第七話 アリスはいったいどこへ?
もうすっかり見慣れた、天蓋付きベッドの中で目が覚めた。のろのろと手を持ち上げるとホクロ一つない色白で華奢な腕がそこにはあった。
(これは……僕の意識……)
「アリス、目が覚めたか?」
ルートヴィッヒの声が聞こえた。
ベッドの傍の椅子にルートヴィッヒが腰掛けていた。何か本を読んでいたようで、それをパタンととじて小さなテーブルの上に置いた。
そのテーブルの上には、小瓶に入ったポーションが沢山置いてあった。アルバートも来てくれていたのだろう。
アリスは虚ろな瞳で、ルートヴィッヒに問いかける。
「……私、どのくらい眠っていましたか?」
「三日ほどだな」
「……そうですか」
アリスはすっかり気落ちしていた。精霊に“アリス”の記憶をもらってあとでも、何の変化もなかったからだ。
「何か食べるか? それもと先にアルバートのポーションを飲むか?」
小瓶に入っている液体はピンク色だったから、マジックポイントを回復するものだろう。自分のためにわざわざ作ってくれたのか、と思うと申し訳なかった。
アルバートの大好きなアリスは復活することなく、今はいったいどこに行ってしまったのかわからない。
精霊の力によって、思い出させられた過去アリスの記憶は、辛いものだった。どれだけアルバートやルートヴィッヒが、アリスを可愛がっていたのかがわかってしまったからだ。
それは彼らだけではなく、父であるケンジット公も同じだった。
アリスの母、ヴィクトリアを亡くしても、ただの一度もアリスを責めることはなく、この世にアリスを産んでくれたヴィクトリアを、事あるごとに褒め称えていた。
(……アリスは、戻ってこなかった。どうして……)
記憶が戻ればもとに戻ると思っていたのに、予想に反して何も変わらなかった。
途方に暮れていると、ルートヴィッヒが再び声をかけてきた。
「精霊にだいぶ魔力を持っていかれたみたいだから、やはり先にポーションを飲んでおこうか」
小瓶に入ったポーションの蓋をはずして、ルートヴィッヒはアリスに渡してくる。
「ルートヴィッヒ様は、ずっと傍にいてくださったのですか?」
「あぁ、昼間はね」
「お仕事は大丈夫だったんですか?」
彼は公爵領主の子息だ。暇な筈はない。ポーションをくいっと飲み干すと、空き瓶をアリスの手からルートヴィッヒが取った。
「私がやらなければいけない内容の仕事は、こっちに書類を持ってきてもらっていたから大丈夫だよ」
「――――お手を煩わせてしまって、申し訳ありません」
「アリスは、自分が倒れて大変なときに、お見舞いにも来ずに仕事に没頭するような男のほうが好きなのかな」
「……私は……」
好きだの嫌いだの、とか言う問題の話ではない。
アリスではない人格のときは、看病などされたことなどなかった。苦しくて目が覚めても、家には誰もいないのは当たり前だった。
インフルエンザで死にそうになったときにも、誰も感染したくないからと、部屋の中に入ってこなかった。温かく見守ってくれる人などいなかったから、目が覚めて誰もいなかったとしてもそれがアリスにとっての“普通”なのだ。
「……アリスを大事にしてくださって、感謝いたします」
他人事のように言う彼女に、ルートヴィッヒは苦笑する。
「アリスは君で、君はアリスなんだよ」
「いいえ、アリスは、アリスです。私ではありません」
「それは違う」
「……いいえ」
「精霊からおおよその話は聞いている」
アリスの薄い肩がピクリと揺れた。聞いたというのはどこまで――――何を――――?
