第二十五話 幸せを思うとき
メイドたちが紅茶やお菓子を、アリスの部屋に次々と給仕してくる。
そんな中、アリスが精霊に聞いた。
「私たちはガレリアの森には、いつ旅立つ予定なの?」
それを聞いた、メイド頭のリリーが笑う。
「旅立ちの前に、社交界デビューのための夜会がございますよ。まったく……いくらお嬢様の命に係ることとはいえ、お嬢様は公爵令嬢であって、冒険者ではないんですからね」
「でも、嫌なことは早く済ませてしまいたいじゃない? 時限爆弾を抱えて過ごすのって何だか嫌だわ」
『それを抑えてきたのが、我なのだが』
闇の精霊が得意げに言うと、リリーがこの人はどなた? という顔をした。
「あ、リリーこの方は闇の精霊さんで、私が生まれた時からずっと呪いの発動から守ってくれていた精霊さんなの」
「まぁ、それは……お嬢様がお世話になりまして……」
リリーが深々と頭をさげる。
『なに、気にすることはなにもない。アリスは私の運命の魂。言うなれば
「つ、番!?」
そこにいた闇の精霊以外、全員が大きな声でそう言った。
「お、お父様からは何も聞かされておりませんが……」
アリスが恐る恐る聞くと、闇の精霊は不思議そうな表情をする。
『いちいち、ケンジット公の承諾がいるのか?』
「私のお父様ですから……保護者ですし」
リリーが苦笑しながら、カップに紅茶を淹れていく。
『ふむ……まぁ、ケンジット公は我と精霊契約を交わしているからな』
「精霊契約!? 名前をもらってどうのっていう契約のこと? 闇の精霊はお父様を乗っ取るつもり?」
アリスがまくしたてると、闇の精霊が掌を彼女のまえで立てた。
『取り合えず、落ち着け。精霊契約は中にはそういったものもあるが、我は興味がない』
「じゃ、じゃあ、お父様をどうこうしようっていうものではないのね」
『精霊の力を使うことでの……代償は勿論あるが』
アリスは不安そうな顔をした。
今生ではたった一人の肉親だ。親戚もいるにはいるらしいが、遠いところにいるらしく、今まで会ったことはなかった。
(前世では家族が何人いても、何もかんじなかったのに……お父様は何故か特別な人だ。失いたくない)
『我が番であるのだから、ケンジット公と共にいつまでも仲良く暮らせばいいではないか』
闇の精霊は見かけによらず、呑気だ。
「あの……私には婚約者候補が三人いるんですよ」
『ほう、三人もおるのか。さすが我が番だな。あぁ、だがなにやらそのような話を少ししている男がいたな』
「……ええと……さすがとかいうお話でもなくて……」
闇の精霊の話は取り留めがなくて、どこから突っ込めばいいかわからない。
『それで、どういう基準で正式な結婚相手を選ぶつもりだ? 金か? 権力か? 自分を一番愛してくれる男か?』
アリスの喉の奥がひゅっと鳴った。
自分を一番愛してくれる男――――
アルバート?
ルートヴィッヒ?
ありえないが、モルベルト?
今まで家同士の結婚と考えていたので、自分自身に対しての愛だのどうのということは、選択肢から除外されていた。
『我が一番、そなたを愛するぞ。何せ、命をかけてそなたに尽くしている』
「で、でも、あなたは精霊で……命がけなのも主たるお父様の命令だからでしょう?」
『命令――――も、確かにあるが。それから精霊かどうかなんてそんなもの、なんの障害にもなりはしない』
にやりと闇の精霊は笑った。
その笑顔が高慢そうでもあり、けれども愛情に満ちた表情にも見えて、アリスはドキドキしてしまった。
(な、なんなんだよ――――)
『顔が真っ赤だな、
「あんまりお嬢様をからかわないでくださいませ! お嬢様は今まで殿方とはお付き合いというものをしたことがないのですから!」
リリーが大きな声でそんなことを言い出す。
(リリー、やめてくれぇ)
『そんなの、我が一番よく知っている。我は普段、アリスの中にいるのだからな』
「……一心同体……なのですね」
ぼそっとリリーが言う。
(やめろやめろって)
アリスの顔が熱くなって、額に汗が滲む。
(でも)
こんなとき、アルバートやルートヴィッヒがいたら、どんな反応をしてくれるんだろうか。と少し思ってしまった。
(――――あぁ、でも……変なブチ切れ方しちゃったからな。今頃ひいているかもな)
ふっとため息をついた。
今までの“アリス”は令嬢らしい娘だったろう。
そのうえルートヴィッヒには中身は男だとか、相手からすれば意味のわからないことばかり言っている。好かれる要素があるとは思えない。
大きな得――――となるのは、次期ケンジット公爵領の領主になれること。
(好かれるために、なにかしたことなんて、ないからな……)
それなのに、爵位のせいかこちらが、結婚相手を選ぶ側なのだ。
こういっては悪いが、なんだか面倒だ。
「……結婚ってしなきゃいけないものなのかな」
ぼそっと言うと、リリーが驚いた表情をする。
「も、勿論でございますよ、お嬢様。ケンジット公にお孫様のお顔を見せてさしあげなければ」
「跡取りってことよね」
「いいえ、ケンジット公はお嬢様がお子様をお生みになるのを、とても楽しみにしているのですよ」
(えぇ、だって僕は十六歳だけど……)
生めない年齢ではないだろうけれど。
ふっと、嫌なことを思い出した。
