第二十八話 精霊界の意外な事実

 少し前から感じていたことなのだが、何か大事な話をしていたり、考えたりしているとき、決まって精霊がトンデモ発言をして、人間側はそちらに気を取られて、結局うやむやになっていることが多いような気がしていた。

(精霊って、人間の心が読めたりするのかな)

 魔法でも上級クラスになると他人の心がわかるようになるというから、精霊なら容易いことなのかもしれない。

 アリスは、そろりと手を挙げた。

「どうした? アリス」

 ケンジット公が口を開く。

「発言のお許しをくださいませ」

「あぁ、自由に発言してくれてかまわんよ」

「……ありがとうございます。それで、結局のところ、ヴォ……雷の精霊さんは、他の精霊さんが悪戯に人間に力を貸して遊んでいるかどうかは、わからないということでいいのでしょうか?」

 アリスが聞くと、ヴォルトは不満げな表情を浮かべた。

『わ、わからないって言えばそうだけどよ。さっきも言ったけど、トール様は厳しい方で、そんな勝手に人間に力を貸すなんてことをするのは、雷の精霊たちの掟を破るようなものだ。きっついお仕置きがあるのがわかっていて、単なる遊び程度で、力を貸すバカはいねぇのは確かだよ』

「そうですか、失礼な言い方をしてしまって申し訳ございません。こちらも切羽詰まった状態なものでして」

 アリスが恭しくヴォルトに言うと、葡萄を食べていた彼は少し考えるような表情をした。

『まぁ、いいけどよ。でもなんで雷の精霊が疑われたんだよ?』

 事情をかいつまんで話をすると、ヴォルトは首を傾げた。

『微量な電気を使える精霊って、別に雷の精霊だけじゃないと思うけど。星の精霊や光の精霊あたりも、人間が静電気と感じる程度の力は貸せるだろうし、そもそもターゲットがアリスひとりなら、それは人間に悪戯して遊んでいるっていう、レベルのもんじゃねぇよーな気がするんだけど』

「……では、この度のことは、精霊は無関係だと?」

 アルバートが聞くと、ヴォルトは首を振った。

『ちげーよ。もっと、大きなこと。一見、そのモルベルトとアリスの小競り合いのようだけど、本当はもっと違うところに目的があるんじゃねぇのって、感じるんだけど』

「私と、モルベルトだけの問題だけじゃないってこと?」

 ヴォルトは眉根を寄せて、巻き毛の金髪をクシャクシャにした。

『うううう。これ以上はわっかんねーよ。そういう感じがするってだけ。ここんとこ平和すぎて、隠居っぽくなっちまっている上位精霊が多すぎるし、精霊王はもうここ何千年姿を現してねぇし。地の精霊アテナや闇の精霊プルートーや火の精獣イフリートも、人間との契約があるから仕方ねーけど。精霊界の方にも目を向けた方がいいんじゃねぇの?』

『ふぉおおおおおおおお! そう言われれば、私もモーレックの森の守護者業務(?)が多忙すぎて、精霊王にお会いしておらぬ!』

『そう言えば、我もだな。わざわざ集会みたいなものがないから、他がどうしているか、気にしたこともなかった』

「……ねぇ、それって大丈夫なの」

 アリスはやや呆れた様子で言う。

 精霊王に誰も何千年もあってないとか、人間の世界だったら一か月国王と誰も会ってなければ一大事だ。事件だ。

「精霊界の二番手って誰なの?」

『二番手なんておらぬ』

 けろっとした様子で、モーレックの森の守護者(アテナ)が言う。

「え? ちょっと待って、精霊王に何かあったら、だれが精霊界をまとめるの?」

『なんかあったことなど、なかったからのぉ』

「気づいていなかっただけじゃなくてぇ!?」

 アリスはイラっとして、思わずテーブルを叩いた。

「……アリス。気持ちはわかるが、レディの行いではないぞ」

「す、すみません。お父様」

(え、何? 精霊ってバカなのかよ?)