「以前のアリスには話していないことだったが、君が転生する前の世界で、君の家族からむごたらしい扱いを受けていたのを、精霊は知っていた。だから、彼女の力でこの世界に転生させたんだよ」
「精霊が私を? どうして、わざわざ?」
「自分の力が及ぶところに、君を置いておきたかったんじゃないかな」
アリスは思わずハハハと地の笑い方をしてしまった。
「私にそんな価値なんてないのに」
「価値のない人間などいない」
ルートヴィッヒのいたわるような優しい声が、今は苦しかった。
「それは、精霊が与えてくれた力があるからというだけのことでは?」
「確かに精霊の祝福は精霊の力ではあるけれど、君の魔力は君自身が“持って”生まれたものだ。以前のアリスが魔力を持ちながら魔法が使えなかったのは、それは彼女こそが“仮のアリス”だったからだと、私たちは考えている」
「仮ですって?」
「――――だから、君がいくら望んでも、本物のアリスの君が目覚めた以上、仮のアリスはもう目覚めない」
「あなたは取り戻したいとは思わないのですか? アリスを。それとも――――ぼ、僕がそんなに哀れで惨めに見えるのか? 施しを与えたいと思わずにはいられないほどに! 僕は、僕は少しも不幸なんかじゃない!」
アリスはベッドに置いてあったクッションを、ルートヴィッヒめがけて投げつけた。
彼は避よける様子もなく、甘んじてそのクッションを身体で受け止めた。ぽふんと軽い音がしてクッションが床に転がる。
「君の苦しみを分かち合いたいと思ったことはあっても、哀れんだりましてや惨めだなんて思ったことはないよ。それは、精霊も、アルバートもそうだ」
アリスの青い瞳から、涙が零れ落ちた。
――――今までどんな酷い仕打ちを受けても、泣いたことなどなかったのに。
何故、今こんなに胸が痛い? 堪えることのできない涙が次々と落ちていく。
「僕の痛みは、僕のものだ----」
「あぁ、それでも構わない。ただ、アリスとして生きることも考えて欲しい」
「……」
「ケンジット公はこれまで散々、後妻をとるよう周りから言われてきたのを相手にしなかったのは、君がいたからだ。自分の血を引く子供はアリスだけでいいと、ケンジット公は、はっきりと仰った。ケンジット公爵領はアリスに継がせると、国王陛下にもはっきりと仰った」
ルートヴィッヒのその言葉に、アリスは胸がいっぱいになった。
――――子供はアリスだけでいい。
あぁ、昔、どんなに望んだことだったろう。
自分だけだと、ひたむきに愛されたいと、無償の愛を望んだ日を思い出してしまって、余計に涙が溢れた。
「……お父様は、私が転生者だということはご存知なのですか?」
「いいや、精霊がこの話をしたのは、私とアルバートだけだ」
「そうですか……」
「……もうひとつ、話しておかなければならないことがある」
改まった口調で言う彼に、アリスは思わず息を飲んだ。
「モーレックの森の守護者の祝福が間に合わず、それよりも早くに君は他の精霊から呪いをかけられている」
「呪いですって?」
アリスはフフッと思わず笑ってしまった。
余程自分は、誰かに恨まれているんだろう。転生してもなお、普通に――――穏やかには生きさせてはくれない。
「その呪いは、死んでしまう類たぐいのものですか?」
「このまま放っておけば二十歳までは生きられないだろう――――というのが精霊の見立てだ。なんでも心臓に、呪いの針が差し込まれているそうで。勿論、精霊が取り除くこともできるのだが、それには君が持っている魔力が足りなすぎる。“代償の魔力”がね」
「結局、取っても取らなくても死ぬわけですね」
「方法がないわけではない」
「――――え?」
「君の魔力の最大値をあげることだ」
ふむ、とアリスは考えた。
生き死にの話の割に、動揺は殆どなく、彼女は冷静だった。
魔力の最大値をあげるというのは、鍛錬して(モンスターでも倒して?)自分自身のレベル上げをするというっていうところだろう。
(今が“見習い魔法使い”だとしたら大賢者あたりまでジョブチェンジしていくような感じかな)
まったくもって、全てがゲームの中の話だ。これが現実の世界なのだから不思議なものだ。
アリスはすうっと息を吐いてから、ルートヴィッヒに聞く。
「最大値をあげるという言葉だけではなく、そのためにはどうすればよいか、という案はあるのでしょうか?」
「最初は魔道具の力を借りることになる。そのペンダントのように」
「……魔導石が必要だと……? では、ガレリアの森に行かねばならないのですね」
「ガレリアの森には私が行ってくる。あの森に――――私は入れる」
「私も行きます。自分のことなのに黙って待っているなんてできません」
ルートヴィッヒは目を細めて微笑んだ。
「頼もしいな。だけど、精霊がなんていうかな」
ふわりと風が吹き、精霊――――モーレックの森の守護者が姿を表した。
『……ガレリアの森は私の力が及ばない所。できればアリスには行って欲しくない』
以前は何でもできると言っていたのに、妙に弱々しく精霊が言う。
「私は、他人に頼るということが苦手です。だから、なんでも自分でやらなければ気がすまないのです」
「じゃっ、じゃあ! 俺も行く!」
若干腰の引けたアルバートがアリスの寝室に入ってきた。
布のショルダーバッグにはポーションが山ほど詰め込まれている。
寝ずに作ってくれたのだろうか? と考えれば、何が何でも呪いを解いてやるという気持ちになってくる。
「私は、負けたくないです。私を殺したいと思う人間の思い通りになんかなりたくない」
「協力は惜しまない。だから、頼ってくれアリス」
ルートヴィッヒの言葉に、今度は素直に頷くことができた。
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