第7話:瞬間、想い溢れて


 見つけたのは例の〝猿でもわかる!〟シリーズの本だった。

 不用心に床にそのまま転がっている。


 エレクトに視線をやると『うゆ~、うゆ~……あ、これは寝息ですよ~。ちゃあんと寝てますよ~、今がですよ~? ……うゆ~』とわざと過ぎるOKサインを送って布団を上下させていた。

 

 ――そうだ。もしかして今こそチャンスなんじゃないか?


 そこからは早かった。

 思い立ったら吉日。願望はすぐに行動に移すに限る。

 

 こそこそ。ささっ。

 俺はトンデモ理論の参考書をてにいれた!


「どれどれ……」


『うゆ~……そろそろでしょうか~……うゆゆ~』とぶつぶつ寝言(のふり)を呟いているエレクトを背後に俺はページをめくる。めくる。めくる。


「……○月×日。今日は〝びーえるぼん〟という地球の重要資料を読むことにした。これが地球人の普段の生態だと思うと勉強になった。他はいつもと同じ、代わり映えのない日常だった。おわり……は? なんだ、これ」


 おいおい。これじゃあまるで。


「――、じゃないか」


『あーやややややややや!』


 エレクトが気づいたようだった。

 すぐさま例の本を奪い返し、そのふくよかな胸に両腕で抱きとめる。


『なに、読んでるん、ですかあああああ~……!』


 眼はぎゅっと閉じられ、その端には涙が浮かんでいる。なんだか悪いことをしてしまった気分になる。

 いや、したんだけど。こっそり読んじゃったんだけど。だけど。だけど。


 悪いことをしたのは、じゃんか。


「ははは、やはり宇宙の【参考書】は構成が面白いな。このを読み続けるうちに自然とそのナンタラ理論が身につくというわけか」

 

 当然それは思いっきりの皮肉であったのだが。

 

『………………』

 

 エレクトは、答えない。


「なにも言わないってことは、自らの罪を認めたってことになるぜ?」


『………………』


 答えない。


「OKわかった。だ」


『……っ! ちょ、ちょっと待ってください~』


「聞いてた話と違うじゃないか! 俺は〝トンデモ理論〟の全貌を知れると思ってお前に協力したんだぞ!」


『……うゆ……ごめん、なさい……本当は私、なんにも知らないんです』


「え?」


『たぶれっと? の仕組みですとか……【辟。闌カ闍ヲ闌カ】理論のことも』


「なんでそんな嘘をついたんだよ?」


『そ、それはっ……』


 エレクト抱きかかえていた日記帳を床に置いて、胸の前に掌をあてた。

 

『どうしても……〝恋愛〟をしてみたかったんですう……』


「だったら〝取引〟にしなくても良かったじゃないか! ふつうに頼めば俺だって、もしかしたら――」


じゃだめだったんですう!』


 そこではっきり。

 エレクトは一番大きな声を出した。

 ぽろり。大きなたれ目から涙が零れる。


「……!」


 涙は駄目だ。

 古今東西、男は女の涙に弱いものなのだ。


『時間がもう、ないんです……』


「時間?」


『【たぶれっと】の充電時間です』


「なら充電すればいいだろ」

  

『【たぶれっと】はジンさん側にあるんです~……』


「……!」


 言われてみればそうだった。


『今はあくまで、お地球にある【たぶれっと】を通じてこの場所と繋いでいるんです。電源が切れれば、ジンさんは強制的にお地球に戻されてしまいますう……』


「それで……電源が切れるまではあとどれくらいなんだ?」


『もってあと――かと』

 

 5分。あまりにも短すぎる時間だ。

 とはいえこれまでに随分と〝恋愛ごっこおたのしみ〟もしてきた。

 どうせいつか来る別れであれば。


「最後はせめて笑ってサヨナラをしたいもんだな――」


 なんて気障キザっぽく言ってみたけれど。

 

 ぽろん。ぽろん。

 まるで雨上がりの露草のように。

 エレクトの瞳から零れ落ちる涙は止まらない。

 

「お、おい! そんなに泣くなよな。俺が帰ったあとに、だれかに慰めてもらえ――って。お前、家族はいるのか?」


 エレクトは首を振る。

 そうか、辛いことを聞いてしまった。

 それなら恋人――はいないとしても、

 

「友達とか……職場の先輩とか後輩とか。だれでもいい、今日くらいは寂しさを紛らわして――」


 しかし。

 エレクトは涙を零しながら首を振る。


 ――まさか。



 俺はふと思いあたって、例の〝日記帳〟を手に取った。


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