妹が妊娠した時の話だ。
彼女は中絶のことしか考えていなかった。やっぱりあのとき、母には相談すべきだったのではないだろうか。
(……いや、まさか……な)
妹はヘレナで、義理父はモルベルトだ。実の娘としても(これまでどんな立場同士だったかもわからないが)力関係では、前世はヘレナを自由にするには丁度いい。
吐き気がした。
そして、体調の悪さもあって本当に吐いてしまった。
「お嬢様、大丈夫ですか? 今、お医者様を呼んでまいります」
リリーが慌てて、部屋を出ていく。
「……精霊さん……」
『我か?』
紛らわしい。闇の精霊じゃない。
「いや、モーレックの森の守護者」
『ベッドを綺麗にすればいいのか?』
「え、あ……そうね」
モーレックの森の守護者は掌から光を出して、汚れたベッドを綺麗にした。
『魔法でも綺麗にできたんじゃないのか?』
闇の妖精がそう言うのを聞いて、また無駄に魔力をとられたとアリスは思った。
『……あんまり聞きたくないことなんだけど……前世の話』
『あぁ、本当に珍しいことを聞いてくるな、なんだ?』
「ヘレナは妊娠していた。そのときの父親はモルベルトか?」
モーレックの森の守護者は少しだけ、考えるような表情をした。
『それを聞いてどうする?』
「……どうする?」
どうするかまでは考えていなかった。ただ単純に知りたいと思っただけだ。
『ヘレナは複数の男と付き合っていた。そのうちの一人がモルベルトだった』
「複数?」
(そのうちの一人が父親のモルベルトなのか?)
『そういう娘だったろう? 昔っから。一人じゃ満たされないんだよ。彼女は』
「……そうか」
『ふむ。だったら、アリスも選ばなければいい。我は心が広いから、アリスに何人夫がいてもかまわんぞ』
突然闇の精霊が言う。
モーレックの森の守護者はあきれた表情をした。
『そなたが……心が広い、だと? 例えば結婚したとしても、年がら年中アリスの中に入り込んで、他の夫に近付けさせないだろう。だいたい候補じゃなかろう』
すうっとアリスの部屋の空気が変わった。
清涼感のある感じ――――これは……
「お父様!」
ケンジット公爵が医者と共に入室してきた。
彼がいるといつも感じる、爽やかな風のようなもの。
おおよそ、闇の精霊の主とは思えない。
「アリスよ、体調が悪いってことだが。大丈夫か?」
額にケンジット公爵の掌があてられるだけで、体が楽になるような気がした。魔法の一種なのだろう。
(そういえばルートヴィッヒも、私を癒してくれた)
「そうでなくても呪いを抱えているんだ。あまり無理をしてはいけないよ。闇の精霊もそろそろアリスの体内に戻ってもらえないかな」
『承知しました』
闇の精霊の姿が消えて、アリスの体が一瞬光った。
「教えていなかったが、闇の精霊にも呪いの一部を負担してもらっているんだよ」
「……それで、お父様は大丈夫なのですか? 魔力の代償が必要ですよね」
「私は大丈夫だよ」
「……嘘偽りは、ないですか?」
「心配性だな。私はアリスに嘘は言わない」
アリスはほっとした。
唯一の肉親である彼を、自分のことで失いたくない。
モーレックの森の守護者が蔦をウネウネさせて、何かをこちらに伝えようとしている。
(なんだ?)
こちらのぼんやりっぷりに、彼女はややイライラしているようだった。
(何かを聞けって言っているのかな……)
とはいえ、何か聞かなければいけないようなことなどあっただろうか?
「え、えっと……最近の公爵領の農作物の取れ具合はいかがですか?」
「最近は天候がよくてね、今年は一番の豊作かもしれないよ」
ちらりと精霊を見ると、大きく首を振った。
「……何か別に、私に聞きたいことがあるようだが……」
「はい、そのようなのですが……」
三人の婚約者候補の話をしていたとき、アリスは気を失っていた状態だったため(そのときのアリスは闇の精霊)モーレックの森の守護者が何を聞きたがっているのか、アリスにはさっぱりわからなかった。
ケンジット公爵は優しく微笑んで、モーレックの森の守護者に言った。
「話をする権限を与えよう、話すといい。何を聞きたいんだい?」
彼がそういうと、モーレックの森の守護者はアリスをちらりと見てから話し始める。
『恐れながら……アリス様の三人の婚約者候補のことでございます』
「ほう?」
『ガリレア伯爵令息は、本当に候補の中の一人なのでしょうか?』
ガリレア伯爵令息は、モルベルトのことだ。
「そうだねぇ……」
ケンジット公爵は話す気があるのかないのか、よくわからないような返事の仕方をした。 モーレックの森の守護者がやきもきしていると、彼は微笑んだ。
「その話は、ルートヴィッヒやアルバートがいるときにしようか」
『それは……失礼ながら、いつでしょうか』
「アリスの体調がよければ、今夜の夕食に彼らを招待して、そのときに」
(……モルベルト)
憎い相手のはずだったが、過去のことを思い出すと、常に愛されない世界にしか生まれない彼が、少しだけ悲しい男に思えた。
――――一度は、彼に死を命じた立場であったからこそ、そう思うのかもしれなかった。
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