ニ 夜見真明の視点

 重苦しく、粘りつくような高濃度の夜の闇の中、四方に屹立する魔窟のような建物棟からは、怨念に満ちた刺すような視線が雨嵐の如く注がれている……。


 濃すぎる怨念のためか? どす黒く曇って見える四方の巨大な断崖には、全身血塗れで手脚があらぬ方向へと曲がった者達がひしめき合ってへばりつき、「おまえも死ね、おまえも死ね…」だの、「ぜったい殺す、ぜったい殺す…」だのと、恐ろしい言葉を壊れたレコーダーの如くいつまでも繰り返し、またその屋上には真っ黒い人影のようなものが幾体もゆらゆらと揺れながら立って、無言でこちらに「おいでおいで…」と手招きをしている……。


 心に余裕のない者がこんな所へ足を踏み入れれば、そりゃあまあひとたまりもないだろう……正直、僕だっていつまで正気を保っていられるかわからない。


 見えていないとはいえ、こんな状況の中でもケロリとした顔をしている我が友人が、視える・・・身の僕としてはとても信じられない。


 まあ、それも彼の能力ゆえのことなのかもしれないが……。


「ダメだ。僕も長居してたらどうにかなりそうだ……さ、早くやってくれ」


 ともかくもそろそろ限界のため、僕は頭を抱えながら、そう言って福来を急かす。


「わ、わかったよ。んじゃあ、遠慮なく……」


 何かいろいろ言っていたが、重ねて僕が催促をすると、ようやく福来は中庭の中央に立って、本業の舞台のように持ちネタの一発ギャグを披露してくれた。


「コホン……では、いきます。福来善朗の、その場のシチュエーションにピッタリな即興一発オヤジギャグ……いやあ、すごくいい所にお住まいなんですねえ。このマンション、おいくら万ション・・・・!? …ブフっ…ダーッハハハハハ…!」


 彼が自分のギャグに高笑いをあげた瞬間、あれだけたくさんいた怨霊達が一瞬にして消し飛び、マンション全体を覆い尽くしていた不気味な雰囲気も、まるで最初からなかったかのように消失してしまう。


「いやあ、相変わらずスゴイ威力だね。ほんと一瞬ですべて消し飛んだよ。もう大丈夫だろう」


 何度見ても驚くべきその破壊力に、僕は思わず感嘆の声をあげてしまう……まさに最終兵器。霊達にとっては核爆弾並みの大量破壊兵器といえるだろう。


 幼馴染である我が友人・福来善朗は、霊をまったく感じない霊感ゼロの〝ゼロ感〟である反面、実はものすごい力を持っていたりもする……彼の爆笑は、周囲にいる霊達を瞬時にして複数同時に消滅させることができるのである。


 一応、霊能力のある僕としても理解不能なチート能力なのであるが、何度もその光景を見ているので間違いなくそれは事実だ。


 といっても、彼自身にその自覚はなく、起きてる現象もまったく見えていないために、僕が何度説明をしてもいまだ半信半疑でいる。


 確かに霊感はゼロだし、特に彼が何か修行したというわけでもないので、なぜそんなことができるのかわけがわからないが、思うに霊は陽気なものを苦手とするともいわれるし、もしかしたら、生まれつき彼は陽の気が強いかなんかして、その陽の気の塊ともいえる笑い声にはそんな力があるのかもしれない……。


 視えないどころか霊をまったく感じないというのも、あるいはその能力の影響ということも考えられる……そういえばつい先日、彼が心霊動画ロケの仕事で100%何か起こるといわれる某有名心霊スポットに行ったのに、そのジンクスに反して史上初の撮れ高ゼロだったとひどく嘆いていたが、それもそんな能力の副作用なんじゃあ……ひょっとすると、そこにいた霊を残らず消しさってしまったか……。


 ああ、ちなみに一発ギャグの方はただのおまけで、効果があるのはあくまで笑い声の方である。それでもあえてギャグを披露してもらうのは、独特のセンスを持った彼に気持ちよく笑ってもらうための、まあ、一瞬の方便といったところだ。


 そもそも、そんな彼の能力に僕が気づいたのは、小学校高学年の頃だった……。


 僕も特異な体質として〝暗闇の中で霊が見える〟ため、小さな頃からずっと怖い思いをしてきたのであるが、その年の夏休み、地元の夜祭りに友人達と出かけたその帰りのことだ。


 お墓の前を通りかかると、案の定、生きてない・・・・人達がわんさかいたのであるが、〝視える〟と気づかれたら嫌だなと内心ビクビクしながら、顔を覗き込んでくるやつらを必死で無視していたその時、他愛のない冗談で彼が爆笑すると、その霊達が弾けるようにして一瞬で消え去ったのである。


 もちろん、最初、僕は自分の目を疑った。そして、たぶん偶然だろうとその時は思ったのだったが、その後も同じような現象を何度となく目撃することとなり、さすがに確信するに至ったのだった。


 それ以降、彼は僕のヒーローとなった……彼の笑い声は、僕の恐れるこの世ならざる者達を難の苦もなく消しさることができるだ。


 なので、うっかりタチの悪い怨霊につきまとわれたりしてしまった時など、僕は彼のその能力に頼り、また、この探偵稼業を始めてからも、こうして彼の助力を時折求めたりもしている。


 だが、爆笑転じて〝笑い爆弾〟と僕が勝手に呼んでいる福来のこの能力は、その強大な威力ゆえにそうそう気軽に使えるようなものでもない……周囲に存在するすべての幽霊を残らず消してしまうそれは、明らかにオーバーキルなのだ。


 消し飛んだ霊がどうなるかは定かでないが、おそらくは成仏とかではなく、完全な消滅だろう……恐ろしい存在ではあるが、僕は霊に対しても生きている人間と同様、思いやりを以て接するべきだと考えているので、悪意ある霊でなければ、それはあまりにもかわいそうだ。


 だから、今回のように凄腕の霊能者でもお手上げな案件の場合のみ、彼の能力を頼ることにしている……やはり〝最終兵器リーサルウェポン〟と呼ぶに相応しい。


 その凄まじいまでの力を持った我が友・福来善朗が、今しがた、とてつもない偉業を成し遂げた自覚もないためにキョトンとした顔で僕の方を見つめている。


 ま、これなら濫用される心配もないだろうし、こんな人間だからこそ、神様がこの能力を彼に与えたのかもしれない……自覚ないので意図せぬ大事故は起きそうであるが……。


「さ、無事、仕事も済んだし帰ろうか。お礼に駅前で一杯奢るよ」


 そんな〝天衣無縫〟という言葉がよく似合う我が友に、僕は神様の計らいに思いを馳せつつ、そう言って苦笑い気味に微笑みかけた。


                       (暗闇に呵うもの 了)

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暗闇に呵うもの 平中なごん @HiranakaNagon

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