仕事の狭間(2)

 昼食、と言うにはやや遅い時間になって――深山は局沿いの道路を進む。たびたび行く蕎麦屋を目指して歩く中、懐の電話が鳴った。少し離れた街路樹にあったベンチに座りこんで、通話する。夏場だとあまり、長時間居たいとは思えない場所だ。

「……もしもし」

『弘二! 弘二か! お前なにやっとるんだ!』

 怒鳴り声に近い呼びかけが、電話からけたたましく聞こえた。深山は驚くでもなく、突き放した物言いで拒絶の意を示す。

「――もうかけてくるなと言っただろう」

『なに! お前がおかしな仕事をしとるから私らはだな!』

「おかしい? あんなふざけたことを延々やらせた親が言えた台詞じゃないよ、大体――」

『母さんに替わるぞ』

 深山は思わず舌打ちした。会話をしているようでいて、この人らは何一つ深山弘二という個人の意見を聞いてなどいない。ただ「弘二」その物――その存在を目の届く場所に保持したいだけだ。

『弘二! あなたは……なんで何時まで経っても認めようとしないのかしら』

「俺はあんな生き方に興味は無い。俺だけじゃない、世の中全員がもう興味なんかこれっぽっちも無いんだ。いいかい。俺たち家族がやっていたことは、ただの茶番だ。それを認めようともしなかったアンタらのとこに戻るつもりはない」

『それで延々と顔も見せないで、孫にも会わせない気?』

 母親が言い放った台詞で、深山の態度は更に硬化した。平静を保とうとするが、それもあまり持ちそうに無い。

「……今更常識が無いみたいに言うなよ。純香やあの子には絶対に会わせないからな! それともまだ家族として会えるとでも思っていたのか? 何考えてんだよ!」

『何を……? おかしなことを言う子ね。あなたは――』

 人の心が読めるじゃないのよ。

「だから――なんだってんだよ!!」

 深山はあらん限り叫んで電話を切る。ビクッと通行人の一部が反射的に止まるが、すぐに立ち去って行く。

「読めてもわからないよ。理解できねえよ。そっちの考えなんて……」

 誰も聞いていない、弱音じみた言葉が出る。憔悴したように肩を落とし、ふと目を凝らして深山が周囲を見渡すと――二重に映像が浮かび上がり、また思考が言葉として直接頭に入ってくる。

 声を荒げた深山に対し「なにあれ…」と怪しむ心の動きもいくらかあったが、大体は皆雑多にバラバラな思考をしていた。少し驚いたが電話の口論などどうでもいいと聞き流し昼食をどうするかということを再度吟味しだす男性。待ち合わせに間に合うかだけを延々気にしている、学校をさぼった女子高生。

 ありふれた情景に入り混じる、人の心が織り成す景色だ。

 物心ついた時からずっと、視覚に重なるような形で。感覚的に深山は人の心を読んできた。しかし、他人の声が聞けると言う事は、結局慣れてしまえば彼にとっては対して役に立つものでもなかった。

 確かに深山――幼少の頃より、彼にとって心とは読み物でしかない。だがそれはむしろ口に出さぬ物を読み取れるというだけで、逆に自身の理解の浅さを思い知らされることもしばしばあった。「読む」と「理解する」は本質的に違う。

 結局のところ、ズレが生じるのだ。

 人間は自分で自分の思考をそうコントロールできているわけではない。ある程度順序だった方向性で読むことは難しいし、それをできたとしても会話が上手くできない。

 雑多な情報はむしろ、日常あるいは職業上のコミュニケーションという観点から見れば必ずしも便利とは言いがたい代物だった。

 慣れてしまった今の深山は、ひとつの視点においては鈍感と言って良いのかもしれない。いやむしろ、常人に非ざる感覚を持ちながら逆に、自身の何かが欠けているような錯覚すら覚える時も少なくはない。

 彼自身が思い返しても、その人生はあまり読心能力を否定も肯定もできないようなものだった。理解しがたい思考を常時見せ付けてくる、狂信的に自身の能力を持ち上げ続けた両親と、心を読んで証明して見せてもなお、あからさまに憐憫と小馬鹿にしたような感情を向けてくる多くのテレビ局の面々。滑稽でブザマな物を見た、とばかりにからかってくるクラスメイト。

 しかし何より、数年もたてば全てがどうでもいい感じに霧散してしまったのだ。なんとなく、今さら蒸し返すこと自体が面倒とでも言わんばかりの雰囲気になり終息したのだ。飽きられた、廃れたと言って良い。

深山の境遇は、超能力が実際の有る無しで本質的に変わらない物だったと気付いてからは、どことなく気抜けしてしまった。

人の世の奇怪さはただ心を読めるからということだけで変わる物ではない――そう、言ってしまえばそうなのだが。


 数十秒か、数分か。暫くしてベンチから腰を上げ、再度深山は蕎麦屋への道を歩いて行く。

(妻と息子から離れて……何年になるだろう)

