第十三話 迫りくる危機

 曲調が変わった。


 アルバートは踊り続けることなく、アリスをベランダに連れて行った。


「疲れただろう?」


「えぇ、ダンスなんてほとんど踊らないから、へとへとよ。でも、アルバートのエスコートが上手かったから、私のダンスも見た目に悪くなかったでしょう?」


「何を言うんだい。とても上手だったよ」


 アルバートの茶色の瞳がキラキラと輝いた。


 彼の茶色の瞳は、いつも優しい。よくよく見てみるとアルバートの瞳は緑がかってもいて、いわゆるヘーゼルアイなのだろう。


 ルートヴィッヒのエメラルドの瞳とは、また違う綺麗な瞳の色をしている。


「アルバートの瞳って、綺麗な色ね」


「え? な、なに急に」


「私、あんまり人の顔色を伺うことはあっても、目を合わすことってあまりないから、アルバートの瞳が緑がかっているっていうの、今、初めて気が付いたのよ」


 ふむ。とアルバートは納得した。


「そういえば、アリスと目が合うことってあんまりなかったな」


「……精霊さんのおかげで色んな力を授かったけど、私の根本って何も変わってない気がするから」


「根本って?」


 そのとき、豪奢な金糸の刺繍がなされた黒いフロックコートに身を包んだモルベルトがやってきた。


「こんなところにいらしたんですね。困りますね、モーリア伯爵令息アルバートも婚約者候補とはいえ、ケンジット公爵令嬢を独り占めされては」


「ははは、独り占めしているつもりはないんですけどね。アリスはこういう場所には慣れてないから」


「それはどの令嬢も同じでしょう。そのための夜会なのですから」


 白い手袋をはめた右手を、モルベルトはアリスに差し出してきた。


「是非、私とも一曲踊っていただけませんか?」


「ええ、勿論喜んで」


 モルベルトはアリスを嫌っているのではなかったのだろうか? 実際、アルバートは心配そうにこちらを見ている。


(何か僕に用事があるのか?)


 警戒心が最高潮に達する。


 手袋越しでモルベルトの手に触れていても、全身がざわざわする。


(何故、お父様は、この方を婚約者候補に入れたのかな。いくら年齢が近いとはいえ……)


 家柄があうのはルートヴィッヒだけだ。


 そのルートヴィッヒはどうも、痴情のもつれ(?)に巻き込まれているようで。


(フレデリック殿下がヘレナ可愛さに身を引いて、ルートヴィッヒと結婚させるなんてことがあったりするのかな)


 ゆったりとした曲調の中で、アリスとモルベルトはダンスを踊る。


(なんか言いたいことあるなら、さっさと言って欲しいんだよな)


 しばらく踊っていてもモルベルトは何も言ってこない。用事がないなら別にそれでもいいんだけれども、と思った瞬間彼が口を開いてきた。


「フレデリック殿下は妹のヘレナをお望みではあるが、やはり、身分差がありすぎると思う」


「……それでも殿下は、お望みなのでしょう?」


「ヘレナに皇太子妃としての勤めは無理だ」


(まぁ、どう努力しても駄目なものは駄目っていうのはあるけど、彼女はそれだけの努力はしたのだろうか?)


