イカんせん、貧乏でスシ。

鷹仁(たかひとし)

氷見修二

第1話 シャリ炊きの詩

 寿司屋の朝は、シャリ炊きから始まる。

 朝八時にバイト先に着くと、寿司屋の大将が若い職人を連れて店を開けていた。

 二人におはようございますと挨拶をし、休憩室で清潔な制服に着替える。キッチンに立つと、裏口の磨り硝子を透過した朝日に照らされて、人の影が浮かび上がった。

 微かに魚と消毒液の混じり合った匂いのする仕事場に入ると、だらけきった休み明けの身が引き締まる思いがする。

 休憩室の前の冷凍庫から、若い職人が大きな発泡スチロールを抱えて出てきた。

 彼は両腕に抱えられた発泡スチロールから血抜きされたサーモンの塊を取り出す。ノルウェー産のアトランティックサーモン六キロの脂が、作業台の上でキラリと光る。サーモンの塊は、水が滴るほど研がれた大出刃包丁で細長い柵に切り出し、それぞれに分けられた柵は短冊切りにされる。柵に対して包丁を四十五度に入れ、切り終わりに一センチほど残して刃を立てて切ると、角が立つ格好のいいネタになる。

 これは、今まさにサーモンの塊を手際よく切り出している、砺波哲となみあきらが僕に教えてくれたことだ。僕よりも四つ歳下の彼は、高校卒業後、鳶職とびしょくを経て、寿司職人の道に入った。職人の中では一番若いが、手を抜くことなく仕事に取り組んでいる。


 少し遅れて、大将の息子兄さんが、大きな買い物袋をぶら下げてやってきた。彼は、かっぱ巻に使うきゅうりと、サラダに使うグリーンリーフを冷蔵庫チャンバーにしまい、代わりにボウル一杯の卵を取り出してきた。

 十五個の卵は片手で二個ずつ金属のボウルに割り入れられ、鰹節からとった出汁と混ぜ合わせられる。そうして出来上がったもとを茶碗蒸しの容器に注ぎ、椎茸と赤海老、銀杏を入れ、表面をバーナーで軽く炙り、蒸し器にセットする。


 大将は、表の板場を水で流して掃除した後、営業で使うネタの確認をしていた。棚の側面に挿してある包丁を研ぎ、濡らした布巾でまな板を拭き、哲から上がってきたネタを冷蔵庫にしまう。足りないネタがあれば、裏方の職人に指示をして仕込ませる。そして時折、スマホ越しに誰かと電話でやり取りしているようだった。


 僕の仕事はシャリ炊きだ。一袋十キロの米袋を三つ抱え、洗米機の前に立つ。シャリ炊きは、業務用の洗米機と、ガス釜を用いて行う。

 シャリ炊きは一度に十キロの米を洗米し、炊飯し、酢と合わせ酢飯にする。

 充分な量の水を湛えた銀色の円筒状の機械に米を入れ、水道の蛇口をひねると、機械に吸い込まれた米粒が金属管を下って管の中で濾過され、また上部の蛇口から射出される。これを繰り返すことで、米が自動的に綺麗になる。

 洗米された米をザルに移し、ガス釜に投入する。この時、釜と米がくっつかないように網目の粗い布を釜底に敷いておく。水を量って注ぎ、米のデンプンを細かくして粘り気を消すアミラーゼをスプーン一杯入れる。富山の米は美味いが、少し粘り気がある。この粘り気は、寿司を握る時に邪魔になる。洗米した米を釜の中に投入し、釜からはみ出した布の端を、米を包むように畳む。蓋を閉じ、ガスに火を着けて五十分待つ。

 一袋目の米を炊いている間に、もう二袋分、洗米と炊飯の作業を繰り返す。合計三袋分。炊飯の準備が完了しても、僕にはまだ仕事が残っている。


 待ち時間は、冷蔵庫チャンバーに置いてある発泡スチロール一箱分の甘海老の頭を取り、身についた殻を剥く。この殻剥きという作業は、なれるまではスムーズに剥けずに苦労した。

 甘海老を取ろうと氷の中に手をいれると、尖ったヒゲが指に何度も刺さる。力任せに剥こうとすると、身がごっそり海老の頭に持っていかれて、中途半端なところで千切れる。しかも、氷見漁港から輸送した採れたての地物なので殻と身が接着していて剥きにくい。海老は古くなるにつれ、体細胞が壊れていき、身と殻の間に隙間ができて剥きやすくなるからだ。そのうえ、開店前にボウル一杯分剥いておかないといけないため、ゆっくり剥いている余裕もない。殻剥きを始めてから暫くの間は、指に何度も海老のヒゲを刺しながら悪戦苦闘していた。

