第十七話 些細なことの筈が

 魔法研究所にルートヴィッヒが、大量の宮廷菓子を持って現れた。


 何でも今日のお茶会で出された物を、フレデリック王太子が研究員たちに下賜されたそうだ。


「日頃の努力を労ねぎらってくださった。心して食すように」


 ルートヴィッヒの言葉を聞いた研究員たちは、嬉しそうだった。そんな様子を見ているとアリスは、自分もなんだか嬉しくなってきた。


「アリスもお食べよ、取りにくいなら取ってやろうか? 何がいい?」


 アルバートが話しかけてくる。


「いいえ、私のような新参者は、最後で結構です」


『おぉ、なんて謙虚なのだ。さすがは私が祝福を与えし少女だ』


 モーレックの森の守護者はいつの間に現れたのか、口の周りに生クリームをたっぷりついたまま、そんなことを言った。


「……精霊、早いな、おまえ」


『宮廷菓子など滅多に食べられませんからね! このケーキは……ふむふむ……パティシエのマルティンが作ったものでしょう、この甘すぎない繊細なクリーム……しっとりとしたスポンジケーキ。彼のお菓子はどれも美味だ!』


 熱弁をふるう精霊をよそに、ルートヴィッヒがアリスに話しかけてきた。


「黙って待っていたら、あいつに全部食べられてしまうよ?」


「……ふふ、そうですね……では、マカデミアナッツのクッキーをいただきましょう」


 横で話を聞いていたメイドがさっと動き、マカデミアナッツのクッキーを数枚皿に乗せて、アリスに渡す。


「ありがとう」


 立食形式で皆食べているので、アリスも立ったままでクッキーを一口食べた。


「本当に美味しいわ」


 口元を綻ほころばせたアリスに、ルートヴィッヒは微笑んだ。


(今日一日の疲れが癒されるようだ)


 ガリレア伯爵令嬢だけのことではない。最も頭を痛めているのはモルベルトの魔力の件だった。


 突然魔力が使えるようになったのなら、もっと得意げに言いふらしていてもよさそうだし、そうでないならこれまで黙っておきながら、何故、あのタイミングでアリスに対して使ったのかが気になっていた。


 アリスの現在の実力を試したのか、あるいは別の理由があるのか----。


 不意に嫌な感じがして、ルートヴィッヒは扉に施錠の魔法をかけた。それはアルバートも同時だった。


「ちょっと! 開けなさいよっ! 私が誰だかわかってやっているの!」


 ヒステリックに叫んでいるのは、ガリレア伯爵令嬢だった。


 ついさっき、フォーレスト侯爵夫人に連れられて王太子妃教育に向かった筈なのに、何故ここに来たのだろうか?


「開けないと罰を与えるわよ!」


 ルートヴィッヒとアルバートは顔を見合わせ、ため息をついてから、解錠魔法を使った。


「……お忙しい身のガリレア伯爵令嬢が、わざわざなんの御用でこちらまでいらしたのですか?」


「私のために作られた、私のためのお菓子を勝手に食べられていると聞いたからよ」


「はぁ」


 呆れて言葉が出ないというのはこういうことなのだろうか、ルートヴィッヒの口からは、ため息しか漏れ出なかった。


「どこからその情報を得られたのか存じ上げませんが、こちらにある宮廷菓子は、フレデリック王太子が魔法研究所員の日頃の働きを労い、下賜されたものです。フレデリック王太子から聞いておりませんか?」


「殿下は今、会議中で話すどころか、お会いすることも出来なかったわ。だから、殿下からは何も聞いておりません」


 折りたたまれた羽根扇をパンと掌の上で叩き鳴らし、ガリレア伯爵令嬢はアリスが手に持っている白い皿にあるマカデミアナッツのクッキーを苦々しく見つめた。


「私は私の物を、あなた方にくれてやると言った覚えはないわ。ルートヴィッヒ、私は何も言ってないわよねぇ?」


「……ガリレア伯爵令嬢からは、何も聞いておりません」


「じゃあ、なんであの女が、私が一番好きなマカデミアナッツのクッキーを、勝手に食べているのかしら?」


 あの女、というのはアリスのことで、アリスは静かにお皿をメイドに渡した。


「お気に触ったようで、大変失礼をいたしました」


 アリスが頭を下げなかったのが気に食わなかったのか、ガリレア伯爵令嬢は近くに置いてあったカヌレやマドレーヌを皿ごと床に落とした。


 皿は割れ、カヌレやマドレーヌはほうぼうに散らばり、転がっていった。


「せっかくマルティンが作ったお菓子ですもの、やっぱりあなたにも食べさせてあげるわ。そのカヌレやマドレーヌ。どうぞ召し上がれ」


 ふふんと笑い、ガリレア伯爵令嬢が言う。


 ――――ちなみに。


 アリスはケンジット公爵令嬢であり、伯爵令嬢のヘレナが大きな口を叩いても良い相手ではない。と、いうことをここに付け足しておく。


「……せっかくですが、お断りいたします」


 背をピンと伸ばしたまま、アリスが言う。


「エディランス王国は裕福な国ではありますが、一日、一日、食べることがままならない子どもたちもおります。将来の国母となられるお方が、床に食べ物をばらまき、落ちたものを食べろと、そのように言われるのですか?」


「今は貧乏人の子供の話などしていないでしょう!?」


「……貧乏とかいう問題ではなく……いえ、失礼しました」


「あなたっていつもそうね。さりげなく話題を変えて、さも自分のほうが賢いという振る舞いをして、私に恥をかかせて。そうやって偉そうにしている割には、王太子妃にもならない。いったい何様のつもりなのかしら」


(困ったな……)


 相手はまだまだ何か言いたそうだったが、あまり長引かせたくもなかった。


 以前はどんな理不尽な言い分にも、長時間耐えることができていたが、今はそろそろお引取り願えないかなと考えていた。


「王太子妃の話はそれこそここでする話ではないでしょう。あなたに宮廷菓子の件を伝えるよう言わなかったのは、私の落ち度だ。申し訳なかった。菓子はどうぞお持ち帰りください」


 ルートヴィッヒの言葉に、ガリレア伯爵令嬢はふんっと鼻を鳴らし、「そうさせてもらうわ」と踵をかえした。


(本当に持って帰るんだ)


 アリスは呆気にとられながらも、一度自分のものになったら、それに対して異常に執着する人物のことを思い出していた。


(妹も、こんな感じだったな)


 ざわざわとしている室内。


 ガリレア伯爵令嬢が連れてきたメイドたちが、手早くお菓子を包んで部屋の外に持って出ている。


「皆、不愉快な思いをさせて申し訳なかった。また別の日に私の城で慰労会を開こう」


「ルートヴィッヒ様が悪いわけじゃない。だけど、あのふたりが国王、王妃、となる日は遅いほうがいいね」


 アルバートがため息をついた。


 今日のことは、些細な出来事のようにも見えたが、王太子の意向をその婚約者が覆した、という内容であり、社交界的にもよろしくなかった。


「伯爵家の小娘一人、いうことを聞かせられない王太子」


 という悪いレッテルが貼られてしまい、貴族たちの中であっという間に噂が広まってしまった。 


 今まで目に余る行為をガリレア伯爵令嬢が起こしても、黙って成り行きを見ているだけだった国王や王妃が大激怒する一件となってしまった。

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