 ヘレナの悪い情報は殆ど、アリスの耳に入らないので(なんといっても相手は皇太子妃候補だ)返事のしようがなかった。


「君なら公爵令嬢でもあるし、適任であると思っている」


「――――ガリレア伯爵令息は、私と結婚する気はないと宣言されていると受け取ってもよろしいのですね?」


「たかが伯爵家の息子が公爵家に婿入りして、いったい何ができると言うんだ?」


「……その件は、お父様にお伝えしておきます。家同士のことですので」


「……ハハッ、最初から君は私を選ぶ気などないくせに。私は君のそういうところが----」


 バチバチっと繋いでいた手から、電撃が走る。


 全身に衝撃が回らなかったのは、アルバートとの日頃の鍛錬のおかげだ。危うく膝をつくという失態を犯すところだった。


「突然の魔法攻撃だなんて、ずいぶん失礼ではないのですか?」


 きっぱりとアリスが言うと、彼はフフンと鼻で笑った。


「――――失礼だと? 君が存在するだけで、この国の人間を不快にしている----つまり、失礼だということに気がついていないとは愚かしい」


「……不快ですって? どういう意味ですか」


 アリスが質問をするやいなや、ルートヴィッヒがさっそうとあらわれて、モルベルトの手を振り払い、二人の間に入り込んだ。


「いくらガリレア伯爵令嬢がフレデリック殿下の婚約者だとしても、今のセリフは公爵令嬢に対してあまりに不敬ではないのか? モルベルト」


 ルートヴィッヒの声には怒りが滲んでいた。アルバートもすぐ傍にいた。既の差すんでのさでルートヴィッヒのほうが動きが早かった。


「おや、あなたはフレデリック殿下のお話し相手をなさっていたのでは?」


 悪びれる様子もなくモルベルトは言い放つ。


「君は失言に対して、謝罪するという簡単なこともできないのか?」


 ルートヴィッヒの言葉に、モルベルトは高笑いをした。


「私が何か失言をしましたか? 心当たりがありませんね」


 フロアがざわつきはじめた。


「ルートヴィッヒ様、私は大丈夫ですので、もうこの辺で……」


「君を侮辱されたのに、放っておけというのか?」


 このままではルートヴィッヒのイフリートがこの城を燃やし尽くしそうな勢いに感じられたので、アリスは叫んだ。


「モーレックの精霊、お願いよ! ガリレア伯爵の令息を、彼のお屋敷に送り届けて!」


『かしこまりました。我が主あるじよ』


 モルベルトの姿は、あっという間に消えてなくなった。


 アリスの魔導石のペンダントが薄っすらと光り輝き、彼女がふらついたところをアルバートが支えた。


「大丈夫か?」


「この程度、大丈夫です」


 ――――大丈夫じゃないのはルートヴィッヒだろう。何と言っても彼の怒りの矛先が消えてしまったのだから。


「何故、モルベルトをかばった?」


「……かばった、ことになるのでしょうか? こういうことには正直……」


 前世においてすっかり慣れてしまっていたので、怒りも悲しみもわかなかったのが正直なところだった。


「私は許せない。君への侮辱は」


「……ありがとうございます。そのお気持ちだけで十分です」


 それまで黙っていたアルバートが、口を開いた。


「アリスが王太子妃になることを断っているのは、フレデリック殿下がガリレア伯爵令嬢を望んでいるからだろ? モルベルトのあの逆恨み的な態度は理解できないな」


「それだけではない。気づかなかったのか? 表向き、モルベルトには魔力がないことになっていた筈だ」


(あぁ、そういや、そうだったな)


 セイラス家には魔力を持つものがなく、だからこそ、ガレリア伯爵からガリレア伯爵に領地名が変わったのだ。


 ガレリアの森の守護者は――――本当は存在していて、ガリレア伯爵に力を貸している?? でも、何故、何のために?


(そして、僕はその森に入っていかなければいけない)


「アリス、顔色が悪い。今夜はもう帰ろう」


 ルートヴィッヒが気遣うように、彼女の腰を支えた。


「……ありがとうございます。ルートヴィッヒ様」


 彼はコホン、とひとつ咳払いをしてからアリスに言う。


「前から言おうと思っていたのだが、私のこともルートヴィッヒと呼んで構わない。むしろ、そう呼んで欲しい。アルバートのようにな」


「え? アルバート?」


 そういえば、魔法を教えてもらっているうちに、なんとなく仲良くなっていたので(男女の仲ということではないが)親しみを込めて呼び捨てにするようになっていた。


「かしこまりました。ルートヴィッヒ」


 アリスがそう呼ぶと、彼は嬉しそうに微笑んだ。


 それからひょいっとお姫様抱っこをする。


「わ、わわ、お、重たいですよ! 沢山パニエをつけていますし、それに体重も……」


 アリスが慌てていると、後ろでアルバートが笑っていた。


「重さを変えられる魔法もあるんだよ、アリス」


「あ、そ、そうだったんですか」


 アリスが真っ赤になっていると、ルートヴィッヒはそっと囁いた。


「魔法など使わなくても、君一人抱えられるくらいは鍛えているよ」


「あ、そうですねルートヴィッヒ様は剣士でもいらっしゃるから、日々の鍛錬も他の人とは比べ物にはならないですものねっ」


 ルートヴィッヒとアルバートが固まった。


 先に口を開いたのはアルバートだった。


「ちーがーうよねぇ!!!! 鍛錬はアリスを守るためだよ」


 なんで俺が言わなきゃいけないんだよとぼそっと呟きながら、アルバートが頭を掻いた。


「私の、ため?」


「そうだよ。アルバートだってそうだ。君のために日々の鍛錬や、魔法の研究をしているのだから」


(……なんだろ、この感覚)


 胸の奥が痛くて、目頭が熱くなった。


 自分のために----。と、そこまで考えてからハッとする。


 違う。


(これは僕のためじゃない)


 アリスはぎゅうっと、唇を噛み締めた。


(黙っているのは、フェアじゃない)


 室内だというのに、さわさわと風が吹いた。


「ルートヴィッヒ、アルバート。大事な話があります」


 彼らは、アリスはアリスだ----と言ってはくれた。


 だけど、肝心なところが伝わってなかった。


(僕は----例え本物の“アリス”だとしても、心は前世の僕のままだ)


 アリスとしての記憶を与えられたとしても、これ以上は彼らを騙せない。と思ってしまった。


 騙すつもりがなかったとしても、ふたりに本当のことを言わないなら、騙しているのとおなじだ。とアリスは思った。


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