 なんだか眩暈がしてきた。

 彼女らに命を守ってもらっている、己の身を恨めしく思えた。

(いやいや、くじけちゃ駄目だ)

「モーレックの森の守護者が、この精霊は強いなぁって思うのは誰?」

『強い? ……うぅむ』

「他の精霊たちが、この精霊の言うことなら聞くだろうっていう精霊は?」

 ルートヴィッヒが、重ねて質問をする。

『強さを聞かれてしまえば、相反する属性のイフリートと答えるしかない。言うことをきくことができる精霊は……ううむ』

「……いないのね……」

「……精霊は本来、プライドが高く、他人の言うことを聞くような種族ではないのだ。だからこそ精霊王は王として唯一で、二番手がいないんだろう」

 ケンジット公が言う。

「精霊王が不在で、何か困りごとはあるのかね?」

 ケンジット公がヴォルトに聞く。

『今のところは何もないようにみえているけど、トール様の雷の精霊たちに厳しくしているのは、そういう、何かがあるからなのかなって考えちゃうね』

「精霊界のことは、その力を借りている我々にとって他人事ではない。だが、優先事項はアリスの呪いの解除だ」

 ケンジット公が言うと、モーレックの森の守護者が頷く。

『勿論、わかっておる』

「あと……不本意だけど、ガリレア伯爵令嬢のことも、なんとかしないと、王太子が大変なことになる」

 アルバートが大仰にため息をつく。

『ガリレア伯爵令嬢って?』

 ヴォルトが聞いてきた。

『なんじゃ、人間のことを気にするなんてそなたらしくもない』

『なんか、どっかで聞いた名前だなって思っただけだ。力は貸さないぞ!』

『ガレリアの森と勘違いしているのでは?』

 闇の精霊が言うと、あぁとヴォルトは頷いた。

『守護者がどっか行っちゃって、樹の精霊のエントが嘆いていたやつかぁ。雷の精霊の間でもだいぶ噂になっていたな。ヤバいって』

「ガレリアの森の守護者がいないって?」

 ルートヴィッヒが尋ねると、ヴォルトは素直に答える。

『生の精霊(デメテル)が守護者だった筈なんだけどね。長いこと留守にしているって話だよ』

「……守護者が不在の森に入るというのは……」

『相当、危険じゃの……魔物や悪戯好きの精霊たちに荒らされていると思うぞ。むぅ、ガレリアの森の守護者はデメテルじゃったか』

『娘のペルセポネが冥界から戻ってきた時期から、姿を見せなくなったみたいだよ。この世界は、精霊たちの力がなくても、たいして揺るがない世界になってしまっているから、森を守っているより、娘と一緒にいるほうがよくなったんだろうね』

「……ちなみに、娘さんはどちらに……?」

 アリスが聞く。

『今は冥界だよ。死の精霊ハーデスの奥さんだからね。こっちに来られる時期は、決められているんだよ。だから、ペルセポネが冥界に帰らなければいけないときに、もしかしたら一緒に行っちゃったのかも』

「雷の精霊を呼んだみたいに、生の精霊を呼び出せないの?」

 アリスが聞くと、モーレックの森の守護者が左右に首を振った。

『いるのが冥界となると召喚魔法はあの地までは届かぬ。この地と冥界は別世界と思ってくれてよい』

「電話みたいにお話することも無理なの?」

『世界が違うからの』

(冥界……)

 アリスがぼんやりとしていると、アルバートが言う。

「冥界に行くのは駄目だからね! 帰ってこられなくなるよ!」

『行きたいって言って、行けるとこでもないよ』

 と、ヴォルト。

「じゃあ、何故、生の精霊は行けるんだ?」

 ルートヴィッヒの問いかけに、ヴォルトはうーんと唸ってから。

『ペルセポネがハーデスに許しを請うた、とか?』

「死の精霊と話をするのは――――」

『世界が違うから、無理』

「娘さんがまたこっちに来るのは、いつ頃?」

『いつも母親に会いに来ていたから、こっちに居ないんじゃ、来る理由なくね?』

「うぅーん、じゃあ、誰か死の精霊さんと仲が良くて、こっち側の世界にいる精霊さんはいないの?」

『空間の精霊のゼウスが兄ちゃん。時間の精霊のクロノスが父ちゃん。でも、どっちもハーデスと仲良くはないし、人間に力を貸してくれるような精霊でもないよ』

「打つ手なしじゃねーかよ」

 アルバートがため息を付くと、ヴォルトが思い出した! という表情をする。

『あ、そうだ! 大事なことを思い出したよ。ハーデスの弟で、デメテルの旦那! 水の上位精霊ポセイドン』

「あ、なんかすげー名前出てきた……」

 アルバートがポツリと言う。ちなみに彼は水の属性である。

『すげー強いよ! ゼウスの次か同じくらい。ゼウスよりは協力的かもだけど、彼の愛人がポセイドンにべた惚れで、いつどんなときでもくっついてくる。召喚したら、多分、一緒に来るよ!』

