそこらへんは実感するわけで」
「そこは私もさ。だが、不自然なのも確かだ……不自然な死自体この世の中じゃその実、珍しくもないと言われてしまえば返す言葉もないが」
気にしなさすぎなんだよね。と、皆神は言った。
「今日もほら、死んでいるんだよ」
あまりに淡々とした物言いに、深山は思わずえっ、と返す。
「そこの路地裏で中学生が二人。警察が呼ばれたと……ね。あまり誰も気にはしていないが。パトカーも最近よく見るようになっているだろう?」
「それは……そうですけど。だって……」
戸惑いを見せる深山に対し、皆神は諭すように淀みなくトークを続ける。
「君が人の心を視る行為を、日頃だともうあまりやっていないことくらいは知っている。頼りすぎは過信につながるのも事実だ。だが、情報収集も兼ねてたまに機会があれば雑踏あたりで読んだりはしているだろう?」
深山は――迷いながらも頷いた。
ざるそばが丁度届く。よくよく考えると蕎麦屋は相談事に最も向かない場所だろうに。食い終わっても話が暫く続くのなら喫茶店にでも行けば良いんだろうか、と深山は少し考えた。
届いた蕎麦をすすりながら深山もまた、ちょいちょいと話しだす。
「それは、まあ。言われてみればあそこで人が死んだ、とか……何か地面と混ざったとか、こけただとかそう言う話は、その。たまに又聞きの噂程度の情報で入っていましたが……でも」
「誰も深くは気にしていない。ヨタ話の域を出ない。死亡者数は10や20じゃ効かないのに、だ」
沈黙が降り立つ。蕎麦をすする音だけが、場に満ちる。それは正体不明の死が思ったより近しい現状に対しての不気味さか、密集する人間の無関心がもたらすものか、心を読んでなお聞き流すようにしていた深山その物に対する感情か――深山自身にも、誰にもその区別はつかなかった。
現実の死者が近くにあろうと、時に何かしらの興味の対象にすらならないという事実が、感覚的に染み渡る。
「……ま、すぐそこにある、と言うことは極端な話理由がなんだろうが危ないってことには変わらないわけだね」
「え、ええ。それはわかります。もしや――」
なんらかの自分が持っている……超能力、などに関連した事象なのではないかと、深山もそう言った意を示す。皆神も皆神で、肯定にも否定にも困るような悩み込む仕草を見せた。
「君の学生時代あたりでそういう輩やゴタゴタはあらかた無くなったと思うんだがねえ。まあ、体力のある若者の変質者あたりが一番あり得るかなあと、思うんだがね。どちらにせよ、気をつけた方がいい。我々のような成人男性でもね、注意しておくことに越したことはない。被害者は基本的に無作為だそうだよ。老若男女お構い無しだ」
物騒な世だからねえ。そう言い放つ皆神の姿は好好爺としたものだった。
やはり蕎麦屋は相談事や世間話には向かないな。残った蕎麦に取り掛かる深山は、そう内心でぼやいた。幸い、蕎麦湯を飲んだ後に喫茶店に行く必要は無さそうだった。
帰り道、道すがら人通りの多い場所に行った深山は、久しぶりに人ごみの中で心をいっぺんに読んだ。人々の心を読むと、確かに、そう言った噂話は目に入ってくる。だが、すぐにそれも雑多な情報で流される。
(あまり実感できる情報は、そうそう無いな――)
ふと、雑踏の最中を読むように己の中の感覚をこじ開けると――毎度のように心の中という情報がうるさいだけでなく、全体像として酷く多彩な色をしているのが幾度と無く目に付く。
他人の感じる色を主観的に確かめることはできないと言う。色盲ならずとも、多少の色覚異常を煩っている人は実に多いし、色の認識は程度の差こそあれ誰もがバラついているとも言う。深山が読むそれは――皆が心の中で認識している色そのものなのだろうか? それとも。深山弘二と言う男が、彼だけに知覚し得る情報を意識せず勝手に解釈しているだけの物か。
心を長年読んでいると確かにしばしば感覚の違いなのか――色の抜け落ちた画像や、不可思議な色彩が見える事もある。だが、深山自身が見る雑多な色のバラつきは……それは、彼らそれぞれが意識している色と同じなのかまでは、わからない。盲目の人間であろうとも、その頭の中で描かれるイメージ上の造形自体は見えたりもする。
自分が通行人として歩くアロハ姿の男の心を読んで見た青い海の青は……読んだ男が認識する青そのままなのか。田舎の風景をふと思い浮かべた主婦の緑の自然は、やはり彼女の緑なのか。或いは単にそれを都合よくこの能力が、自動的に深山自身の感覚基準に照らし合わせ翻訳しているだけなのか――それを判別する手段を彼は持っていなかった。
やがて、やや疲弊した彼はここらが潮時とばかりに心を読む感覚を閉じ、再度帰り道に戻り始める。雑踏はタダの雑踏となり、景色は心の色彩と形、言葉を失いごく普通のモノとなった。
遅い足取りで帰宅した深山は、やはり皆神から聞いたマザリとやらがどうしても気になってしまい、携帯などでネットを活用して軽くその後調べだした。
(マザリ――体が壁や地面にずぶずぶと沈むだとか、溶けると言われ死ぬ事件やら呪いとも言われているが、どうにも表現が判然としない)
噂とはそういう物だ、と言ってしまえばそれはそうだろうが。
印象としてはいつだったか、昔に局で扱った地震などの災害時に発生する液状化現象――つまり地面がドロドロになって家屋などが沈んでしまう被害にも似ていたが、あれはゆるやかな被害であるためまず死者が出る類の現象ではない。地盤と水脈などの関係にも寄るため、こうも無差別、かつ局所的な事例が複数散在する形で当てはまる物でもない。
