第二十一話 呪いの本性

 アリスとルートヴィッヒは、アルバートに連れられて研究所の地下に行く。

 普段は足を踏み入れることが許されていない、何重にも結界が張られている部屋の前まで来ると、気味の悪さにアリスは吐き気がした。

 しかも、食べ物が腐ったような匂いもする。

「……アルバート、ここにはいったい何があるの?」

「転移魔法で送られてきた、魔導石だよ」

 これが魔導石の匂いだというのだろうか?

 アルバートに続いて、アリスたちはその部屋に入室する。

 テーブルの上には禍々しいものを放っている、魔導石が置いてあった。

 その魔導石自体にも、幾重にも結果が張られているようだった。

「それは……何か、危険なものなのですか?」

 アリスがアルバートに恐る恐る聞くと、アルバートはため息をついた。

「正直、これが多分魔導石なんだろうなって感じる程度で、本当に魔導石なのか、或いは別の何かなのかはよくわかってないんだよ。さっき突然研究所に送られてきた。この研究所にだって、結界は張られているっていうのに」

「……とにかく……不気味ですね」

「誰が送ってきたのは逆探索魔法で調べさせてはいるんだが」

 アルバートは難しい表情をした。

「辿り着けそうにないんですか?」

「あちらも、そう簡単に自分の正体をバラす気はないみたいだ」

 アリスは薄気味の悪い魔導石を見つめた。

「……これは、人間の仕業なんでしょうか?」

「どういうこと?」

「不気味さはもとより、この腐敗臭が……」

 アリスの言葉を聞いて、アルバートとルートヴィッヒは顔を見合わせた。

「これから何か匂いがしているのか?」

 ルートヴィッヒが言う。

「え? 皆さんは感じないんですか?」

「いや、まったく……」

「……」

 これはどういうことだろう。アリスにしか感じられない臭いを、わざわざつけてくるなんて、まるでアリスを試しているみたいではないか。

(試されている……のか。この石から僕を遠ざけるために? だとしたら、僕にしかできない何かが仕組まれている??)

 ――――と、そのとき一階が騒がしくなった。

「勝手は困ります!」

「うるさい! 勝手なことをしているのは、お前たちのほうだろう!」

 普段あまり聞かない声ではあるが、おそらく、この声の主はモルベルトだろう。大きな足音を立ててうろうろしているのがわかる。

「研究所の扉にも、結界は必要かな……」

 はぁ、とため息をついてアルバートが一階に向かおうとするので、アリスも慌てて追いかけた。

 ルートヴィッヒだけが部屋に残り、魔導石をじっと眺めていた。

 人の気配が無くなった頃、彼は指輪をしている右手を魔導石の上にかざした。

「我が精霊獣イフリート、私の声に応えよ。そして、真実を私に伝えよ」

 指輪の中から大きな火の獣が現れた。部屋の中が真っ赤に染まる。

『我が主ルートヴィッヒ、願いを聞き入れよう。これは魔導石。だが純度の高い物ではなく、まがい物も混ぜられた物。それ故、不安定で危険な物。そして、そこにニンゲンが閉じ込められている。本人の魔力が弱すぎて、入ることができても、自分で出ることは不可能』

「人間が閉じ込められている?」

『……すでに同化が始まっている。あの娘が言っていた腐敗臭は死の臭いのこと。助けるつもりなら、時間がない』

 閉じ込められている人間とは誰だろう? イフリートはモーレックの森の守護者とは違い、人間のことには疎い。誰が閉じ込められているか、聞いても応えられないだろう。

(――――おそらくは、行方不明になっているガリレア伯爵令嬢)

『だが』

「……なんだ?」

『我が主、同化されかけているニンゲンを助けるには、代償となる魔力が足りぬ。よって我に願われても叶えられない』

「……そうか。わかった。戻れ」

 右手を宙にかざすと、イフリートは指輪に戻っていた。

(魔力が足りない……か。初めて言われたな)

