第9話:ゆるふわ宇宙人は恋愛の夢をみるか?
「〝えっち〟はそんな短い時間じゃ、できないんだーーーっ!」
『あーややややややややややや……!』
エレクトの鉢のように大きな目の中の金魚が激しく回り始めて――そしてぴたりと止まった。
『そんなこと、あります……?』
「そんなことあるよ! だってえっちをするには……って! なんでこんなこと説明しなきゃいけないんだよ! 自分で想像しろ!」
『イケそうな気がしました~』
「どんな想像してんだよ! 4コマ漫画レベルか!」
エレクトは『うゆゆ~……』と凹んだように頭を抱えた。
まったく。ふだんロクでもない資料ばかり見てるからだ。現実とフィクションは違うのだ。
――びー! びー!
突如、無機質な電子音が鳴り響いた。
「んあ? 何の音だ……?」
『あ……バッテリーがもうありません、あと……1分ほどで【たぶれっと】の電源がなくなってしまいます~……!』
あと1分。
つまりはそれが俺たちが一緒にいられる残り時間だ。
せっかく〝両想い〟になれたのに。
星と星を越えて。宇宙規模での疑似恋愛が。ようやくホンモノになったのに。
「エレクト! 好きだ! 愛してる!」
『あややややや! わ、私もです~!』
――あと30秒。
「お前を思うと心臓がどきどきするんだ!」
『わ。私もっ、私もですっ! うゆ~!』
――あと15秒。
ああ。もう。科学とは。
無情に刻み続ける時間の前では――あまりにも無力だ。
他はなんだ。何を伝えればいい?
あと10秒もない残された時間の中で。
大好きな相手にできることはなんだ?
「エレクト!」
『ジンさんっ!』
ふたりの考えは一致した。
びーびーと時間切れを知らせる音が響く中で。
俺たちは互いに強く、強く、
――
そんなことを思った刹那。
エレクトはこれまでにない大人びた微笑を浮かべて。
「うん? どうした、エレクト……むうっ!?」
一瞬のうちに。
彼女は自らの薄紅の唇を――俺の唇に触れて。
お互いにとってハジメテの
そんな俺たちふたりの間を引き裂くかのように。
激しい光が刹那生まれた。その光は次第に大きくなり、互いの身体を包み込んでいく。
ほんの一瞬で。
だけど永遠にも思える時間の末に唇を離したエレクトに。
俺はなにか気の利いた最後の言葉でも伝えようと思ったら。
『ジンさんっ!』
「な、なんだ!?」
彼女は
ぽろぽろと涙を流しながら。頬を紅く染めて。最高の笑顔で。
『――赤ちゃん、大切にしますねっ』
そんなことを、言った。
「……え?」
――〝えっち〟はお互いの
彼女がいつか言っていた言葉を頭の中で繰り返す。
「……‼」
確かに。
エレクトが今、キスの余韻をいつくしむかのように指先を当てている〝唇〟だって。
お互いにとって大切な場所で。どうしようもなく
それを触れ合わせることは、恋愛において充分以上に〝尊い行為〟だ。
――赤ちゃん、だいじにしますねっ。
だけど目の前の大馬鹿野郎は。恋愛初心者の
これで俺と〝えっち〟ができたと思い込んでいる。
俺との
そう信じ込んで――これから何十、何百年続くか分からない銀色の箱の中の孤独に対して。
愛する人との子どもという〝希望〟と一緒に生きていこうとしている。
しかしそれは。
叶わない。叶うことはない。叶うわけがない。
なんと!
まあ‼
「くそっ……!」
真実なんて今更伝えられるわけがない。
自らの希望が叶って。
それを祝福するがごとく神々しい光に照らされる中。
愛おしそうにお腹を押さえて、くしゃくしゃの笑顔を浮かべているエレクトのことが。
愛おしくてたまらなくて。
愛おしくて。愛おしくて――哀しくて。たまらなくて。
「……っ!」
感情を制御しきれなくなった俺は。
光の満ちる空間に消えていくエレクトに向かって。
叫んだ。
「エレクトオオオォォォーーーーー!!!!!!」
うゆゆ~。
とエレクトは幸せそうに微笑んで。
――光の中へと、消えていった。
そして俺も白い空間の中に放り出されるように弾き飛ばされて。
やがて意識を、失った。
* * *
「っ
視界が焦点を取り戻していく。本や論文が乱雑に積まれた机。奮発して買った少しお高めの椅子。
壁のボードに貼られたカラフルなメモ。汚い字。本棚。
「……っ! エレクトは!?」
起き上がってその名前を呼ぶ。
周囲を見渡す。窓を開ける。ベッドの下を見る。引き出しを開ける。押し入れを探る。
それらの行為は――無駄だと分かっていた。
彼女はもう、ここにはいない。
あの四角い銀色の箱舟の中で、たったひとり。
これから悠久の時間、宇宙を
「……あ」
机の上に例の【たぶれっと】を見つけた。
その表面の銀色の輝きは失われ、ただの白っぽい板に変わっていた。
それでもこの未知の物体をアカデミアに持ち込めば将来は約束されるだろう。
技術が解明されれば人類の生活の質が引き上げられるかもしれない。それでも。
「……ちっ!」
俺は板をベッドに叩きつけて舌を打つ。
そうじゃない。大切なことはそんなことじゃない。
なにせ俺にとってのハジメテの恋愛は。
世界中の人々の役に立つ? クビにならなくて済む?
そんなもの。
くそ。
くらえだ。
「うわああああああああああああ……‼」
俺は叫んだ。大声を出し慣れていないせいで語尾は掠れている。
「絶対に!
俺はふたたび【たぶれっと】を手に取る。
表面に俺の顔が映った。みっともない顔だ。泣きはらして瞼は腫れぼったく、頬には無数の涙の筋が残っている。
「これで最後なんてふざけるな! ……絶対に。こいつを
俺は窓辺に駆け寄り空を見上げた。
いつの間にか夜になっていた。雲一つない空には、街の灯りで掠れた星空が浮かんでいる。
そんな年季の入った黒い
宇宙人の〝恋人〟のことを想って。去り際の彼女のことを見習って。
「まったく――恋っつうのは、どこまでも
俺は笑いながら、泣いた。
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