第二十四話 孤独な皇帝
――――一人ぼっちだなと思うことはあっても、不思議と孤独を覚えることはなかった。どうしてなんだろう。今までずっと、考える余裕なんてなかった。
ふと様々な前世の記憶が、よみがえってくる。
ずーっと前の前世では、部下がたくさんいた。
僕はある国の皇帝だった。
皇妃の顔は思い出せない。いたのかどうかさえ思い出せない。
国のために、常に戦争状態で、平和な世界で落ち着いて暮らす暇などなかった。
血なまぐさい世界で、皇帝だと、かしずかれても、安らぐ暇などひと時もなかった。
直近の前世では、僕は弓道部の部長で、部員がたくさんいた。練習は厳しかったけれど、全国大会の優勝旗を手に入れることができた。
(僕の前世は、満ち足りてはいたのだろうか)
家族だからと言って、必要以上に近付きすぎて、悲惨な最期を迎えた前世。
(どうしてあのふたりは、いちいち僕の人生に絡んでくるんだ?)
母はどうしていたんだろうか? 別の人生を歩いているのだろうか。
母のこともあまり印象に残っていない。
いつも父の顔色を伺って、妹の言うことばかり聞いて、奴隷か下僕のような扱いを受けても笑っていた。
――――そんなに父が恐ろしかったのだろうか。
(僕は面倒だとは思っても、恐ろしいと感じたことはなかったな……)
今も、モルベルトが恐ろしくて仕方ない、というものはない。
よく思われていないのがありありとわかるから、距離を開けたい存在なだけだ。
ふと、目の前で跪いているモルベルトによく似た人物が脳裏に浮かぶ。
――――そう、あいつは弱虫なんだ。強い人間には媚びへつらい、弱い人間は徹底的に痛めつける。
『卑怯者は、我が帝国軍には必要ない』
『……皇帝、私があいつを殴ったのは、日頃の鍛錬を怠っていたからで……』
『言い訳はもうよい、除隊を命じる』
『こ、皇帝!』
『……さがってよい』
『も、もう一度だけ、チャンスをいただけないでしょうか……どうか……』
『次の戦闘を、最前線で戦う勇気はあるか?』
冷たい声で言うと、モルベルトであろう人物は肩を震わせた。
『……戻ってこられたら、帝国軍に残ることを許そう』
最前線で戦うような能力がないのは、こちらもわかっていた。
尻尾を巻いて逃げ出すと思っていたのだが、モルベルトは承諾した。
――――そして、生きて帝国に戻ってくることはなかった。
屍だけが帝国に戻ってきた。
何故、彼は生きることを選ばなかったのだろう?
『陛下、彼は……侯爵令嬢のヘレナ様に恋をしていたようです……』
『侯爵令嬢か……』
モルベルトは伯爵だ。
侯爵令嬢を娶るにはあまりにも爵位に差がありすぎた。戦果を挙げれば侯爵領を与えることもあった、かもしれない――――。
だが、帝国軍人で無くなれば、彼が夢見たわずかばかりの可能性も泡のように消えるだろう。
(命をかけても、妻にしたかったのか……?)
侯爵令嬢にあまりよい噂はない。とびきりの器量良しで、男たちは皆、彼女に夢中になるというが……中身はからっぽで、心を開かせるため、一生懸命硬い殻を少しずつ砕いたとしても、中から出てくるのは身の小さなクルミだと誰かが陰口を言っていたのを、耳にしたことがある。
(だが……盲目なほどに、誰かを思ってみたいものだな……)
朝も夜も、その人のことしか考えられず、その人のためなら、命さえ惜しくない。そんな恋を、いつかしてみたい。
(今の私は、帝国のためにしか生きられない人形だ)
――――人形でなければならなかったから、意図せず、恨まれることになったのだろうか。モルベルトに――――
ふと、目が覚める。
(過去の生まれ変わりにおいて、性別が変わることはなかった。自分が女で生まれたのは今回が初めてだ。これにはなにか、意味があったりするのだろうか)
体を起こすと、メイドがそっと支えてくれる。
「……ありがとう」
「温かい紅茶でも、ご用意いたしましょうか?」
「……ええ、そうね」
メイドが扉の外に出ていき、アリスが窓際に視線を移すと、しょんぼりしたモーレックの森の守護者と、見たことのない長身の男性が立っていた。
おおよそ人間とは感じられなかったため、彼も精霊なのだろうか。
(あれ? そういえば西の宮殿に向かったんだよな……確か。なんで自分の部屋にいるんだ?)