 相手にどんな感情を抱いていたとしても、将来の王太子妃。助けないというわけにはいかないと思っていたところで、先に言われてしまった。

 結界のかかった扉をすり抜けて、地下室から一階に上がると、モルベルトが我を忘れたかのように、何事かわめいていた。

「ヘレナがここにいるのはわかっているんだ! 早く解放しろ!」

(無茶なことを……)

 モルベルトが何故、彼女の場所を知っているのかも疑問だった。

 いったいどうしてこういう事態になっているのかも、ルートヴィッヒには想像できなかった。ガリレア伯爵令嬢が行方不明になって、なんだかよくわからない魔導石に取り込まれようとしている――――そんなことをして、いったい誰が得をするというのだ。

 王太子妃争いでもあれば、犯人に見当がつきそうだが、今回は王太子妃を、アリスに押し付けたがっていた側だ。

(私の魔力が足りないというなら、アリスも当然そうだろう。何より、大きな魔力を持っているのなら真っ先にすべきは、アリスの呪いをとくことだ)

 アリスは成すすべなく、立ち尽くしているだけだった。移動魔法を使って、ルートヴィッヒは彼女の横に移動する。

「ルートヴィッヒ……」

「君のことは、何があっても守る」

 彼の言葉と同時に、モルベルトが腰に下げていた長剣をすらりと鞘から抜いた。

「いつまで、隠しているつもりだああああああぁぁ!」

 完全に正気を失っているように見えた。

 話せばわかる。という状態ではないと判断したアルバートは、モルベルトに対し、意識を失わせる魔法を使った。

 モルベルトは直ちに、床の上に転がった。

 それを静かに眺めながらルートヴィッヒは言う。

「確かに、ガリレア伯爵令嬢はここにいる」

「え? どういうことだ、ルートヴィッヒ」

 アルバートの問いに、ルートヴィッヒは視線を床に落とした。

「例の送られてきた魔導石の中に、閉じ込められている」

「……魔導石に閉じ込められているって……」

 アルバートは混乱していた。

 魔導石自体が貴重で、その貴重な石の中にわざわざ人間を閉じ込める魔法使いがいるなんて聞いたことがなかった。

「私たちがやれることは、二つ。一つはフレデリック王太子に報告、二つ目は逆探知魔法を続けることだ」

「……そう、か」

「フレデリック王太子のところには、私が説明に行ってくる。アルバートは引き続き研究員への指示と……アリスを頼む」

「あ、あぁ」

 アリスにはモーレックの森の守護者がついているが、魔導石の送り主が何者なのかまったくわからない状態だと、ルートヴィッヒは不安しか感じられなかった。

「……私は、大丈夫です。ルートヴィッヒ、気を付けて行ってきてください」

 アリスに言われてしまい、ルートヴィッヒは「共に行こう」とは言えなくなり苦笑して頷いた。

 普段は馬で移動するが、急を要するため、ルートヴィッヒは移動魔法を使った。

 アリスはルートヴィッヒがいた場所を眺めて、小さく息を吐いた。

「お茶を入れますね。みなさん、お疲れでしょう」

 彼女はつとめて明るく微笑んでそう言った。

(嫌な臭いが強くなっている……僕はいったい、どうすればいいんだ)

 紅茶を淹れながら、アリスは精霊に小声で話しかけた。

「……私が願って、ガリレア伯爵令嬢を魔導石からだすことは出来ない?」

『残念だが、対価として頂く魔力が圧倒的に少ない』

「そう……結局、私は何も出来ないままなのね」

『強力な魔力が必要ってことだ。残念がるなアリスよ。ルートヴィッヒでも魔力が足らず、彼女を助けられない』

「そんな……ルートヴィッヒでも駄目だなんて……私たちはただ黙って見ていることしか出来ないの? 本当に?」

 精霊はアリスが淹れた紅茶のカップを手に取った。

『因果応報という言葉を知っているか?』

「う、うん」

『私からすれば、今回のことは、事を起こしている本人の意図とはずれているが、まぁ、仕方ないのか。と思っているよ』

 淡々と語る精霊を見て、アリスは唇を震わせた。

「……し、仕方がないというのは……どういう意味?」

『魔導石に取り込まれるのは、死を意味する。微々たる魔力が娘にもあったみたいだの。持ってなければこうはならなかった。モルベルトといい、魔力がないと言われていた人間に魔力が現れるのは謎だの』

