第十六話 虚無感に苛《さいな》まれる

 大した話をしないまま、かれこれ一時間がすぎていた。


 フレデリック王太子の客人だけが使える部屋に、ルートヴィッヒはいた。


(ある意味、軟禁状態だ)


 と、ため息をつかないだけ自分を褒めてやりたい。


 宮廷菓子職人が作っただけあって、目の前にずらりと並べられた焼き菓子はどれも美味しいのだろうな、と思うが手を付ける気にはなれず、退屈な話を彼は紅茶を飲みながら聞いていた。


「このマドレーヌ、とても美味しいですわ。ローゼン公爵令息もお食べになれば宜しいのに」


「あいにく、胃の調子がよくないもので」


「まぁ、それは大変ですわ、お医者様には診ていただきましたの?」


「えぇ、まぁ」


 目の前にいるガリレア伯爵令嬢がいなくなれば、胃もたれしたようなこの感覚もすっきりするだろうに。


 いったい、彼女はいつになったら自分の立場を理解するのだろうか。


 自分はフレデリック王太子の婚約者で、王太子妃となる身であるということを。


 現実から目を逸そらし続ければ、その現実がなくなるわけでもないのに。


 彼女がフレデリック王太子と婚約する前から、こちらに好意を抱いているのはわかっていた。もちろん、こちらとしてはまったく興味のない話だったし、むしろ、こうやって堂々と呼び出されるのは迷惑以外なにものでもなかった。


「――――そういえばケンジット公爵令嬢は騎士団員の制服を着て、魔法だの弓だのの訓練を受けているようですけれど、彼女は騎士団員にでもなりたいんですの?」


「……」


 流石に答える気にはなれず黙っていると、フレデリック王太子が説明を始めた。


「彼女が騎士団の制服を着ることを許したのは、私だよ。訓練には動きやすい服装のほうがいいからね。ケンジット公爵令嬢の話は何度もしていると思うけれど、優秀な魔法使いがこの国には必要で、訓練をしてもらっているんだよ」


「魔法使いが必要で、彼女に訓練が必要だと仰るなら、それこそ騎士団に正式に入団していただいて、最近国境近くをチョロチョロしている魔物を、倒していただけば宜しいのではなくて?」


 羽扇子を優雅に仰ぎながら、ガリレア伯爵令嬢が言う。


「そうよ、モーリア伯爵令息アルバートと一緒に実践を積んでもらえば、この国のためにもなりますし、素晴らしいことじゃないですか」


「……ヘレナ、アルバートは魔法研究所を任されている立場で、魔物を倒すという任務は担になっていないんだよ」


 苦笑しながらフレデリック王太子は彼女に言った。


「別に役割の一つや二つ、増えることの何がいけないんですの?」


「でしたら、ガリレア伯爵令嬢におかれましても、王太子妃教育の一つや二つ、増やしても構わないということで宜しいでしょうか?」


 背筋がピンと伸びたいかにも貴族らしい女性が入室してきた。


 金髪を高く結い上げ、アイスブルーの瞳がガリレア伯爵令嬢をきつく見つめていた。凛とした美しさのあるその女性は、王太子妃教育の教育責任者である、フォーレスト侯爵夫人だった。


「勝手に入室してくるなんて、失礼じゃないの?」


 ツンとガリレア伯爵令嬢が言うと、恭しくフレデリック王太子に頭を下げた。


「約束の一時間が過ぎましたので、お迎えにあがりました」


「あ、あぁ……そうだったね。手間をとらせてすまない」


「まだいいじゃない。お菓子だって食べきれてないのだし」


「――――やるべき王太子妃教育は、何一つ完璧といえるところまで出来ておりませんよ。ガリレア伯爵令嬢」


 フォーレスト侯爵夫人の言葉に、ガリレア伯爵令嬢は頬を膨らませた。


「最初から私には無理だって言っているじゃないの! だから、その“役割”ケンジット公爵令嬢に変わってもらいたいって言っているのに!」


 フォーレスト侯爵婦人はニコリと微笑んだ。


「では、あなた様が騎士団員となって魔物を一掃なされますか?」


「……私に魔力がないからって馬鹿にしているの?」


 ガリレア伯爵令嬢は、フォーレスト侯爵夫人を睨みつけた。


 フォーレスト侯爵夫人にも多少ではあるが、魔力があった。


「ご自分がお出来にならないことを、なんでも努力もせず他人に押し付けるのは美しくないと言っているのです」


「フォーレスト侯爵夫人、そこまでにしてやってくれ」


 フレデリック王太子が止めると、フォーレスト侯爵夫人は頭をさげた。


「今日の茶会はここまでにしよう。あまりルートヴィッヒを引き止めてもいけないからな」


 ガリレア伯爵令嬢がメイドたちに両脇を掴まれて部屋を出ていくのを見届けてから、フレデリック王太子は口を開いた。


「……すまないな」


「失礼ながら、少し、自由すぎるのでは?」


「結婚の儀が済めば、少しは落ち着くのでは……と期待はしていたのだが」


 ふぅっとフレデリック王太子は深々とため息をついた。


「……モルベルトの話を聞かされて、妙な胸騒ぎしかしない」


 魔力を持たないセイラス家の一人が、魔力を持っていた。


 隠しておくこと自体が有り得ないのだが、何故隠していたのか、について本人は口を割らず、父親であるガリレア伯爵も、息子の魔力について全く知らなかったという。


 妹のヘレナにはこのことは極秘事項だ。


「ガリレア伯爵令嬢に魔力の反応はなかったんですよね?」


「あぁ」


 魔力の有る無しを、計測できる魔道具は存在していた。それは“有る”か“無い”かどちらかしか測れないものだったけれど。


「……突然変異的に魔力を扱えるようになることなど、あったりするのでしょうか?」


「……アルバートにも調べさせてはいるが……過去に例はない」


 フレデリック王太子は再びため息をついた。


「――――急を要すようなことが、万が一にでもあれば、おまえに全てを一任する。お前の命令は私の命令と同じだと、騎士団員には伝えておく」


「……光栄でございます。エディランス王国の栄光のため、尽力いたします」


 ルートヴィッヒの言葉を聞いて、またひとつフレデリック王太子は息を吐いた。


 そんな彼の様子は自分では何も出来ないことからくる、虚無感に苛まれているように、ルートヴィッヒには見えていた。


 

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