ニ 福来善朗の視点
「──やあ、おつかれさま」
「おう、おつかれ」
午後11時半。バイトを終え、◯◯駅へ向かった俺は、改札口の前でいつもながらのカジュアルなジャケット姿をした夜見に出迎えを受けた。
「じゃ、さっそく行こうか。現場はこっちだよ……」
「あれ、現場はこの駅じゃないのか? 〝犠牲者が増える〟っていうから、てっきり
だが、挨拶を済ますと他愛ない世間話を交わすこともなく、すぐに改札を出ると俺をどこかへ連れて行こうとする。
「いや、飛び込みじゃなくて
俺の疑問にそう答えた夜見の言葉通り、数分後に俺達は、一棟の巨大なマンションの前に立っていた。
暗闇に
「おい、ほんとにここか? 別になんの変哲もないマンションに見えるんだが……つっても、俺にはそもそもなんも
「いや、うじゃうじゃいるよ。正直、僕も久々にビビってるくらいさ……」
その疑念を素直に口にすると、青褪めた顔でマンションを見上げているとなりの夜見は、冗談めかした口調で、だが、その声はいたく真剣にそう答えた。
俺にはまったく何も見えないが、こいつの眼にはきっと別の景色が映っているのだろう……。
夜見は、ある特殊な能力を持っている……いや、特異体質と言った方が正解だろうか?
昼間の明るい世界では俺達一般人となんら変わらないのだが、こうした暗闇の中限定で、夜見は
つまりは、霊が視える霊能力者というわけである。
「ここのマンション、異様に飛び降りが多いんだ。なんでも一月に一人は出るペースらしい……しかも、住人だけじゃなく、外部からもわざわざ入って来てする人間もいるようだ。そこで、僕に調査依頼がきたわけだけど……見に来たらほら、この通りさ」
〝この通り〟と言われても、俺にはただのマンションにしか見えないのだが、ぼんやりと闇に浮かぶ、灰色のその巨体を見上げたまま続ける夜見の表情から読み取るに、どうやらたくさんの幽霊さん達で溢れ返っているようだ。
夜見は、この〝暗闇の中で霊が視える〟という特異体質を有効利用して、探偵稼業をその
他の者には見えないものを見ることで、その起こっている怪異の原因を探るのである。
ただし、霊は視えてもお祓いとかはできないため、素人が供養するくらいでなんとかなる場合はその方法を依頼主に伝えるし、それでも収まらないレベルの場合は、祓える霊能者に今度は夜見から依頼するというスタイルをとっているようなのだが、今回はその霊能者達でも匙を投げるヒドイ状況らしく……ま、いわゆる〝ゼロ感〟──霊感ゼロの俺にはなんも見えんし、なんも感じられないんだけど。
「さ、中へ入ろう……」
そこらにあるのとなんら変わらぬ、ただの夜のマンションを
鉄筋コンクリ地上七階建のそのマンションは、上から見ると「ロ」の字型の構造になっており、狭い共有スペースの廊下を潜り抜けた俺達は、その真ん中にある中庭のようになった場所に立った。
岸壁の如くそそり立つ、四方のマンション棟に囲まれたその場所は、方々に樹木が植えられたり、中央に花壇があったりなんかして、ちょっとした公園みたいな癒しの空間を形作っている。
すでに時刻は午前0時を回ろうとしており、辺りはとても静かだった。
四方の高い壁で外界からは隔てられているため、風もなく、夜の街の喧騒もここまでは届かず、まるでこの世界からすべての生物がいなくなったかのようにしんと静まり返っている……。
だが、かと言って不気味さというものはまるで感じられない。
中庭の照明や各階の外廊下に灯るたくさんの蛍光灯も、その蒼白い光で無機質な鉄筋コンクリート建造物を冷たく黒い闇の中に染め上げ、むしろ凛とした神々しささえ感じる光景に俺の目には映る。
「…………」
だが、となりで顔面蒼白となっている夜見の小刻みに震える瞳を覗うと、俺とはまったく別の世界が視えているのだろうことが容易に理解できた。
「やっぱりいるのか?」
「ああ、いるよ。いるどころじゃない……こいつらがみんなして、落ち込んでたり、世を悲観しているような人間をここへ誘い込んで仲間にしようとしているのさ。そりゃあ、月一で自殺者がでるのも当然だ……」
再度、俺が尋ねると、不快な顔で周囲を見回しながら夜見がそう答えた。
「ダメだ。僕も長居してたらどうにかなりそうだ……さ、早くやってくれ」
そして、
「でもよ、こんな時間にほんといいのか? 静かだし、よく響きそうなんだけど……苦情とかくるんじゃないか?」
「かまわない。そん時はそん時だ。さあ、早く!」
時間が時間だし、念のため確認をとる俺であるが、夜見はまるで聞く耳を持たず、最早、我慢がならない様子でさらに強く俺を促す。
「わ、わかったよ。んじゃあ、遠慮なく……」
いつにないその剣幕にちょっとビビりつつ、俺は中庭のど真ん中へとおもむろに歩み出る。
「コホン……では、いきます。福来善朗の、その場のシチュエーションにピッタリな即興一発オヤジギャグ……」
そして、ステージに立つお笑い芸人モードに気持ちを入れ替えると、俺の持ちネタである即興オヤジギャグを普段の営業の時同様に披露した。
「いやあ、すごくいい所にお住まいなんですねえ。このマンション、おいくら
深夜の静寂の中、渾身のオヤジギャグを大声で言い放った俺は、直後、自らのギャグのおもしろさに堪えきれず、高らかなバカ笑いをマンション棟全体に大きく響かせる。
無論、オーディエンスは誰もいないため、笑っているのは俺一人だ……いや、観客がいる時でも客席から笑い声が聞こえてくることは稀なので、どちらでもあまり変わり映えはしないのだが……。
「おお〜っ…!」
また、観客ではないが、唯一この場でギャグを聞いていた夜見は、笑う変わりに感嘆の声をあげ、感心したようにパチパチと間の抜けた拍手をしている。
いや、そこはちゃんと笑ってほしいところなんだが……。
「いつものことながら、なんもわからんのだが……どうだ? うまくいったのか?」
「ああ、完璧だ。いやあ、相変わらずスゴイ威力だね。ほんと一瞬ですべて消し飛んだよ。もう大丈夫だろう」
まるで俺のギャグが滑ったかのようにシーン…と辺りが静まり返る中、困惑気味の表情を浮かべて俺が尋ねると、夜見は驚嘆すら覚えている面持ちで俺の
「ほんとになんの気配もなくなったね。付近を彷徨ってた無関係な霊も消えちゃったみたいだ……さ、無事、仕事も済んだし帰ろうか。お礼に駅前で一杯奢るよ」
毎度のことだが、なんの達成感もなくただただ消化不良気味に佇んでいた俺に、かたや一仕事終えた感を出した夜見がそう言って声をかける。
ま、仕事も金もない、売れないお笑い芸人の俺としては、こうして臨時収入とタダ酒にありつけるのだから別にいいんだけど……。
「バイト終わりで疲れてるとこ呼び出されたんだ。一杯といわず二杯…いや、三杯は奢ってもらうぜ?」
「ああ、わかったよ。今回はほんと助かったからね。その分、しっかりと接待させてもらうらよ」
俺は冗談めかした口調で夜見にたかりながら、相も変わらず静かな夜のマンションを何事もなかったかのように後にした──。
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