「その……愛人さんって、どなた?」

『メドゥーサ』

 石にされるじゃないか。とその場に居た全員が思った。が、ひとりだけ指をパキポキ鳴らしている人物がいた。

『ほぅ、メドゥーサ。久しぶりに聞く名前じゃの』

「え? モーレックの森の守護者は知り合いなの?」

『私の沢山有る屋敷のうちのひとつで、勝手にポセイドンとイチャコラしておったから、怪物の姿に変えてやったのじゃ。しかも私の髪より自分の髪のほうが美しいとぬかしおったから、髪を蛇にしてやったわ。ふぉふぉふぉふぉ!』

「ちょっ……あの……」

『この私に出来ぬことはないのだ』

 いやいや、怪物作ってどうすんの? とアリスは思った。

『呼ぶか? やつを』

「やーめーてー!」

 アリスは慌てて叫んだ。

『メドゥーサがこなければ、けっこういい交渉相手なんだけどな。ポセイドン』

「……とりあえずさ、水の下位精霊にきてもらうってのは、どう?」

『ウンディーネたんかぁ。今、どんな状態なんだろうなぁ』

(ウンディーネたんって……しかも、ヴォルトってどんなだけ情報通なんだよ)

 彼の“どんな状態なんだろうなぁ”という言葉に引っかかりを覚えつつも、アリスはモーレックの森の守護者にウンディーネの召喚をお願いした。

『うむ。彼女の好物はなんじゃったかのぉ』

「……詠唱だけじゃ呼べないの?」

『実は召喚は少々苦手でな。ふぉふぉふぉ』

「――――じゃあ、俺がやってみるよ」

 アルバートが言った。

 そういえば王国きっての魔法使いだったな、とアリスは思った。目の前に精霊がいるとつい、彼女たちに頼ってしまうが、自分たちでも同じように出来ることはあるんだということを、すっかり忘れていた。

 必要以上に魔力を精霊に捧げなくてもいいように、魔法の力を磨いてきたのに情けない。

「……来てくれよ、水の精霊」

『ポセイドンは呼ぶなよ』

 ぽそっとヴォルトが言うものだから、その場の全員が固まった。

「どうしろってんだぁあああああ!」

 人間が名前を呼ぶのは契約に関わることであるから、ピンポイントでウンディーネとは呼べない。

「私がやってみよう」

 ルートヴィッヒの言葉に、ヴォルトは首を振る。

『ポセイドンって好戦的でさ、だから力もあるんだけど、イフリートを持っている君が水の精霊の召喚魔法を使ったら、ポセイドンが喜んで来ちゃうと思うよ』

(な、なんだそれは……)

 なんだかんだでポセイドンしか来る気がしない。

(うーん……あ、でも)

『やはり、ここは私が……えーっと、メロン? 葡萄? りんご???』

 フルーツの盛り合わせの前でまごまごしている、モーレックの森の守護者に、アリスが言う。

「私がやるわ」

『そなた詠唱できるのか?』

「さっき聞いていたから大丈夫。雷の精霊の部分を水の精霊に言い換えればいいのよね」

「アリス、私がやろう。おまえではまだ未熟だ」

 ケンジット公が言うと、アリスは微笑んだ。

「ここは私が一番ふさわしいんです。地の精霊に祝福を受けた私が水の精霊を呼んで、上位の精霊が来る筈がありません。“カノジョ”が嫌がるに決まっています。だから、来るのは下位の精霊」

 アリスは立ち上がり、水の精霊の召喚魔法を唱える。

 やがて大きな光の玉が空中に浮かび、光が弾けた。

『……私を呼んだのはそなたか?』

 食事の間がシーンと静まり返った。

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