第三十二話 反省会

第三十二話 反省会


『……なにか、言いたいことはあるか』

 アリスは、座り込んでいるフレデリック王太子殿下にそう言う。

「ヘレナを……返してほしい」

『そうか、では“エディランス王国の王太子”よ。代償は、そなたの生命力でいいということだな』

 淡々と語るアリスに、フレデリック王太子殿下は弾かれたように顔を上げる。顔色は真っ青だ。心なしか体が震えていた。

 それも仕方ない。目の前でモルベルトが呆気なく消え失せたのを、彼は見てしまっている。

 ――――抵抗する暇さえ与えられず、虫が人間に踏みつぶされるような、あんな呆気なくむごたらしい死を、王族たるフレデリック王太子殿下は、受け入れられないだろう。次代の国王となるべく帝王学を学び、エディランス王国の為に生きてきた。

 ただ、ヘレナと出会って、少しおかしくなってしまっただけで、王太子である誇りは失われていない。

『精霊に願い事をする場合は、その代償として魔力か生命力が必要。この国の王太子ともあろうものがそんなことも知らず、妙な嫉妬心から命を落とそうとして、部下を危険な目に遭わせて――――そなたは結局何を得た?』

「ちょっ、ちょっと! アリス! す、すみません殿下、ちょっと今彼女、混乱しているようで」

 アルバートは慌ててアリスに駆け寄ってきて、彼女の口を抑えた。

 フレデリック王太子殿下は、涙で濡れた頬を拭いもせずに再び項垂うなだれた。

「……よい。本当に……私は、何がしたかったんだろうな。己の力のなさを棚にあげて、精霊の力に頼って、彼女を懲らしめてやろうなんて……子供じみていて……どうしようもない」

『懲らしめる……か。恐ろしい思いをさせることで、自分の思い通りにしようとは……未来の国王は恐怖政治がしたいのか』

「そ、そんなことはない! 恐怖政治だなんて、国民のことは――――」

『今まで、考えたことはあったか? 一瞬でも』

「アリス、頼むからもう少し、言い方を……」

 アリスは手で口を抑えられていても、ずけずけと言い続ける。

『今年は……大寒波がやってきて農作物は不作になるぞ。考えるんだな、王太子殿下。貴族どもは食えても、平民は食えぬかもしれんぞ』

「アリスってば!」

 アルバートがアリスの肩をもって、前後に揺らす。彼女の頭がガクガクと揺れた。

「正気に戻ってくれよ! 不敬罪になるぞ!!!」

「よい……そのもののいうことは正しい。私は、自覚が足りな過ぎた……」

 と、そのとき、まばゆい光があちこちから発生した。

『失礼します! アリスは回収していきます~あとのことはケンジット公に』

 現れたのはモーレックの森の守護者。彼女は自分の蔦でアリスをぐるぐる巻きにして、あっという間に姿を消した。

 ぴょんっと水の下位精霊のウンディーネが、アルバートに『詳細はケンジット公のお屋敷で』と言って消えた。

 イフリートも戻ってきて、ルートヴィッヒにウンディーネと同じことを言って消えた。

「……行ってよい。色々と、迷惑をかけた」

 フレデリック王太子殿下の言葉を聞いて、ルートヴィッヒとアルバートは深々と頭を下げて、移動魔法でケンジット公の屋敷に向かった。

(……私は、この国の王太子……だったな)

