輝かしい世界の終わり

 砂と汗、時折り血の匂いも立ち上る荒野。その辺境にある酒場に、灼熱の太陽から逃れてきたらしいガンマンが、テンガロンハットで顔をパタパタと仰ぎつつ入ってきた。


 「テキーラを頼む。ショットでな」

 「あいよ」


 彼はカウンターに座り、無愛想な店主から差し出されたショットグラスに少しだけ口を付けると、次にグラスを目線の高さに掲げて軽く傾け、そうして起こる内部の液体の流動を、気だるげに観察しはじめた。埃っぽい酒場の中には彼とマスター以外誰もいなかったし店主も無口な男だったから、また店は、静けさに支配されたのだった。

 しかしほどなくして、静寂は破られた。スイングドアを勢いよく押して、駆け込んできた者があったからだ。


 「キッド、ねぇキッド。あなたここにいたのね。ねぇ、あなたは一体、どうしちゃったのよ」

 「すまないシンディ。もう、終わりなんだ。キッドは、今日で死ぬんだ」

 

 どうやら唐突に入ってきた女は、この客の知り合いらしい。騒がしいことだと、店主は怪訝な表情をした。が、それはそうと。今、キッドと言ったのか。キッドといえばこの荒野で知らぬ者はいない、あの──


 「──あんた、"早撃ちのキッド"か」

 「ああ、そうだ」

 「こりゃ驚いたな。まさかアンタみたいな有名人がこんな辺鄙な場所の、寂れた酒場に来るとは」

 「今日だけは、誰も俺を知らない場所で飲みたくなってね。ま、これで知られてしまったわけだが」


 そう言うと、キッドは自嘲気味に笑った。それは、自暴自棄になった人間の笑いにも見えた。


 「意外だな。キッドは明るいやつかと思っていたが、案外根暗だったのか」

 「ちがうの、おじさんも聞いてよ。キッドったらこの間まではいつも通り、明るく優しく、頼もしかったのよ。なのに最近、突然こんな調子で、ちょっと目を離した隙に町から居なくなっちゃって。何とか跡を追って、私がここに来たの。

 何があったのキッド。あなたは勇敢な荒野の戦士だったじゃない。町を盗賊が襲った時も、私が強盗団に攫われた時も、ライバルのビリーとの決闘だって。あなたの活躍を、私は忘れていないわよ」

 「ああ、そんなこともあったな。懐かしい……それより親父、もう一杯頼む」


 シンディの心配をよそに、キッドはショットグラスを飲み干し、店主へと注文を告げた。彼の目はどこか虚だが、それが今飲んだ酒のせいでないことだけは明らかであった。


 「アンタがどうしてそんなに腐っちまってるのか、俺も気になるな」

 「いいから酒をよこしてくれ」

 「いいや、話が先だね。話したのなら、酒を出そう」

 「私からもお願いよキッド。あなたがどうしてそうなったのか、知らなければ夜も眠れないわ」

 

 二人の懇願にやれやれと首を振り、キッドはため息をついた。そしてキイキイと軋む椅子から立ち上がり、外へと向かって歩き出した。


 「おいおい、代金も払わないでどこへ行くんだ」

 「そうじゃない。外に来な。理由を説明するにはこっちの方が都合がいい。ほら、シンディも」

 「うん、わかった」


 三人は外に出た。いつの間にやら時が経って、手が届きそうで届かない真っ赤な夕陽が半分、身を沈めている。それを眺めながら、キッドは重たい口を開いた。

 

 「さてシンディ。君はさっき、これまでの俺の功績を喋ってくれたね。盗賊、強盗団、ライバルのビリー。そのどれもが強敵で、一筋縄ではいかない相手だった」

 「ええ。でも、あなたは勝ったわ。そのどれにも」

 「確かに俺は勝った。けれど、それが全て仕組まれていたとしたらどうする?」

 「えっ?」

 「これまでの出来事は全部、必然的に俺が勝つようになっていたとしたら」


 シンディはしばらく首を捻った。つまりそれは、キッドが全ての事件を裏で操っていて、自分をヒーローに仕立て上げた、ということだろうか。だけど、それはありえない気がする。例えば盗賊が町を襲った時。彼らは本気でキッドを殺そうとしていたし、現にあの時、キッドは肩を撃ち抜かれている。強盗団から助けてくれた時も、私が隙をついて、棟梁の銃に石を詰めていなければ危なかった。ビリーとの一騎打ちだって、たまたま胸ポケットに銀貨が入っていなければ、彼は死んでいただろう。


