第三十話 ウンディーネの恋バナ

 ――――その夜。

 ヴォルトが直ちに戻ってくることはなくて、ウンディーネはアリスの部屋で一緒に寝ることになった。

 ぷよよんとした彼女の体は、ちょっと温かいゼリーのようだった。

「水の精霊さんは、どうして他の精霊と違って、人の形をしていないの?」

 アリスが聞くと、彼女も人の形になるときもあるという。

『人間の形にもなれるんだけど……今は、恋も人間との結婚も疲れちゃって、休憩中なの。人間と結婚しているときは、人間っぽい魂が与えられて、そのときは人間の形にならなきゃいけないんだけどねぇ』

「え、精霊さんって人間と結婚できるの?」

『どの精霊もそぉだよぉ~。プルートー、あ、闇の精霊ね。あの人、アリスちゃんのこと好きみたいだしぃ』

「またまた~。好きだなんて……」

『だって、プルートーの魂の指輪をアリスちゃん、つけているじゃない。魂の指輪を贈るなんて、よーっぽどよぉ』

「……そんなに大事なものなの? 返すべき?」

『もらっときなよぉ。今はアリスちゃんがプルートーをなんとも思ってなくても、そうじゃなくなる日が来るかもだしぃ』

(え。僕が精霊に恋なんて、するか?)

 人間相手にすら、恋心を抱いたことがないのに、初恋が精霊とかあり得るのだろうか? とアリスは思った。

 過去に結婚はしたことはある。細かいことはまったく思い出せないが、皇帝時代、その後----何度か転生を繰り返す中で、結婚して、子供もいた。だが、奥さんの顔も子供の顔も思い出せない。よって、そのあたりの感情も思い出せないのだ。

「……恋に疲れるって……、恋って辛いの?」

 アリスが聞くとウンディーネはちょっと考えてから、答えた。

『私の相手は……いつも、駄目なのよね。浮気したり、不貞を働くから。水の精霊の掟でね、不貞を働いた人間は殺さないといけないの』

「……え、そうなの?」

『うん----そのことを知っていて結婚したのに、なんで人間って浮気するのかなぁ。バレないとか思うのかなぁ』

「それは、辛いね……」

『精霊の掟は絶対だから、私の中で、許したい気持ちがあっても……駄目なのよねぇ』

「……そうか、辛いこと思い出させるような話を聞いてしまって、ごめんね」

『いいのいいの、人間との恋も長い年月のうちの一瞬だから。それに恋は辛いだけじゃないし……嬉しい日も楽しい日も、幸せな日もあるもの』

「そう」

『アリスは誰が好きなの?』

「えっ! だ、誰って?」

 突然振られて驚いていると、興味津々といった感じで、ウンディーネがこちらを見ている。

『ルートヴィッヒでしょ、アルバートでしょ、プルートーでしょ、いい男揃いよねぇ』

「ルートヴィッヒとアルバートは子供の頃からの婚約者候補ってだけで……闇の精霊さんにいたっては、最近出会ったばかりだし……」

『あらぁ、恋に落ちるときは一瞬っていうのに、アリスはのんびり屋さんなのね』

 アリスは苦笑した。

「なんていうか……恋する余裕がないのよね……きっと」

『呪いのせい?』

「……そうね。それもあるけど、今の私の中には、前世の記憶が色濃く残っていて……だから、誰かを好きになる余裕なんてないのよ」

 ヘレナはいったいどう思っているのかわからなかったが、モルベルトの彼女への執着心は、恋だの愛だのという簡単な言葉では済まされないものがあるような気がした。

(……でも、彼が追いかけているわけでもないのよね)

 転生の順番は、モルベルトのほうが必ず先だ。ヘレナのほうが後から生まれる。

(今生でも……このままいけば、ヘレナは王太子と結婚する。モルベルトはどうするつもりなのだろう)

 それ以前に、ヘレナは得体の知れない魔導石の中に閉じ込められている。

 ガレリアの森のこともそうだったが、ヘレナのことも急がなければ、魔導石に取り込まれてしまう。

(でも、いったい誰がそんな真似をしたのか)

 ヘレナに恨みがあるのか、それとも王太子なのか、モルベルトなのか――――――。

 ヘレナは閉じ込められてしまっているから、自分では何もできないだろう。

 王太子はそもそも魔力がない、普通の人間だ。

 暴走が怖いのは、やはりモルベルトだ。

(……どうしてヘレナを犠牲にしてまで、モルベルトを狙う? あー、全然わからない!)