事件が起こったとされる位置情報も探ってみたが大概は市街地の路地裏だとか、人気の少ない小道。あるいはビルの影のようなところでポツポツと起こっていた。災害と言うにはどうにも作為的なものを感じる。
それでもこじつけじみて解釈するとしたら何かしらの気象現象や地盤・建築物における特殊な欠陥か――それとも薬品を扱った犯罪か。あるいは……深山のような、何か超能力じみた話か。最後ならばほぼ何でもありというか、思考せずとも済む話だが。それにしても、不気味な規模の死だ。
関連サイトを探しても別段理屈が通る物が見当たらない。既存のSNSのコメントなどの焼き増しか、アクセス数を伸ばさんとするためのタイトルと無関係に脈絡のない――再生数もたいしたことのない動画ばかりだ。
現代のインターネットにおいて受信者は発信者とほぼ等質の存在である。だからこそ、似たような雑多な情報でマスキングされてしまうのが常だ。かつてはテレビや新聞といったメディアを凌駕すると短絡的に考える人間も少なくはなかったが、今となっては全く別種の方向に開花したと言っていいだろう。膨大な世間話のような情報が記録され、コピーされ続ける。むしろ、単純で便利なコミュニケーションツールとして割り切っている人がほぼ大体と言って過言では無い。
そしてそれが間違っているわけでもない、と深山自身が実感していた。ネットとテレビメディア自体が今は強いかかわりを持っていることに違いはないし、雑多なごく普通の意見の集積こそ役立つ、なんて事例も少なくはない。今回のケースでは必ずしも調査の一助になりそうにない――というだけで。
(もう少し前なら、この手の事件を調べたがるマニア界隈のチャットやサイトを重点的に調べると言う手もあったろうけど)
その手のサイトは今や下火に近い。
どうにも、事件の奇怪さと乖離する形で、情報の広がり方が開放的すぎる。ある一面としてだが、現代のネット事情と怪奇性の高い事件との相性の悪さを感じざるを得なかった。
それでも他に何か意味のある情報を持ち出せないかと、暫くいくらかのサイトや個人の発言を弄り回して――やがて、作業がおぼつかない理由を時代の流れに求めているのは老いた証拠だろうか? と深山は一人苦笑して、パソコンを閉じた。
そして就寝に入るのと同刻――
深山と別れてからの皆神はバイトで雇ってもらっている櫻田探偵事務所へ戻り、多少の事務仕事を済ませた後に自宅に帰ろうとしていたのだが。その方向の近道……路地裏に、誰かが立っていた。見ると、皆神の見知った男だ。
「ササキくん?」
文字は忘れたが、ササキというアルバイトの青年だ。
「どうかしたのかい。私の分の報告書はついさっき仕上げたはずだが」
会話する気があるのか疑わしいふしで、ササキは何やらぶつぶつ言っている。
「ない、足りない……足りないんですよ。これっぽっちの給料であんなしんどいの」
病的、かつ不審な挙動でササキは呟き続ける。だが愚痴めいた言葉の内容に、何事かと思っていた皆神もやれやれと半ば同調するように返す。
「ま、そこはわからんでもないが。バイト代の陳情なら私より所長の櫻田君に――」
全てを言い終わる前に滴る水音と――溶けるような音が皆神の音に届いた。ササキの神経質な口調は変わらない。
「いや、いや。そうじゃなくて。もうアンタみたいなのの下で、色々こき使われるのイヤってことです」
見ると――ササキの濡れたような右腕の下の地面に、乱雑な穴が開いている。だらしなくササキの手から垂れる液体が、一滴でアスファルトの穴を広げ、拳大の窪みを作り出していた。硫酸のように、というには明らかにおかしな体積の物体を溶かしていた。
「財布は無いとアレだし。ガワの見分けくらいはできるよう、死体くらいは残しておくんで。折角だから」
会話というよりただ自分の考えを垂れ流す独り言のような喋りをしながら、数滴程度ではなく、分泌するようにどぷっとササキの腕全体から噴出した液体が、皆神を覆いつくす――
「全く。最近の若い――いや、いつものことか」
呆れたように皆神がひとり喋る。と同時に、液体が止まり、飛散する。地面を大きく溶かすその情景を見てもなお、ササキは呻くようにぶつぶつと言葉を止めない。
「……ちっ。ジジイまでそういう力持つとか、ありかよ。 折角気に入らない上司をぶっ潰すためこんな力まで持てたのによぉ……」
「知らんよ」
突き放すような宣言を合図に皆神が掌をかざすと、不可視の衝撃がバイトの青年を吹き飛ばし、壁にぶつける。愚痴のような延々と続いていた呟きは悲鳴――と言うには鈍い発声に止められ、ササキは意識を落とした。
事が済んで夜道に彼一人、足音を響かせながら周囲を警戒するように皆神は見渡す。
「……急に目覚めて精神の安定を欠いた若い超能力者。彼ひとりで噂になるほどの殺人事件を起こす、というのも不自然だな。酸の溶解では明らかに様相が違うし、そこまで大それたことをできる器にも見えん。何より――」
多すぎる、と。皆神は一筋の汗を垂らしながら帰宅途中の路地裏を――そこにあるものを、見た。
壁の中。地面。間の縁から、手足が生えていた。顔があった。埋まっているようでもあったが、その境界面は溶けるように混ざっていた。
何人も、何人も、何人も――混ざっていた。苦悶や混乱の眼差しが。溺れた人間がすがりつくように振り上げられた腕が。果ては形容できないような半端な状態へと混ざった器官が。地面と壁を、道を彩っていた。
「思ったより厄介なことになっているようだよ、深山くん」
皆神はその場におけるただひとりの生者として、呟いた。
◆
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