第十八話 逆恨み
お菓子の一件は、皆が考えていた以上に大事になり、ヘレナ(ガリレア伯爵令嬢)は、エディランス王国の最北にある、ローレライ塔の一室に幽閉されることとなってしまった。
牢屋とまではいかないが、この塔は貴族に何かを反省させるために使われるものであった。
牢屋ではないが、部屋の中には必要最小限のものしかなく、洋服は簡素な白いドレスが貸し出されるだけだ。
きらびやかな生活に慣れているヘレナは、不満が爆発する。
「どうして私がこんな扱いをされなければいけないの!」
反省すべき罪としては、フレデリック王太子が一度下賜したものを、ヘレナが回収してしまったから――――。
だが、そもそもあのお菓子は自分のために作られたものではないのか?
「勝手なことをしたのは、フレデリック殿下じゃないのよ」
一度はヘレナにプレゼントしたものなのに、それを他の人間に、しかも何の相談もなしにあげてしまうだなんて信じられない! と彼女は怒り心頭だった。
国王の謁見の間でローレライ塔送りになることを言い渡されたときだって、フレデリック王太子はヘレナを庇うでもなく、黙っていた。
――――信じられない。
好きだの、愛しているだのっていうから、渋々付き合ってやっているのに、いざとなったら何の役にもたたない男。社交界デビューの後にはあの男との結婚式が待っているのかと思うと、ぞっとする。とヘレナは思った。
親が了承してしまったおかげで、自分の意志とは関係なく、婚約させられ、結婚させられるだなんて。
(私は、ルートヴィッヒ様が好きなのに)
エディランス王国一の美男子。誰もが見惚れるその容貌に、逞しい身体。
エメラルドグリーンの瞳で見つめられれば、誰しもが恋に落ちてしまうだろう。
――――そう、十二歳だった自分がそうであったように。
だが、そのときの自分はフレデリック王太子の婚約者で、ルートヴィッヒはアリスの“婚約者候補”だった。
(なによなによ! 婚約者候補って偉そうに! 本当、アリスって澄ました顔して大嫌い)
ふぅ、とヘレナはため息をついた。
大嫌いではあるが、それを超える感情は持ってなかった。
例えば、憎しみ。
ヘレナの兄、モルベルトはときどき、とてつもなく恐ろしい瞳でアリスを見ている時がある。恋情の類ではない。まさに憎しみ----。
ヘレナにとっては優しい兄であったから、何故、そこまでアリスを憎むのかがわからなかった。
嫌い程度なら、気が合う――――で済んだのだが。
「あーっ! もう! 退屈っ」
と、彼女は言うが何もすることがないわけではなく、彼女がやらないだけだった。
課題として出されている、刺繍。
エディランス王国の系譜を覚えること――――その歴史の暗記などなど、やることは山積みだが、教育係のフォーレスト侯爵夫人がそばにいてもやらない娘が、ひとりになってやる筈がなかった。
(あー……でも、課題を済ませないと、ここからは絶対ださないとか言っていたわね)
めんどくさーい! と手短にあったクッションをあっちこっちに投げた。
「もー! イライラするっ。刺繍なんて魔法がつかえたらチャチャっとできちゃうのに!」
そうヘレナが言ったとき、ぼわっと霧のようなものが見えて薄っすらと人の影が見えた。
『そなた。魔力が欲しいか』
「――――ひっ、な、なによあんた」
『質問に応えよ』
「そりゃあ……欲しいわよ」
魔力がないことで馬鹿にされたことは何度もある。ましてやガレリアの森はガリレア伯爵領の管轄で、本来、あの場所を“見張ってなければ”ならない立場であったが、セイラス家にはもう何百年も前から魔力が使えるものが生まれていない。
おかげでセイラス家は落ちぶれたも同然で、そんな中、王太子からの求婚話があったものだから父も母も浮かれてしまったのだ。
――――この家の再建ができる、また社交界で返り咲けると。
(そんなの、知らないわよ)
『これを受け取れ』
その人物がもつ、灰色っぽい石からは禍々しい光が滲み出ていた。
「――――それは、何?」
さすがに不気味に感じてヘレナが聞くと、霧のような人物が答えた。
『魔導石だ。おまえにも微量ながら魔力があるようだから、これを使うことで、魔法を扱えるようになるだろう』
「え、私にも魔力が?」
つっと彼女が一歩近付き、魔導石に触れるとヘレナはそこに吸い込まれていった。
『これでいっそう、憎しみが強くなるだろう……ククク』
霧はすぅっと晴れていき、何もなかったかのように静寂だけが残された。
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