 魔導石の砂を握りしめながら、フレデリック王太子殿下は小さく息を吐いた。

 乾ききった砂は、失われた愛情そのもののようで、一層彼を虚しくさせた。


 *********


 ケンジット公爵家の居間には、数名の精霊がいて、ソファにはアリスが座っている。

 髪の揺らめきは収まっているが、彼女の瞳はサファイヤブルーに輝く宝石のような“特別”な瞳のままだった。

 額の魔導石も緑色ではなく、虹色に変わったままだった。

 見た目の変わったアリスを正面から見た、ルートヴィッヒとアルバートは驚く。

「これは……どういうことなんだ? アリスはどうなってしまったんだ?」

『精霊王の代替わりが完了した。今日からアリスが精霊王だ』

 闇の精霊がさらりと言った。

 モーレックの森の守護者は、アリスの傍でひざまずいている。

 雷の下位精霊のヴォルトも床にちょこんと座っていて、彼の隣には見たことのない大柄な精霊がいた。彼も跪いている。

 普段ぷよぷよ浮いている水の下位精霊も床にいた。

 そこに広がる光景は王族を相手にする人間のようだと、ルートヴィッヒは感じていた。

『安心せよ。私は精霊王の魔力がこの体になじむまでの間だけ、アリスの傍にいるだけだ。そう長くは滞在しないだろう』

「……そうですか」

 ルートヴィッヒもアルバートも、精霊王の扱いに難儀していた。

 見た目はアリスなのだが、中身が明らかに別人に感じていた。どのように接すればいいかわからなかった。

「……長く滞在しないというのは、精霊時間で言うと……どのくらいですか?」

 アルバートが言うと、アリスは笑った。

『ほんの数か月だ』

 すっとアリスは、ソファから立ち上がった。

『この度は無の精霊が勝手なことをして、申し訳なかった。精霊王として謝罪する』

「……勝手……なんですか? 契約を交わしたり、魔力を貸すことはどの精霊もするのでは?」

 アルバートが聞くと、アリスは淡々と語る。

『無の精霊は他の精霊と違うものなのだ。他者の力や存在を無にしてしまう能力を持っているがゆえに、人間との接触は固く禁じられていた。契約など、もってのほかだ。この度の精霊王代替わりに乗じて、好き勝手したことは断じて許せぬ』

「どうするつもりですか?」

『冥界送りにして、精霊界に戻れなくする――――冥界とは人間界も繋がっていないからな。当分の間、冥界でおとなしくしていてもらう』

「……ヘレナと、モルベルトは……その……」

 けして感情的に好きな人物ではなかったが、アルバートは彼らの行く末を気にした。

『彼らの魂は冥界に送られた。未来永劫、冥界に留まり続けるだろう』

「転生はできないということですか」

『そのとおりだ』

 アリスが前世でされたこと――――モルベルトは特に、彼女を殺した張本人だ。ある意味、相応しい罰なのかもしれない。アリス自身も、死んでもいいが、二人との悪縁は絶ちたいと言っていた――――が。

「それは、精霊王の私的な感情からのものですか?」

『私的、とは?』

「本当はもっと早く、精霊王の代替わりが出来たのに、わざと遅らせたり――――とかです」

 ふむ。とアリスは少し考える様子を見せる。

『精霊王の種が芽吹き、完全体になるには条件があった。まずは前精霊王わたしの死。そこから儀式として、全精霊が精霊界に集まっていなければならないこと、精霊王の魔力の移動に精霊たちの力が必要だったからだ。だから、儀式には力を無にすることしか出来ない無の精霊は不要だったのだが……早く代替わりを行うには、私の死が必要だった。そなたは、私に死のコントロールをするべきだったと言うのか? 早く死ねばよかった……と?』

 ふふっとアリスは笑う。

 そこには彼女の怒りの感情は見えなかったが、アルバートは慌てて首を左右に振った。

「い、いいえ。そんなことは思いません」

『死の何年か前は魔力が自分のものではなくなっていくようになる。満たされていた水が枯れていくように。自分の魔力が、他者へ移動の準備を始める……そこに私の意思など関係ない。人が勝手に老いていくのと同じなのかもしれない』

 アリスは小さく息を吐いた。

『一部の精霊が好き勝手やっているのは、知っていた。だが、知ることしかできなかった』

「他の精霊に命じて、森の守護を続けるようにさせるとかは、出来なかったんですか?」

『精霊王の死は、精霊にも誰にも、知られてはならない。蒔いた種が刈り取られてはならないからだ。精霊の中には種を狩りたがるものもいる――――そういう意味で、アリスの心臓に刺さっていたものは針ではなく種ではあったのだが、死が隣り合わせであるという意味では、呪いと変わらない』

『……呪いではなく……選ばれし印、だったのですね……』

 自分の知識の間違いに、しょんぼりとした様子でモーレックの森の守護者が言う。

 呪いだと思い込んで、闇の精霊もケンジット公も巻き込んでしまったのだ。

 彼女は責任を感じていた。

『知らなくても仕方ないよ、アテナ。精霊王の代替わりに関しては秘密にされていることが多い』

「あの……でも、もしも、精霊王の種を刈り取られてしまったら、次代の精霊王は誕生しないんじゃないですか? それを、精霊がするんですか?」

 アルバートが尋ねると、アリスは頷いた。

『混沌や破壊を好む精霊はいる。精霊王は大きな役割は担ってはいないが、存在するのとしないのとでは大きく違う。だが、代替わりは無事に完了した、安寧は保たれる。魔力もアリスが吸収した。種も芽吹き、彼女に根付いた。もう誰にも刈り取れない』

「……アリスは、これからは精霊界で生きなければならないのですか?」

 それまで黙っていたルートヴィッヒが口を開く。

『いや、彼女はもともとは人間なのだから、人間界で住めばいい。精霊界で住むことも可能ではあるが、それは彼女の気持ちしだいだ。人間界にいても、精霊王ともなれば精霊界のことも冥界のことも、情報は勝手に入ってくる』