 道中、彼はぼんやりと過去を思い返す。酷く面倒事ばかりに満ちた半生を。

 深山弘二が、妻と距離を置いて――父母のあの狂的な言動やよからぬ奇行に家族を巻き込むまいと、別居状態になってからはや五年。とは言っても節目節目においてこっそりと家に来てはいるからちょっとした単身赴任に近い家庭環境とも言えるが、会うたびに息子からすると自分は遠い存在なのだろうかと、悔やみ恐れる日も珍しくはなかった。

 たまについ、妻子と顔を合わせた際深山は二人の心をつい読んでしまうのだが、むしろそこには悲しさや寂しさの色が濃く見えるのが常だった。更にはなぜこんな境遇なのかというほんの少しの憤りと、彼の父母……息子にとっては祖父母であろう人間に対する恐怖と拒絶心。

 そう、それは深山の息子がちょうど生まれた際――赤子だった息子、しげるさえ見れば少しはあの二人も変わるだろうと。当時の深山はまだそのように考えていた。ごく普通の孫を見れば――少しは、歩み寄れるのではないかと。だが、それは甘い見積もりだった、と言わざるを得ない。

 当時からそれなりに親と距離を置いていた深山は(直接会わなければ彼は誰の心も読むことができない)それでも初孫くらいはと、親の心変わりを期待してのこともあるが――病院に呼んでしまった。

 しかし、深山の父母はその場で会うや否や息子と孫を拉致しようとしたのだ。深山弘二という彼らの妄想の中核――キーパーツを失った彼らが十年以上凝らせた妄執と計画は、老いた父母に短絡的かつ乱暴な手段を取らせた。咄嗟の衝動じみた行動に対し、深山自身の対処が遅れたのは言うまでもない。

 子供を産んだ妻――純香の母体に、心身に悪いと必死で父母を荒っぽい手段まで使って遠ざけたのだが、それでもなお彼の家を嗅ぎつけた父母の手により、数年にわたって茂を――どうやら、深山の父母にとって茂は何かしら象徴性の高い存在として深山自身に次いで重要度の高い、なんとしても奪うべき「宝物ほうもつ」に等しい対象だったらしく。段々と手馴れてきたのか何かしら具体的な目的意識が老人を研鑽させたのか、直接的に会えば計画を悟られることを織り込み済みで、必要最小限の行動と細工による拉致計画が始まってしまったのだ。

当の茂は別段ごく普通の子供として育てられた。弘二と純香からもなるべくごく普通にちゃんとした人生を送ってもらいたいと、警察にも事情を話し父母への対処を頼んだのだが。民事不介入、とまでは行かないまでも経緯や関係がこじれているせいか警察側も上手く介入することができず――というよりもさせないように偽装し、深山の父母は小学生に入るか入らないかの数年にいたるまで自分たちの実の孫を拉致することに執念を燃やし続けた。

 我慢できなくなった深山は、自身を一時的に囮にし作り上げた隙を突いて、幾人かの協力者の手によって秘密裏に家族を引っ越させて、遠ざけた。

 己がテレビ局勤務であるということは明かしつつ、妄言に走る己が親を拒絶、牽制し……それを続け、はや七年の月日が経っていた。

 メディア関係の職場に押しかけるような行為は流石に警察沙汰になり得る下策とあちらも察しているのか、最近は単調に深山に嫌がらせのような電話や手紙を出すことを念入りに続けている。わざとらしく家族として顔を見せろなどと常識に基づいた泣き落としもしてくる始末だ。無論本気で同情を誘っているのではない。深山の心身衰弱を狙っての、粘着質な行為である。

 こっちもそこそこトシだってのに、無駄な心労だけかけてくるもんだ――と内心で深山は毒づいた。

 今さら、会話をするだけ無駄な行為だとわかりきっているだろうに。それでもふとした時にはこうしてつい電話を取り、反応し強い言葉を放ってしまうのは、やはり血の繋がった父母に対しいくらかの感情が残っている証かもしれない。もっとも、その感情も親子の情などに属するものと言うよりは、長年ストレスをかけられた被害者として「いい加減にしてくれ」と言ってやりたい……という念に満ちたものだという確信はあるが。

 それでも彼が折れないのは、それなりに今の仕事にやり甲斐を感じていることと、家族の存在と――数少ない、友人知人あってのことである。幼少の頃よりあった、あるべきはずの半身が欠如したかのような空しい感覚……部分部分の色が抜け落ちたかのような、感覚。おそらくは己が心を読む存在であるという孤独感や境遇から来たものであろう。それが増しても、耐えられるのは人の縁あってのことだろうと、深山はよく理解していた。

 しかし――何時まで耐えねばならぬのか。すぐには先の見えぬ未来に対し、嫌気の差す顔が頂点に達したあたりで、目的地の蕎麦屋が見えてくる。彼がよく行く行きつけの店だ。

やや意識的に気分を切り替え、とにかく昼食にしようと深山が入ると、見知った顔がそこにはあった。

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