第3話
これは夢だ。
何もかも、悪い夢なのだと正太郎は思った。
ちとせの秘密をすべて沈黙の淵へ沈め、素知らぬ顔で日々を送った。
ある日、ちとせは何故か日課にしている朝の散歩に出なかった。
正太郎たちは日曜の朝、いつも決まって涼しい時間帯に一緒に散歩をすることにしている。
「具合悪いのか?」
咎め立てるつもりはもちろんないが、自然訝しげな口調になった。
「違うの」
「部屋にこもってばかりじゃ身体に毒だぜ」
「そうじゃなくて」と、ちとせは首を振った。「友達と会う約束なのよ」
ちとせが友達の話をするのは初めてだ、と思い当たった。
「幼馴染みの子なんだけど、こないだこっちへ出てきたらしいの。それで、会いたいって連絡をもらったから」
正太郎は彼女の郷里がどこなのか知らなかった。
探りを入れるようだと自己嫌悪を覚えつつも、言わずにいられなくなった。
「俺も会いたいな」
「駄目よ。あたしは東京で真面目に学生してることになってるんだから」
「どうしてもダメか?」
「駄目」
「そりゃ残念」
正太郎は無理に笑顔を繕ったが、隠しごとをしながら能面のようなちとせの無表情に対し、名状し難い怒りが湧き上がった。
「駅前へ行くなら、昼飯のおかず買ってきてくれよな」
ふて腐れ、邪険に言い捨てると、正太郎はごろっと畳に横になった。
「はい」
正太郎の声とは対照的なしおらしさでそう答え、ちとせは鏡の前に座って髪を梳き始めた。
正太郎は仰向けに寝転がったまま、彼女の足の裏を見ていた。
「で、何かわかったか?」
正太郎はキャンパスに程近い喫茶店のボックス席で、周囲の視線を気にして声を潜め、真向かいに座った友人の柳田へ尋ねた。
「一週間ほどあちこちの図書館を回ってみたんだが」と、柳田はコーヒーをすすった。「民俗学の分野でもこういうのはな。まあ、俺もまともに大学へ出てないからでかい口はたたけんが」
「少しはわかったんだろ?」
「まあな。それにしても悪いな、メシ奢ってもらった上にうまいコーヒーまで。サテンなんて入るの久し振りだよ」
「そんなのいいから。で、どうなんだよ」
「専門的なことはよくわからんが……いいよな」
「ああ」
「じゃあかいつまんで説明するとして……確かにお前の言うような風習は存在する」
柳田の答えに、コーヒーを持つ手が震え出した。
「いつ、誰が始めたのかよくわからんのだが、こういうのはほぼ全国で行われていると言っていい。国内に限らないぜ。方法は異なるが、海外にもあるようだ。日本に限ってみても、やり方はいろいろある。よく知られているのに藁人形があるが、他にも蝋人形や泥人形、箸人形なんてのもあるらしい。とにかく対象は人間なわけだから、人を模ったものを使うのが普通だ。それ以外だと、相手の肖像に針を刺すとか、御神木に対象の持ち物を釘で打ち込むとか、名前の書かれた札を竹筒に入れて火にくべるとか、言ってみりゃ何でもありだな。要するに、この手の行為は秘密裏に行われるわけで、土俗信仰とも関わってるから、土地土地で完全に密閉されて外へ出ない。土地によって様々な方法が生み出され、その土地だけで育っていくわけさ」
「じゃあ、どの土地でどんな方法がとられたかってのは?」
「そこまではちょっとな。排他的な世界だし、調査するのも困難なんだろう。詳しい文献にはお目にかかれなかった」
「そうか」
「すまないな。代わりと言っちゃなんだが、こんなもんがある」
柳田は鞄の中から青いファイルを取り出し、正太郎の前へ開いて見せた。
様々な新聞記事をコピーした切り抜きだった。
「呪いってのは、犯罪史上では猟奇的殺人に分類されるらしい。実際ほら、こうして記事として新聞にも載ってるんだ」
すうっと血の気が引いた。
正太郎は唇を固く結んだまま、食い入るようにファイルに見入った。
「まず、こいつは昭和32年10月の青森。北津軽郡てとこで大規模な火事があった。村がまるまる一つ焼失してる。表向きは失火が原因ということになってるが、そこの村長が放火犯扱いされた。村人達はこぞって稲荷神社に藁人形を持ち寄り、それを五寸釘で御神木に打ちつけてたって話だ。こっちは秋田で、神社の松の木に名前の書かれた短冊が五寸釘で打ち込まれていたのが発見されてる。それだけじゃない。それを商売にしてた例もあるんだ」
「商売だって?」
正太郎は息を呑み、恐る恐る柳田を見た。
「ああ。金を貰って他人を呪い殺すんだと。呪術師って言うか祟り屋って言うか……バカげてるけどさ。ここに記事があるよ。ほら」
「呪術師……だと?」
正太郎は窓の外の曇り空を睨んだ。
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