 アリスは額の魔導石を人差し指で、トントンと叩いた。

「今まで通りの暮らしは可能ですか?」

『今まで通りに暮らせばいい。ただし、今後は精霊に願いは出来なくなる」

『な、なんと――――』

 思わず、モーレックの森の守護者が言葉を漏らす。

 アリスはフッと笑った。

『故に、精霊王は孤独でもある。出来ぬことは何もない――――だが、なるべく何にも関わらないのが精霊王の生き方だ……まぁ、それでも、他者の力が必要だと思うことがあれば、他者に使わせた分の精霊王の魔力を下賜するだろう』

「では、逆に精霊王の力が必要となった場合は、他の精霊との掟と同じですか?」

 アルバートが訊ねると、アリスは首を傾けた。

『うーむ、何かを望まれたことがこれまでないからな、どうだろう。魔力は溢れるほどあるから、わざわざ他者のものをもらう必要性を感じないしな……』

 ルートヴィッヒとアルバートは、顔を見合わせた。

「つまりは……」

「ただ働きが可能だと」

 ふふっとアリスが笑った。

『そなたたちが、この娘にそれを望めるのであればそうすればよい。そなたらが考える以上に精霊王の魔力は偉大であり無限だ』

 居間の扉が突然開かれた。

「アリス! 無事か!」

 ケンジット公が、アリスのところまで息を切らせて走ってきた。

『アリスは無事だ。呪いも最初から存在していない。安心しなさい、ケンジット公』

「……あなたは……?」

『私は精霊王だ。今後も可愛い娘のため、尽くすといい。せっかく“この世でも”巡り合ったのだから、彼女に自分のことを、話してやってもいいのではないかな』

 ケンジット公が苦笑する。

「隠すつもりは、なかったのですが……」

『私がアリスの願いで最初のうちに教えたはずじゃが……』

「「え?」」

 モーレックの森の守護者の言葉に、居間がシーンと静まり返った。

『アリスが、一度くらい、本当の父親とやらに会ってみればよかったかな、とか念じて(考えていただけ)いたから、私が願いを叶えたのじゃが』

「……私は自分が前世の実父であったという告白は、してないぞ」

 ケンジット公が言うと、モーレックの森の守護者が蔦をうねらす。

『会ってみればよかったと言った後に、そなたが部屋に入ってきたのじゃから、アリスはわかっているだろう』

「……いや、それ、絶対無理、わかるわけねーよ。ケンジット公は前世のアリスのお父様だったのですか?」

 アルバートが聞くと、ケンジット公は静かに頷いた。

「母親に引き取られて、それ以降、一度も会うことが許されず、向こうが行方不明になってしまった……何が何でも私が引き取ればよかったと……あの子が亡くなったニュースを見て思った。何故、あの子があんなむごたらしい殺され方をされなければいけなかったのかと。告別式で……次は必ず、私が幸せにすると誓ったよ」

『……うむ』

 モーレックの森の守護者が大きく頷く。

『……ケンジット公、闇の精霊を使うのはもうやめなさい。契約は私の権限をもって解除だ。そなたもアリスのために、一分でも一秒でも長生きせねばならない。ルートヴィッヒも、イフリートとの契約は解除だ。もともと呪いのためのものだったのだから必要ない契約だろう』

「ありがとうございます……精霊王」

 ケンジット公とルートヴィッヒは頭を下げた。

『ちょっ、契約解除はいいけど、我はアリスの傍にはいてもいいんだろう? 自由意志で!』

 闇の精霊が慌てたように口を挟んでくる。

『ふむ、それはいいだろう。どうだケンジット公、闇の精霊を婚約者候補に入れるというのは』

「「ええ!?」」

 ルートヴィッヒとアルバートが不満げな声を上げる。

「……精霊王がそう仰せなら。闇の精霊にも長いこと、アリスを守ってもらった。感謝してもしきれない……」

「って! ケンジット公~」

 アルバートは、ライバルが増えたことに肩を落とす。

『自信がないのか?』

 ふふんと闇の精霊が、嫌な笑い方をする。

「自信はあるさ!」

「ほぅ」

 三人の男たちの間に火花が散った。

 アリスは微笑む。

『それでは、私は姿を潜ませるとしよう……』

 すとん、とソファに腰かけて、アリスは瞳を閉じた。


 皆、アリスの目覚めを、嬉しそうに微笑んで待った。


 帰っておいで、アリス――――と。


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