 隣で寝ているウンディーネは、すやすやと寝息を立てて眠ってしまっている。

(……恋をするのも、命がけよね)

 彼女が言ったように、ウンディーネと結婚するときに不貞は命を失うことだとわかっていて、どうして相手の人間は不貞を働くのだろう。

(もう考えるのはやめだ! 明日もやることは多いんだから寝ておかなきゃ)

 アリスは無理やり眠りの魔法で、自分を眠らせた。



*********



 翌日。朝食の時間になっても、ヴォルトは戻ってこなかった。

 すぐに戻ってくるとアリスは思っていたのだが、雷の精霊たちとの話がまとまらないのだろうか。

「朝食を済ませたら、西の宮殿へ向かうよう、国王陛下からのご指示だ」

 食事の間にはケンジット公がいた。

「はい、お父様」

「……くれぐれも、気を付けるように。いくらお前には、闇の精霊や土の精霊がいても……得体のしれないものが相手だ。慎重になるように」

「はい、お父様」

『アリスはお出かけなのね』

 ウンディーネが言う。

(ヴォルトはいったいどこに、一番に戻ってくるつもりかな)

「……お父様。水の精霊さんは一度戻っていただいたほうがいいでしょうか?」

「……うむ、そうだな……」

「ごめんなさいね、せっかく来てもらったのに、本当に呼んだだけになってしまって」

『また何かあったら、呼んでくれればいいよぉ。じゃあ、またね』

 ウンディーネは光り輝いて、やがて輝きが消えた。

「……アルバートが迎えに来てくれる手筈になっている。彼と共に西の宮殿に向かいなさい」

「……? はい、お父様」

 先ほどはアリスだけで向かうような口ぶりだったので、少々驚いた。

 それに気が付いたのか、ケンジット公は苦笑する。

「属性のあう人間に、惹かれやすいと聞くからな。水の精霊は」

「あ、そうなんですね」

 ウンディーネの前でアルバートが来ると言うのを避けたのは、ウンディーネがすんなり帰らないかもしれないと、ケンジット公が思ったからなのだろう。

 恋はお休みだと言いながらも、恋に落ちるときは一瞬だとも言っていた。

(アルバートとウンディーネか……)

 アルバートは誠実そうで、不貞など……しない……と思いたい。

(僕は、その辺の感覚がわからない)

 好きだと言っていても、別の女性とも付き合いたくなる感覚が。

(それ以前に、恋愛ってものが、僕にはわからないからなぁ)

 朝食を食べ終えたタイミングで、アルバートがやってきた。

 アリスはケンジット公に挨拶をし、アルバートと共に今日は馬で西の宮殿に向かう。

「先にルートヴィッヒが行っている」

「……私たちに、ヘレナを助けられるかしら……」

「そうだね、モーレックの森の守護者次第かな……彼女がうまく犯人を引っ張り出してくれると助かるのだけど」

 白馬をしばらく走らせてみても、モーレックの森の守護者から返事がない。

(あれ?)

『そばにいないようだぞ』

 闇の精霊がアリスの体内から声をかけてきた。

「い、いないって、どういうこと? あれ、屋敷においてきちゃったの?」

 アリスとアルバートは、馬を止めた。

「え? モーレックの森の守護者いないのか?」

「う、うん。闇の精霊が、傍にいないって」

 こんなこと、今までなかったのに――――――。

「……ど、どうしよう……」

「……闇の精霊はアリスから離せないし……火の聖獣はそういう繊細な魔法は使えないだろうし……まいったな……取り敢えずルートヴィッヒが待っているところまで、魔法で移動しよう」

「う、うん」

 アルバートの移動魔法で馬ごと、西の宮殿近くまで移動した。

 そこにはルートヴィッヒがいる。

「結局魔法できたのか?」

「大変なんだよ、モーレックの森の守護者がいない」

「え?」

 ルートヴィッヒがアリスを見ると、アリスは静かに頷いた。

「いつからいないのか……わからないんだけど」

『職務怠慢だな』

 闇の精霊がぼそりと言う。

「……な、なんだろ……急にいなくなるなんて今までなかったのに」

『ヘレナにこき使われていただろ? 気が変わったんじゃねぇの?』

「モーレックの森の守護者はそんな無責任なことはしないわ……多分……きっと……」

 普段軽口を叩くけれど、約束を守らなかったことなど一度もない。

「……何かあったのかもしれないが、モーレックの森の守護者がいなければ、魔導石の持ち主を宮殿に呼び込むことはできない」

 ルートヴィッヒが言うと、アリスが質問を投げかけた。

「昨晩の召喚魔法みたいに、呼び出せないのかしら……」

「召喚魔法は呼び出す対象がわかっているから、呼べるのであって……」

「……モーレックの森の守護者はどうやって、呼び出そうとしたのかしら……」

『どうやって?』

「精霊が使う魔法も、人間が使う魔法も、力の差はあっても種類は似ているのでしょう?」

『だが、アリスとモーレックの森の守護者との魔法の実力差は、天と地ほど開いているのは、わかるな? それは、アルバートでもルートヴィッヒでも同じ。生きてきた年月が違うんだ』

「……う、うん」

 アリスは俯いた。

「仕方ない、作戦を変えなければいけない……いったん陛下に相談しよう」

 ルートヴィッヒの提案で、一同は王宮へと向かった。

(……どうしちゃったの……精霊さん……)

 アリスは不安で堪らなかった。

 そして自分がモーレックの森の守護者に、すっかり依存していることにも気付かされ、余計に不安になった。


 

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