モーレックの森の守護者が、ベッドサイドまで近付いてきた。
『……アリス、私には……悪意はなかったのじゃ。今生では幸せになって欲しいと、心の底から思っている。本当じゃ』
モーレックの森の守護者がそう言った。
わかっている。
美味しい魔力を頂くがどうのと言いながらも、些細なことでも人間のいうことを聞いてくれて、アリスの呪いのことを真剣に考えてくれているのは、わかっていた。
「ええ……わかっている。ごめんなさい。かっとなってひどいことを言ってしまって、傷つけてしまったわね」
『……アリス……』
モーレックの森の守護者は、ハラハラと美しい涙を眦から落とした。
「他人を傷つけていい権利なんて、誰にもないのに。愚かだった……日頃の恩を忘れて……本当にごめんなさい」
『いいんです……いいんです。私が苦しみのもとを、ささっと取り除けないから、こんなことになるのです』
『そうだな』
ぽつっと長身の男が喋った。
長い黒髪を肩のあたりで束ねて、全身黒の衣装だった。
金糸の刺繡がなされているジレの上にマントを羽織っている。
「あなたはどなた? 私はアリス。ケンジット公爵の娘、アリス・オーガストです」
『我は闇の精霊と呼ばれている』
「――――あなたが闇の精霊? どうしてここに?」
闇の精霊はてっきり“モルベルト”側だと思っていた。
なんなら呪いのかけているのは、闇の精霊だと考えていた。
『……どうして……という質問の返事は難しいな。傍にいるべきだと思ったから、そなたが生まれた時からずっとそなたの中にいた。呪いがふいに発動しないよう抑えたりしていた』
「そんなに大事な役割を担っていてくださっていたのですね。ありがとうございます。モーレックの森の守護者がお願いしてくれたの?」
『こやつは、誰かの頼みを聞くような人物ではないわ』
ぼそっと、モーレックの森の守護者が言う。
「そうなのね……」
『こういうのを、運命というのだろうな』
闇の精霊はすっとアリスの前で跪いて、彼女の掌に口づけた。
「う、運命とか……」
アリスの白磁のような白い肌が、朱色に染まる。
こんなところは、ルートヴィッヒに似ているような気がした。
こちらの気持ちはいざ知らず――――自由だ、と思えた。
――――と、視線を口づけされた手の甲に落とすと、右手の薬指に黒い宝石がキラキラと輝く指輪がはまっていた。
『我からの贈り物だ。ブラックマトリックスオパール。見る角度によっては違う色に見える。幸福を運ぶ石だ。どうだ、いいだろう?』
ふふんと彼は笑った。
「……た、確かに素敵ですけど……」
基本は黒っぽいが、濃い青にも緑にも見える不思議な石だ。
『属性が完全一致しているわけではないから、強力な力は発揮しないが、身に着けていれば少しは役には立つだろう』
「魔導石なんですか?」
『似たようなものだ』
――――似たようなものってなんだろう。と思いながらもアリスは深く追及するのはやめて、にっこりと微笑んだ。
「ありがとうございます。闇の精霊。貴重なものをくださって」
『確かに貴重なものだが、気にするな。そなたのためなら惜しくはない』
ストレートに感情表現をされると、嬉しくなる。
目が覚める前に見せつけられていた前世の孤独が、薄らいでいくようだった。
「……ちょっと色々混乱してしまって、嫌なことばかり言ってしまってごめんなさい。今の私があるのは精霊さんたちのおかげ……感謝しています」
『嬉しいことを言ってくれる』
モーレックの森の守護者が、再び眦に涙を浮かべる。
『……人間のことも、忘れてやるなよ』
闇の精霊の言葉を聞いて、アリスは静かに頷いた。
「あの方たちにも、私はずっと助けられている。一人じゃないって思えています」
心の中に、無理やり閉じ込めておかなければならないような孤独感も、今はない。
こんなふうな人生を送るのは、初めてのことかもしれなかった。
大変なことはたくさんあるのかもしれない。
けれども、ひとりじゃないから、助けてもらえる。
戦うのは自分ひとりじゃないっていうことの、心強さ。
アリスは不思議な色で輝く宝石を、そっと撫でた。
(私は……呪いになんか負けない)
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