 「キッド、それはありえないわよ。もしあなたが企んでいたとしても、計画じゃどうにもならないことが多すぎるわ」


 シンディは整理した頭で、自信を持って答えた。きっと、キッドは何かの妄想に取り憑かれてしまったのだろうと。

 しかしキッドは、首を振った。


 「違う、そうじゃないんだ。企んでるのは俺じゃない」

 「じゃ、誰の仕業だっていうの?もしかして新しい敵?それとも盗賊の長が生きていて、あなたを自分の手で倒すために生かしたとでも?」

 「それも違う。俺が言いたいのは」


 キッドは天に指を差した。


 「世界が俺を生かしているんだ」

 「何言ってるの?やっぱり、あなたおかしいわ」

 「そう、おかしいんだ」

 

 そう言うと、彼はポケットから銀貨を取り出して、空中に弾いた。そして"早撃ちのキッド"の名の如く、目にも止まらぬ速さで拳銃を引き抜いたかと思えば、弾もすでに飛び出した後、まさに見事な早撃ち──。


 「ヒュー、流石キッドだな。初めて見たが人間業とは思えねえ」

 「そりゃどうも。けれどな、問題はそこじゃないんだ。シンディ、いま撃った銀貨を見てみろ」

 「銀貨?特に変わったところはないけれど。見事にあなたの弾が撃ち抜いてるわ」

 「そう、それが最初の気づきだった。銀貨は

 「あっ……」

 「君も見ただろう、俺とビリーの決闘を。俺は胸ポケットに入れた銀貨が、ビリーの銃弾を受け止めてくれたおかげで助かった。しかしこの通り、普通は貫通するはずなんだ」

 「でもよ、銃の性能の違いや距離の違いがあれば撃ち抜けないこともあるんじゃないのか?」

 「あるかもしれないな。現に、俺もその時は運が良かったのだろうと納得していた。だがね、それから様々な違和感に気づいたのさ。いくら撃っても俺に当たらない敵の機関銃、俺がいるところだけに集まる悪党、口笛を吹けばどこでも都合よく現れる愛馬、大事な場面で必ず風で運ばれてくるタンブル・ウィード……事件が終わると、今みたいにこうして、必ず夕陽が沈んでるなんてのもあるな」

 「言われてみれば、たしかに……」

 「そして、俺は気づいた。自惚れかもしれないが、もしや俺はこの世界における主人公なんじゃないのかって。で、試してみた」

 「試したって、何を?」

 「撃ってみたのさ、自分をね」

 「な、何てことしたの!?怪我は!?」

 「それがね、無いのさ。どうやら事件が起こらなければ、俺は怪我をしないらしい。なんなら、目の前で証明して見せよう」


 彼はそう言って銃口を口に咥え、二人の止める暇すら与えぬ早撃ちを披露した。

 三発。躊躇いのないショット。だが銃声が轟くのみで、彼の身体に変化は現れない。ただ軽く彼がえずくと、放たれたばかりの弾頭と薬莢が、煙と共に口から溢れ出すのだった。


 「分かったかい?異常なのさ、この世界は」

 

 シンディも店主も、あまりのことに言葉を失った。代わりに出来るのは、キッドの言葉の続きを待つことだけ。


 「そうして全てに気づいた俺に、今度は文字が見え始めた。何の文字か、気になるだろう?

 ……話数だよ。第何話ってやつだ。何かコトが起きる前に、文字が宙に浮いて現れやがるのさ。疑念は確信に変わった。けれど、もう終わりなんだ。どうしようもないんだよ」

 「何故」


 シンディは恐怖に顔を青ざめさせながら、尋ねた。本当は言われなくても、考えれば分かる。だけど、考えたくはなかった。それでも知らなければならないから、彼女はキッドの口から、真実を訊くしか無かった。

 遥か遠くの太陽は殆ど沈んで、まもなく荒野には夜が訪れるだろう。訪れるはずなのだ、絶対に。


 「分かるだろう?最終回なんだ。もう終わりなんだよ。この物語は、この冒険は、この世界は……」

 

 その時、プツンと音がして、世界は真っ暗になった。

 何も無くなった暗闇の世界の外には、リモコンを持った人間が、一人。

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