第二十話 いつだって世界の主人公は自分だったんだ

 アリスは研究所の傍にある、大きな木の下に座っていた。

 精霊の力が勝手に働くのか、木々の近くにいると、足りなくなった体力が回復するようで心地よかった。

 ふううぅっと大きく深呼吸をした。

 前世の自分は、なるべくどんなことにも無関心でいようと思っていた。何か考えたり感じたりすると、後で必ず傷つくからだ。

(本当は、傷つきたくなかったんだな)

 殴られるのも、侮蔑されるのも、慣れて、平気なつもりでいたけれど、硬い殻を作ってその中に閉じこもっていたのだと、アリスは気が付いてしまった。

 それは、この世界での自分の言動が、前世の自分とは明らかに違っていたからだ。

 外側の性別が違うからという理由だけでは説明のつかない、心の柔らかさのようなものがある気がしていた。

 前世では他人のことを、心配する余裕などなかった。興味もなかった。

 それもそうだ。自分のことでさえ、興味を持っていなかったのだから。

 存在してはいけない――――それが自分。

 それでどうして興味が持てる?

「アリス、こんなところにいたのか。急に消えたから心配したよ」

 ルートヴィッヒが声をかけてくる。

 長身の彼の影が、座っているアリスの顔にかかる。

(僕を、心配してくれる人)

 心配してくれている真意はどうであれ、アリスは嬉しくて、にこりと笑った。

「黙って出てきてしまってごめんなさい。少し、外の空気が吸いたくて」

「朝から、騒がしいからな」

 ルートヴィッヒは苦笑して、アリスの隣に座った。

 ふんわりと、男性らしいけれど、爽やかな香水の香りがする。

(そういえば前世では、香水なんて興味なかったなぁ)

 もっとも、妹が香水をつけるのを許しても、男性である自分が香水をつけようものなら、父からどんな目に遭わされていたかわからない。

「ルートヴィッヒの香水の匂い、とてもいい香りですね」

「嬉しいね。君が好むと思って、つけているんだよ」

 などと彼は言い、魅惑的に微笑むものだから、アリスは目を白黒させた。

「わ、わた、私の、ため??」

「特別に調合させているんだ。今日つけているのはグリーンティーの練り香水だな」

「え? ……練り香水ってなんですか?」

 香“水”という名前だけあって水分(エタノール等)で出来ている物が、香水だとアリスは認識していたので驚いていた。

「あぁ、練り香水を使っている者が少ないからな、こういう物だよ」

 懐中時計が二回りぐらい小さくなった物を、ルートヴィッヒはポケットから出して彼女に見せた。パカッと彼が開けてくれると、濃いめだが、爽やかな香りがした。

「素敵な香り、塗り薬っぽい感じなんですね」

「そうだね、ユーカリ油等と合わせてうまく調合すれば、いい香りのリップバームになるかもしれないね」

「……なんだか、ルートヴィッヒって女子力高いんですね」

 ぽつっとアリスが言うと、ルートヴィッヒが首を傾げた。

「じょしりょく……とは、なんだろうか?」

「うっ、えぇっと……」

 しまった。うっかり口にしてしまったものの、どう説明すればいい?

 この世界の辞書には載っているわけがないので、自分の語彙力で説明せねばならない。

「何と言いますか……じょ、女子っぽいと言いますか」

「女子っぽい? この私が」

 彼がクスっと笑った。

 いやいや、こういう笑い方や表情ひとつとっても、少しも女子っぽくはないのだけれど。

「あ、じゃ、なくて、貴婦人が知ってそうなことをより詳しくご存じで……そうだ、うん、それが女子力です、はい!」

「……めちゃくちゃ、目が泳いでいるけれど?」

 じいいいっとルートヴィッヒが、エメラルドグリーンの瞳で、見つめてくる。

(そんな綺麗な瞳で、見つめてこないでくれええええええええ!)

 アリスがふいっと視線を逸らすと、触られてもいないのに顔ごとルートヴィッヒのほうへ向かされる。

「なんで目を逸らすんだい?」

「こういうときの魔法って、ずるくないですか!」

「ずるいかなぁ? 直接触れたほうがよかった?」

 のほほんとした口調の割に、エメラルドグリーンの瞳が色濃く輝き、見つめた者を虜にでもしようかという勢いだ。

「前に言いましたが、私はおと、男の子なんです」

「あぁ、なんかそんなことを言っていたねぇ。私は相手が君であるなら男でもかまわないよ」

「ひいいいいいいいいいいっ」

 瞬間移動魔法を使って隣の木までアリスが移動すると、ルートヴィッヒも同じ魔法を使って追ってくる。

「凄い声出すんだね。悪くないけど」

「わ、悪くないとか、そういうこと言うの、やめていただけませんかっ」

「顔が真っ赤だねぇ」

 彼はニコニコと楽しそうだ。

 からかわれていると感じたのは、このときようやく、だった。

「からかうのも……やめていただいても、宜しいですか?」

「え? なんで? 可愛いじゃない? それに、君がおと――――」

 ルートヴィッヒが何か言いかけたとき、アルバートが研究所から飛び出してきた。

「ルートヴィッヒ、アリス! ちょっと戻ってきてくれないか」

 ――――何かあったんだろうか? それとも、何か見つけたのだろうか。

 アリスは表情を硬くしてルートヴィッヒと共に立ち上がった。



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