はなから人とは数えず
曇り空の海原で、クルーザーが一台、白波を立てて進んでいた。乗員は俺に、経理部長と人事部長と法務部長とやら。向かうは社長が保有する無人島で、名目上は全員有給を取ってのプライベートな旅行となっていた。
だがせっかくの旅行だというのに、皆、普段以上に険しく、厳しい表情を浮かべていてリラックスとは程遠いムード。それもそのはず、俺らは今から犯罪を行おうとしているのだ。
その犯罪の名は脱税。クルーザーに積んだ数個のアタッシュケースには、それぞれ一つにつき一億入っていた。コレを無人島に埋めてこいというのが、社長から受けた密命で、物を埋めるだけならもう少し数を減らせるだろうに、恐らく互いに互いを見張らせて金の持ち逃げを防ぐためコイツらを集めたんだろうな。
しかしなにより驚いたのは、集められた顔ぶれ。今朝会うまで、脱税に関わっているのは俺以外には経理部長と社長だけかと思っていたから、まさか人事部長に法務部長まで関与していたとは。ある程度の予想はしていたけれど、どうやら我が社は、腐るとこまで腐っているらしい。そう思うと会社に対してふと、社会一般の道徳観念からくる義憤が首をもたげたけれど、自分もそんな悪事に手を貸しているのだと気づけば、この怒りは大層滑稽なものだなと、笑えてきたもんだ。
そんな気づきをしていると、やっと目当ての島に着いた。そこは沖合からかなりの距離にあって、島自体小さめで人目につきにくく、なるほど隠し事にはもってこいだと言えた。
唯一の不安は天候だったよ。船を進めるにつれどんどん悪くなっていて、今は雨も少なからず降っている。これ以上酷くなれば帰れなくなるかもしれないと、俺たちは道具を持ち出し急いで船から降り、指示された島の中心部へと向かった。
「社長も慎重ですよね、こんな離れた場所まで指定してんだから、後はそこら辺にでも埋めてもバレないだろうに」
「いやいや、ここまで用心深いからこそ、今までの悪事がバレてないんだろ」
「なるほど、そりゃそうだ。にしても、脱税の為の島を買ってるとはね。発想がぶっ飛んでますねぇ、ウチの社長は」
「常識にとらわれないのが生き残る秘策ってやつ何だろうな。さ、埋蔵場所に着いたぞ。こっからは口じゃなくて、手を動かせよ」
「はいはい」
雨は強くなる一方で、ぬかるんだ足元は穴を掘るのを邪魔したが、それでも全員の力を合わせれば、なんとか全てのケースを埋めることに成功した。
さぁ、後は帰るだけだ。心持ちはまるで、いつもの退社時。いやむしろ、いつもよりも良い仕事をした気分で、港に戻ったら一杯やろうかと、陽気に話し合っていた。
……が、その話は無しになった。何せ海岸に停めておいたはずのクルーザーが、遥か遠くの沖合に流されていたから。
「なんてことだ!」
「おおい、戻ってこーい!」
「バカ、誰も乗ってないんだから戻ってくるわけないだろ!」
「そんな、どうすれば……」
船を停めるワイヤーの結びが甘かったのか、それともこの悪天候による大シケの波が持っていったのか、もしや悪行に対する天罰か。こうなっては何のせいか分からないが、ともかく俺らは、この島で助けが来るまでの間を過ごさなければいけなくなってしまった。
とりあえずとして、島に木々は生えていたので、落ちていた枝や葉を使えば住居はどうにかできそうだった。ペットボトルも持っていたから、飲み水も雨水を溜めたり、湧き水を探せば何とかなりそうだった。
問題は食料だ。島には目立った動物がいなかった。いるとすればたまに来る海鳥と海辺の魚、それから虫だったが、穴を掘った時にだいぶ体力を使ってしまってて、鳥や魚を捕まえるほど俊敏な動きもできず、虫はどれが食べられるのかがわからない。虫を餌に魚を取る案も出されたが、糸もなければ網もない状況ではどうすればいいのか、空腹状態の思考力は、それすらも考えられなかった。
日が沈んで登ってを繰り返して、数週間、もしかしたらそんなに経っていないかもしれないが、その日に経理部長がやらかした。空腹に耐えかねて、見たこともない虫を口にしたのだ。が、そいつはハズレだったらしい。奴は見る見るうちに青ざめて、倒れてしまった。
その様子を見て、心配をするヤツは居なかった。そんな余裕など、もう随分と前に無くなっていた。代わりにあるのは極限の空腹だ。そして寝床で寝っ転がる邪魔なヤツを見て、俺はある考えを起こした。
「こいつの肉は、食えるんじゃないか?」
こいつをこのまま放っておいたところで、死ぬに決まっているだろう。それなら、こいつを、食料とすればいいのではないか。
いいや、そんなことをしていいのか?それは倫理観とかでまずいんじゃないか?それくらいは思ったさ。
けど考えてもみろ。こいつは既に常識を踏み外し、犯罪のためこの島に来た輩だ。となれば人の法を破っているのであって、法外の者に法外の処置をするのは、それは正しい理論ではないだろうか。
では自然死を待つか。いや待て、俺は医者じゃない。これは死んだなと、いつ判断できるのだ。もしまだ寝てるのだろうと機を逃せば、肉は腐り、食えるものでは無くなってしまう。ならば、俺の手でトドメを刺すのが合理的ではないか。
何とも素晴らしい理論を立てて、俺はスコップを手にふらふらと立ち上がり、振りかぶる。獲物は弱っていて、抵抗する力も無ければ、叫ぶ力も、逃げる力も無い。なんて絶好の機会だ。俺は何故、こんなに簡単な発想を捨てていたのだろう……。
──それから、この島には人は居なくなった。つまり人権は誰も持ち得なくなった。だってそうだろ?さっきの理論は他の奴らにも当てはまるんだ。ということは全員が家畜であり、全員を食糧と看做しても問題はないはずだ。となれば、残りのヤツらも屠殺するのは合法であって、オレがヤツらを殺すのは正当で真っ当な行為だったと言えるわけだ。
そこからは、生きるためだけに狩りをした。獲物を捕獲し、火に焼べて、食す。もちろん俺は正常で模範的な人間であるため、食材への感謝を忘れずに、毎回手を合わせたよ。
そうして日が昇って、落ちて、また昇り、食料が尽きそうになった時。遠くに船の影が見えた。ついに、救助隊がこの島を見つけ、到着したのである。俺は喜びに咽び泣き、助けを求めた。
「助けに来ました、よくぞご無事で」
「あぁ、本当によかった、人間が、人間が来てくれた」
「食料は?お腹が減っているでしょう?」
「うん。しかし動物がいたから、何とか持ち堪えられたよ」
「それは運が良かったですね。鳥ですか、魚ですか、それとも鹿ですか?」
「ほら、あそこにあるだろ。まだ食いかけのやつが……」
そしたら救助隊の奴ら、急に悲鳴をあげて救助対象である俺に怒鳴りつけやがった。何を怒っているんだか。
そんで本土に戻って、何やらわからぬまま捕まって、ここにいるわけだよ、刑事さん。
──え?仕留めたヤツらの名前?さあね、もう覚えていないよ。呼び名は覚えているけどね。だって、ヤツらは獲物であって、人では無いのだから、名前がないのは当然のことだろう?
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