 こちらも哲に教わったいい剥き方がある。まず、利き手ではない手で海老の腹を掴み、利き手だけを動かして殻を剥くと、綺麗に殻と身が剥がれ、するりと剥ける。

 甘海老の殻剥きは年中行事だが、春になるとホタルイカの目とくちばしを取る作業も加わったりする。こういった簡単な仕込みは、僕たちバイトの仕事だった。


 炊き終わった米は、量った寿司酢と一緒にに入れ、混ぜる。もちろん、酢飯を作るときに冷めたご飯を使ってしまっては、まずいシャリが出来上がるので、炊きあがって熱いままの白米を運ばなければならない。素手でご飯を包んでいる布を持ち上げると、釜から立ち込める蒸気が僕の顔を襲い、掛けている眼鏡が白く曇る。何よりも、手が熱い。米を運ぶ前に、水で手を濡らしてから行うのだが、それでもまだ熱い。そして、炊きあがった米は背中の筋肉が張るほど重い。乾いた状態で十キロあった米が充分に水を吸っているため、しょうがないのだが。

 完成したシャリを、機械の下に置いておいた水色の保存容器セキスイエスレイコンテナに移し、蓋をする。これを一本として、平日は三本。休日になると、五本も用意する。それでも足りない場合は営業中の手が空いたときに追い炊きをする。

 シャリ炊きの合間にも、大将や兄さんから用事を頼まれればそちらを対応しなければならない。

 そして、この作業は八時半から開店の十一時までに終えなければならなかった。


 シャリ炊きを覚えたての頃は、この作業がきつかった。今でも、寝起きの頭で速度を要求される作業をやるのは、中々に骨が折れる。

 そもそも僕がこの仕事を任されたのも、前任であるベトナムからの留学生――ジャンさんが、急遽店を辞めることになり、人手不足で僕にお鉢が回ってきたからだった。

 普通、この仕事はバイトにはやらせないらしい。新しく人を雇えよというボヤキも、地方の人手不足という現実から叶うことはなかった。どれだけ人手不足かというと、このコロナ不況下で富山県の有効求人倍率が一・五倍を超えているくらいである。そのうえ、アルバイトの主力である高校生の親が、子どもの感染を心配して接客バイトを辞めるよう促しているため、人手不足により拍車をかけている。

 一方で、シャリがなければ寿司が握れないので、バイトの僕に重要な役割を任せてくれる大将からの信頼に対する嬉しさがあったのも事実である。


 シャリはそもそも、お釈迦様の骨“舎利しゃり”が語源らしい。

 散らばった白い骨が、米を連想させるからだとか。米の一粒一粒に仏が宿っているのかもしれないと考えると、何だかこの作業も敬虔けいけんな仏教徒が厳かに仏事を執り行っているような心持ちになる。僕の家系は、浄土真宗だから、あながち間違ってはいないのかもしれない。タオルで汗を拭い、出来上がったシャリに手を合わせると、憂鬱な気分も崇高な儀式のための準備だと思えて、少しは紛れるような気がした。


 開店前になり、バイトの高校生がやってきた。十一時になると、兄さんが店の前の札を準備中から営業中に変える。

 今日も、寿司屋の一日が始まった。開店の合図の瞬間に、入店のベルがなる。四名の家族連れが入ってきた。スタッフ全員でいらっしゃいませ。と、号令をする。

 コロナ禍だというのに、お客さんは途絶えずに来続ける。ありがたいことだと思いながらも、忙しさを覚悟する。次々入る注文にぼやくバイトの高校生を横目で見ながら、Aセットのイクラを作るために、軍艦機の前に立つ。不況下でも役割があるのは、寿司職人たちが根気強く続けた、丁寧な仕事の結果なのだろう。

 どちらにせよ、月給八万円のバイト代が僕の生きる糧になるのだから、目の前の仕事に従事する他無いのだが。保護者からの庇護により、余裕のある高校生とは違い、自分の手で食べていかなければならない僕は、お金の意味も価値も変わるのだ。

 さて。今日も、明日のために生き延びよう。

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