「死ぬのが仕方ないだなんて、そんなの」

『因果応報だと言っただろう』

「……死ななければいけないなら、なんで誕生させるの?」

 アリスが言うと、精霊は目を細めた。

『輪廻転生は、死ぬなら生まれない――――というものではないというのは、わかるか?』

「前世の罪の償いのために、現世があるの?」

『違う、来世のために現世が有る。償いであるとか、罰だとかそんなものではない』

「で、でも因果応報って……」

『例えば、現世で悪しき行いをしたものは来世での宿命は、輝かしいものにはならないだろう。……大人しく王太子妃になっておれば、良かったものを。国のために働き、民を思い、慈しむ心を持てれば、来世は違ったものになったであろうに』

(もうすっかりヘレナには興味がなさそうな言い方だな……そもそも、精霊は、人間に干渉しないのが普通だろう……だけど)

 アリスは魔法の書を魔法で取り出して、ページを捲り始める。

(それでも、何かできることはないのか)

 紅茶を淹れることを忘れ、アリスは何冊も魔法の書を取り出し、ページを捲る。

 そんな彼女の様子を、精霊はじっと見つめていた。

『なぁ、アリスよ』

「なぁに?」

『マカデミアクッキーはもうないのか?』

 的はずれな精霊の発言に、アリスはこめかみを押さえつつも、掌から二枚クッキーを出した。

「それで最後よ」

『おぉ、ありがたい』

 精霊は嬉しそうに、ポリポリとクッキーを食べた。

『……そなたも、ルートヴィッヒも……直接彼女を魔導石から出す方法しか考えなかったな』

「……それは、そうよ」

『閉じ込めた張本人を捕まえればいいのでは? こういってはなんだが、研究員の逆探知魔法は張本人のところまでは届かぬぞ』

 部屋の中がシン……と静まり返る。本人たちも感じていたのだろう。詠唱を唱えるものはいなくなった。

 アルバートも黙って精霊を見ていた。

「……それは、私の魔力で足りる“願い”?」

『出来ぬ提案を私がすると思うか?』

「わ、わかった。じゃあ」

『少し待て。ここは場所が悪い。逃げられぬようより強く結界がかかっている場所がよい』

 アルバートが口を開く。

「……王宮内ってことか……? 国王陛下を危険な目に遭わせてしまうのでは?」

『私はどちらでもよいぞ』

 最後のクッキーをポイと口の中に淹れて、冷めきった紅茶を精霊が飲んだ。

「……まずは、陛下にお伺いを立てましょう。殿下に関わることですし」

 アリスがそう言うと、アルバートが精霊に尋ねた。

「精霊、ガリレア伯爵令嬢をあまりよく思ってなさそうだが、助ける気持ちはあるのか?」

 精霊はちらりとアルバートを見た。

『助かるかどうかは知らん。ただ、もし助けることができたならガレリアの森をケンジット公爵領にと考えておるし、ヒルドの森も欲しいと思っている。――――他の人間のことなどどうでもいいが、アリスのためだ。成功した暁には、交渉はそなたらがうまいことやれ』

「……わかった。結界の件、聞いてこよう。アリスもおいで」

「私も?」

「ここに君を置いてはいけない。研究員は逆探知をやめ、結界魔法にきりかえよ」

「はっ」

 アルバートが手を差し出してくる。

「行こう」

「……はい」

 アリスの手が重なった瞬間、二人の姿はふわりと消えていった。

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