第十話 ルートヴィッヒの秘密

 アリスの母、ケンジット公爵夫人――――ヴィクトリア・オーガストは宝石のような青い瞳と、白磁のような白い肌、豊かな銀色の髪を持つ、社交界屈指の美人だった。


 そんな彼女にケンジット公爵は、一目惚れをし、そして、幾度となく求婚をした。


 ヴィクトリアは伯爵令嬢だった為、公爵家に嫁ぐことをためらっていたが、ケンジット公爵の(愛の)力で結婚を承諾させた。


 勿論、貴族の階級では圧倒的にケンジット公爵のほうが上であったため(公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の順である)その権力を使い、無理強いをすることも可能ではあったが、ケンジット公爵はヴィクトリアが自分から結婚を望むまでひたすら待った。


 幸せな結婚生活。程なくしてヴィクトリアは妊娠し、十ヶ月後には彼女そっくりな可愛らしい娘が生まれる。


 ――――だが、それから二ヶ月後、ヴィクトリアは産後の肥立ちが悪く、回復することなくこの世を去った。


『なんの心配もいらない。私がアリスを守る』


 アリスが誕生したときに祝福を与えたモーレックの森の守護者が、ヴィクトリアを看取った。


(こんな筈ではなかったのに)


 ヴィクトリアの死。


 今度こそ、優しい母親や父親のもとで、幸せな暮らしをさせてやろうと、自分の傍にアリスの魂を呼び寄せたというのに、どうしてこんなことになったのか。ヴィクトリアは虚弱体質ではなかったし、出産に耐えられない身体ではなかった。


 どんなことでも叶えられないことはない、モーレックの森の守護者である彼女が、アリスに対して祝福を与える前に呪いをかけられ――――そしてヴィクトリアを救えなかったこと。


 アリスが赤ん坊であったという事実はあるにしろ、ある程度の魔力は持って生まれていた筈なのに、ヴィクトリアが亡くなる晩、アリスの魔力が極端に減少していた。


 不可解なことが多い。


 モーレックの森の守護者がアリスの幸せを願ったように、また、その逆を望むものがこの世界にいるのではないかと、彼女は薄々感じていた。


(何故、そこまで執拗に彼女を疎ましく思うのか)


 もはや疎ましいで済むレベルの話ではない。


 呪いはかけた本人にも跳ね返るものだ。そうまでして、彼女の不幸を望む人物とはいったい?


 カツカツ、と石畳を歩く音が聞こえてくる。


 モーレックの森の入り口にある四阿あずまやに、精霊がある人物を呼び出していた。彼女があまり得意ではない人物だ。


「こんな時間に呼び出して、いったい何のようだ?」


 静寂に凛と響き渡るその声は、ルートヴィッヒのものだった。


『アリスのことだとわかっているから、呼び出しに応じたのだろう?』


 ふっとルートヴィッヒは笑う。


「モーレックの森の守護者からの呼び出しを、どんな理由があったとしても断る理由はない」


『そなたの優等生風の受け答えの中に潜む、激しい炎が私は恐ろしいのだがね』


 ルートヴィッヒは作り笑いのまま、精霊に質問する。


「単刀直入に聞くが、アリスはあと何年生きられる?」


 精霊はため息をついた。


『残酷なことをさらりと聞くものだな……』


「時間がないのは感じている」


 一秒でも早く、彼女の心臓に刺さっている呪いの針を消し去らなければ、アリスの鼓動は止まる。


『二十歳まで……と表向き告げてはいるが、デビュタントの年齢である十六歳を超えれば、いつ何があってもおかしくはない』


「……そうか」


 精霊は少しだけ考えるような様子を見せてから、口を開いた。


『なぁ、ルートヴィッヒよ。何故、そなたは……アリスに執着をする?』


 精霊の質問に対し、愚問だとばかりに鼻で笑った。


「あなたと違って、私にとって、アリスの前世などどうでもいい。今の私の感情を執着と言うのならそれでもかまわない。私は、何を犠牲にしても彼女を守りたいだけだ」


『アリスがそなたを選ばなくてもか?』


 精霊の問いかけに、彼はくくっと笑った。


「――――万に一つ、そんなことがあっても、私の決意は変わらない」


 ルートヴィッヒの指輪が輝いた。赤い魔導石。その石の属性は炎であり――――そして。


『待て、そなた、私を燃やすつもりか』


「あぁ、すまない。あなたがあまりにも失礼なことをいうものだからつい」


『……だから、そなたは苦手なのだよ』


 はぁ、と大仰に精霊はため息をついた。


「アリスに“このこと”は言うなよ」


 ルートヴィッヒの背後には巨大な炎の精霊が見えていた。


 モーレックの森の守護者とは違い、誰もが知っている精霊だ。


 ――――その名をイフリートという。


 故に、精霊はルートヴィッヒを傍に呼びたくないのだ。


「あなたができないことがあるなら、私がやるだけ」


『ガレリアの森の魔導石のことか? それはアリスのためにならないし、そもそも援護はできても、魔導石を炎属性のそなたが手にすることは不可能だ』


 チッとルートヴィッヒが舌打ちした。


『アリスのペンダントには水の魔法もかけられている。炎に触れても、壊れぬようにな。アルバートはなかなか賢い。まぁ、上級魔道士だからな』


「あなたは私を怒らせるために、ここに呼んだのか?」


『まさか。ケンジット公には、婚約者決定の件は後回しにしてもらう話をしてある。最優先事項はアリスの命だからな。アリスの社交界デビューの夜、そなたとアルバート、勿論アリスも、ただちにガレリアの森に向かって欲しい』


「あなたは?」


『傍にはいるが、私が何かするにはアリスの魔力が必要になる。なるべく彼女の魔力は奪いたくない』


「――――そうだな」


『そなたの精霊は使ってくれてかまわぬぞ』


 フォフォフォと、彼女は変な笑い方をした。


「……本当にあなたは、アリス以外はどうでもいいんだな」


『フォフォフォ、そうでもないんだがねぇ』


 精霊は遠い目をした。


『アリスの社交界デビューの日まで、まだあと少しある。それまで頑張ると良い』


「……言われなくても」


 ルートヴィッヒは踵を返した。




 理由なんてあるのだろうか? アリスを守りたいという気持ちに。


 自分の何もかもを失っても、彼女さえ残ってくれれば良い。


 ――――だから、イフリートと契約を交わしたのだから。


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