アイリス

宮野 楓

アイリス

 時の流れは残酷だ。


 ふと思うときがある。

 いつもと同じ道を歩いている時に、一か所違う点があることに気が付くことが。

 それは工事中の建物だったりするのだが、いつも歩いて、いつも見ていたはずなのに、何故なのだろうか。

 工事前に何が建っていた場所だったのか思い出せない事のほうが多い。

 そして新しい建物が建ったら、始めはおっと思わせられるが、また日々の日常の風景に溶け込み、また同じ個所が工事中になった時、やっぱり思い出せない事が多いのだ。

 いつも見ていたのにな、と思う。

 新しい建物立ったな、という感想も思い出せる。

 ただそれが何だったのか忘れて、結局同じことを繰り返していく。

 私が毎日通り始めたこの道だが、今年で40年になる。

 何処が、とは言えないが、何だったら何処もかしこも通り始めたときより変わっているに違いない。

 私がこの道を毎日歩く日々は今日が最後だ。

 道がもちろん崩れるわけではない。だから毎日まだ歩き続けようとしたら歩ける。

 だが本日で定年を迎える私にはこの道を歩く意味が、今日でなくなる。

 だからだろうか。

 花束を持っている以外、いつもと変わらぬ道なのに、色んな想いが込み上げてくる。

 私が40年前、この道を歩き始めたときはどんな道だっただろうか。

 最初の頃はワクワクしながら歩いていたと思う。だからキラキラした道に見えていただろう。

 ある時は大失態を犯して恥ずかしいが、泣きながら歩いていた時もあったと思う。その時は俯いて道なんか最低限しか見ていなかったかもしれない。

 そう思えばこの道を大疾走したことも何度もあった。ポイント、ポイントでしか見てなかったと思う。

 怒りながらもあったし、本当、喜怒哀楽全ての感情で歩いた時があったのではないだろうか。

 もうすぐ家につく。

 振り返れば赤い夕陽が綺麗に映えているが、やっぱりいつもの道が見える。

 だが私はこの道をいつもの道と思っているが、いつもの道はいつもの道ではなかった、と通る意味を無くして初めて気が付かされた。

 確かに道順は一緒なのだ。道の名前も一緒。

 だがある日は晴れて、ある日は雨で、ある日は曇りと天気も違えば、その道を歩いている時全く同じ人が毎日一緒に歩いてはいない。必ず違う人とすれ違っているはずだ。

 そして建物も潰れては、新しくなった建物も多い。そして潰れていない建物でも40年前は真っ白の壁だったとしても塗り替えたり、くすんでいたり絶対に40年前とは違う。

 同じ道であり、毎日違う道を通っていたのだ。

 ただ毎日通っていたから小さな変化にも気が付かず、大きな変化にも道は変わらないと思って、気にはしても気にする程度で、気が付けば大きな変化もいつもの道としていた。

 気が付くのが遅いだろうか。

 それは道だけに言えたことではなかったことが。

 家へ帰るのがふと怖くなった。

 いつも同じだと勘違いしていたのだ。いつも一緒ではない。

 だから私も花束を渡されたのではないだろうか。

 だって明日からは私はそこにいない。いつもと一緒ではなくなるから、別れを惜しんで用意してくれたのではないだろうか。

 いつも一緒なんてないのだ。

 必ず毎日、何かが変化している。

 ただ、気にしてなくて気が付いていないだけ。

 私で言えば、家に帰れば妻がいるのがいつもであったが、それこそ扉を開けて妻がいない事もあるのだ。


「あなた、なにウロウロしてるの? 折角綺麗なお花頂いて、枯れちゃうわよ」


 家の扉が開いて、妻が私にそう言い、ほっとしたのと同時に、そうか、とも思わせられる。

 この綺麗な花もいつまでも綺麗なままではないのだ。

 良い言い方をすると旬なんかと言っているが、旬を過ぎれば枯れてしまうし、手入れを怠っても枯れてしまう。


「すまない。部下が用意してくれたんだ。急ですまないが花を飾りたいんだが、どうやったら良いのか分からないんだ。教えてくれないか」


 水につけるくらいは分かるが、つけすぎも良くないというし、分からない事は分からないと聞いて、この花が枯れてしまう運命でも長く綺麗なまま眺めたいと思った。

 妻は笑ってもちろんよ、といい、家へと手招きしてくれる。

 これもいつもであって、いつもではない。

 花も枯れてしまうように、建物も建て替えられたり老朽化するように、いつか人も―――


 そう考えれば、幸せはあちこちに落ちていて、気が付いた幸せもあったが、気が付いていない、見過ごしてきた幸せに囲まれて今まで生きていたことを思い知らされた。

 なんでこんなに溢れているのに、気が付くことが出来ていなかったのか。いつも見ていたのに見えていなかったのか、と思う。


「ありがとう、ただいま」


 道だけじゃない。家の中にもどこにもかしこにもいつも見ていたものから幸せが見つかる。

 もっと早く気が付けばよかったと思うと同時に、生きている間に気が付けて良かったと思える。


「おかしな人ねぇ」


 感謝の言葉も妻にいつ言ったのだろうかくらい酷い夫だった。だが今からでも伝え続けよう。

 幸せが、いっぱい溢れすぎていて、怖いくらい、幸せだと言える。

 そして私は時の流れに乗りつつ、幸せを噛みしめて、今、泣いている妻を見ている。

 なんでそんなに泣いているんだ。

 毎日同じでは居られないんだ。いつも何かが変わり続けている。その順番が私に回ってきただけの事だ。

 だが立場が逆だったら、そんなに冷静に見れたかと言われれば、泣きじゃくって変われるものならば変わりたいと思っただろう。

 しかしこればかりは時の流れ、運命の定めるがまま故、どうしてやることも出来ない。

 だが間違いなく言えるのは、私はいっぱいの幸せに囲まれている事に気が付かされた。

 色んな所に幸せは落ちまくっていた。

 気が付いてから色んな幸せに気づいては拾って、感謝した。

 知っているか。

 お前の傍に一番幸せが落ちていた事を。

 私は気が付いた日から感謝を述べ続けたが、感謝を述べていない日々の方が長い。

 なのに、お前はありがとうって笑うんだ。

 その度にまた幸せが溢れて、私が人生をかけて幸せにしたいと思っていたお前から、私が幸せを毎日受けて、気が付かないで過ごして、それでも一緒にいてくれて、気が付いてからもお前は私に幸せを送り続けるんだ。

 だから私はお前に幸せを送りたいと思った矢先に、病に蝕まれて、感謝の言葉や態度でしか示せなかった。

 何だったら病院に毎日来てくれて最後まで、幸せより、苦労をかけてしまったと思う。

 今も、泣かせている。

 笑わせたいのに、幸せに……、誰よりも幸せにしたいお前が、私を見て泣いているのが、こんなにも辛くて仕方がない。

 たくさんくれた幸せを返して、幸せだったと言わせたいのに。

 声はもう出せないか、と試すがヒューヒューと空気が通る音しかしない。

 どうすればお前を笑わせられるんだ。私はお前を幸せにしたいのにと思って、お前に手を伸ばした時だ。

 手はちょっとしか動かなかったと思う。だがお前が握り返してくれて、泣きながら笑ってくれた。


「私、幸せよ」


 なんで声にも出ていないのに、お前は私を理解してくれるんだ。

 そう言いたいが言えずに、視界が霞んでいく。

 お前は泣いているが笑っていて、最期まで私に幸せをくれ続けた。


 届かないだろう。





 —————ありがとう





 風で病室の窓際に飾っていたアイリスの花びらが舞う。

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