第二十二話 他人に対する感情

 瞬間移動先は、衛兵が二人部屋の前に立っている国王の執務室前だった。

「……これは、ケンジット公爵令嬢とモーリア伯爵令息」

 衛兵の一人が口を開く。

 アルバートはキリリとした表情で応えた。

「国王陛下に至急謁見を申し込みたい。ガリレア伯爵令嬢のことでだ」

「ガリレア伯爵令嬢のことで? はっ、しばらくこの場でお待ちを」

 衛兵が部屋の中に入っていく。

(なんだろ、この感覚、胸が苦しい)

 ガリレア伯爵令嬢とは仲が良かったわけではないが、知っている仲だ。

 そんな彼女が、死の間際にいると考えてしまうと、冷静ではいられなくなりそうだった。

(今までこんな気持ち、もったことなかったのに)

 ギィイと扉が開いた。

「謁見の許可がおりました。お入りくださいませ」

 アリスはゴクリと息をのんだ。

 入室して数歩進めば、階段の最上部に国王と王妃がいた。

 スカートの裾をつまみ、アリスは頭を下げる。

「アルバート。此度のことはいったいどうなっている。先ほど、ルートヴィッヒからも少し話は聞いているが……」

「何者かが、ガリレア伯爵令嬢を魔導石の中に取り込み、その肉体や精神自体をも、石に取り込もうとしております」

「……なんということなの」

 王妃が静かに言った。

「魔導石自体は研究所にありますが、あちらでは結界が手薄です。魔導石を送ってきた魔法使いを呼び出すために、ケンジット公爵令嬢の精霊が手を貸してくれる約束をしましたが、より強い結界が張られている場所が必要でございまして」

「……ほう、ルートヴィッヒとは違う案を出してきたか。今はとにかく可能性にかけたい。西の宮殿を使うといい」

 国王の言葉に、跪いていたアルバートが顔をあげた。

「――――ルートヴィッヒはなんと?」

「……ガリレア伯爵令嬢を助け出すことは、現状では魔力が足りず不可能だと。そなたは魔法使いを呼び出すことはできるのか?」

 国王がアリスに向かって言う。

「私に祝福を与えたモーレックの森の守護者が、可能だと言っておりますので、可能でございます」

「そうか。では……頼むぞ」

「……フレデリックがひどく焦燥しているの……私からもお願いするわ」

「勿体ないお言葉でございます」

 誰かから何かを頼まれたり、お願いされたり、それが懇願だったり……初めてのことだらけで、アリスの心臓がドクドクとうるさく音を立てていた。

 ――――もし、期待させておいて失敗したら?

 額に脂汗が浮かぶ。

『私を信じよ、アリス』

 頭の中で精霊の声が響いた。

今生こんじょうの地では、けしておまえを不幸にはさせない』

(……精霊……ありがとう。自分が出来ることは全力でやるわ)

 誰も悲しませたくないと、アリスは考えていた。

『ひとつ――――余計な情報なのだが』

(何?)

『……ガリレア伯爵令嬢は、前世の……そなたの妹だ』

 アリスの体がピクリと揺れる。

(そう……それでも、私の気持ちは変わらないわよ)

 唇の端を少しだけ上げて、アリスはアルバートに続いて立ち上がった。

『そなたは、強くなったの』

(今も、強くなんてないよ)

 助けてくれる仲間がいると思えば、自分の力が出せそうだと思うだけ。

 前世は家族関係も希薄で、友達らしい友達もいなくて、誰にも何も言えなかったあの時とは違う。

(危険な目に遭ったって、何もしない人生よりはましだ)

 アリスは踵を返し、西の宮殿へと向かった。



「……ところで、ルートヴィッヒは研究所に戻ってしまったのかしら」

 姿が見えなかったので、アリスはそう考えた。

「うーん、そうかもなぁ。でも、一度戻ったとしても、あいつの性格を考えると、またこっちに戻ってきそうなものなんだけど」

「……何か、あったんでしょうか」

「……あったとしても、あいつには自分でなんとかしてもらうしかねぇな。こっちはこっちでもういっぱいいっぱいだ」

「体がふたつあればいいのに」

 アリスがぽつっと言うと、アルバートが微笑んだ。

「あいつはそんなに弱くねぇよ」

「そ、そうですよね」

「……アリス、こんなときになんだけどさ」

「はい?」

 西の宮殿への渡り廊下を歩きながら、アルバートが告げてくる。

「婚約者の件、そろそろ真面目に考えておいてくれよ」

「ほ、本当に……こんなときに……ですね」

「考えたんだよ。閉じ込められたのがもし、アリスだったらって。俺は精霊使いじゃないし、どうしたらいいかって……結局考えつかなくてさ。それでも、アリスを失いたくないって、はっきり感じたんだよな。つい最近までは、まじでただの婚約者候補って感じだったのに。なんていうか……」

 思いがけず真面目な表情をしたアルバートに、アリスの頬が赤くなった。

「本気になれるのって……たった一人なんだなって、気づいちまった」

「……アルバート……」

「多分、ルートヴィッヒも同じだ。だから、真剣に考えてほしい。難しいことなのかもしれないけど」

「……う、うん……」

 様々なことに巻き込まれているが、重要な判断をしなければいけない時期が近づいてきている。

(……今は、ガリレア伯爵令嬢のことだけ、考えよう。ごめん。アルバート)

 渡り廊下を渡り終えると、大きな壁に当たった感じがした。

(……これが、結界)

 アルバートが、鍵の形をしたペンダントを高く掲げた。

「道を開けよ」

 ふっと体が軽くなり、西の宮殿内に入ることができた。

 アルバートが手にしている鍵が、結界を操る魔法の鍵なのだろう。

「……鍵が必要なら、魔法使いを宮殿に誘い込むことは可能なのでしょうか?」

「入るときは開けておいて、入ったら、閉めればいい」

 アルバートがウィンクをした。

「あぁ、そうですね」

「と、いうものの……結界を閉じるまで、そんな簡単に捕まえておけるかな」

『私が捕まえておく。だから、迅速に行動するがいい』

 ふわりと精霊が現れた。

「お、精霊。今回ばかりは……おまえだよりだな」

 と、アルバートがいうと精霊が苦い表情を浮かべた。

『この世界には精霊は多くはないが複数いる。人間が好きな者がいれば逆もいる。何も悪さをしないやつもいれば、悪戯が好きなやつもいる。今回、引っ搔き回しているのは魔法使いではなく、精霊なのではないかと思っている』

「せ、精霊???」

『だから……下手に手をだそうとするな。今回やつを呼ぶのは、倒すためでも閉じ込めるためでもなく、交渉する為だからな』

 精霊の話に、アリスが質問をする。

「交渉って、どんな?」

『うぅむ』

「今、悩むなよ!」

『精霊は総じて執着心の強い者が多い。人間の魔力が自分の好みであればあるほど、それはひどくなる。だが今回の相手は、ガリレア伯爵令嬢には執着してはおらぬ。ガリレア伯爵令嬢に執着している者に、ただならぬ執着心と悪戯心を持ってしまっているようだ』

「……それはフレデリック王太子ですか?」

 アリスが聞くと、精霊は首を左右に振る。

「フレデリック王太子以外に、ガリレア伯爵令嬢に執着しているやつなんているのか?」

 執着。ただならない感情だ。

 好きだとか、嫌いだとか、それだけでは済まされないものであると、誰かに聞いたことがあった。

「……ってか、まさか……あー、いやいや、まさか」

 アルバートは首が吹っ飛んでいきそうな勢いで、ぶんぶんと左右に振った。

「……アルバート、心当たりでも?」

「いや、違うと思うから……」

 口にするのもはばかれる、といった感じでアルバートが返事をする。そこで精霊が口を挟んできた。

『ここで言わぬほうがよいか? 早かれ遅かれだぞ』

「……まじかよ」

 アルバートが大きくため息をついた。

『ガリレア伯爵令嬢に執着しているのは、その兄であるガリレア伯爵令息のモルベルトであろう』

「――――ガリレア伯爵令息が?」

『初めは魔力をもたず生まれてきたが、令嬢同様、微量の魔力が――――精霊を引き寄せてしまった』

「モルベルトは……精霊の祝福を受けているってことなのか? それすら誰も知らない内容だ」

『魔力を持たぬものに祝福は与えん。あやつが何かを願うたび、奪われるものは魔力ではなく生命力。あやつは精霊に呪われているようなものだ』

「……精霊も、人を呪うの?」

『生命力を代償として奪うことを、呪いと呼ぶ』

「でもさ、モルベルトに魔力があるって話もあるじゃねーか」

『アリスに与えた静電気のようなものか? ささやかな魔力であって、代償には到底足りぬ』

「……ガリレア伯爵令息は、どうなってしまうの?」

 精霊は一瞬、口を閉ざし、すぐに話し始めた。

『因果応報だよ、アリス』

「どういう意味?」

『精霊の口車にのって、私の祝福よりも早く呪いをかけた張本人がガリレア伯爵令息。そなたがこの世でも未来永劫、助ける必要のない人物だ。やつは何度生まれ変わろうが、アリスを苦しめることしかしない――――』

「どうして? 生まれる前から、私は憎まれていたってことなの?」

『宿命というものだ。あれは救いようがない』

「……精霊、ガリレア伯爵令息の前世って誰だったの。教えて」

 精霊は小さく笑う。

『こんなことに魔力を使うことはない。答えはアリスの中にもうあるだろう?』

「――――どうし、て」

 アリスはその場にへたり込んだ。

 何故、そこまで恨まれなければならないのか?

 そしてその憎しみは前世だけで済まず、現世においても同じだったとは。

(ガリレア伯爵令息……苦手だと思っていたのは、彼が前世で義理の父だったからだ)

 ぞっとした。

 この彼らと共にあり続ける輪廻転生は、いつまで続く? 解放されることはないのか? 永遠に?

『終わりにしよう、アリス。この世界を最後に、魂のつながりを断ち切ろう』

「……できる、の?」

『やるんだよ、アリス』

 精霊は静かに微笑んだ。



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