嘘みたいな治療

 「どうぞ」


 ある診察室。コンコンと鳴ったノックの音に、机に向かって座る白衣の男は、手元のカルテから目を離さずに返事をした。まもなく扉が開かれ、上着を小脇に抱えた中年男性が入ってくる。


 「失礼します」

 「こんにちは。こちらにお掛けください。手荷物はそちらに」


 患者が椅子に座ったところで、白衣の男は初めて、そちらの方向へと顔を向けた。その中年男性は小太りで、冷房の効いたこの部屋でも、手元のハンカチで時折額を拭かなければならないほど汗をかいている。

 

 「お待たせしました。本日はどういったご用件で?」

 「それが……」


 そこで中年男はまた汗を拭って、言いとどまってしまった。しかしこのような事態は、彼の診察相手にはよくあることなのだ。彼は言いなれた口調で、男へと話しかけた。


 「ご安心ください。ここは完全な防音で、患者の秘密は守られます。秘密を聞くのは私だけ、補助に入る看護師でさえもここでお話しされた内容を耳にすることはありません。もちろん、私が喋ってしまうことが一番の懸念材料になっているのでしょうが、そんなことを一度でもすれば信用は地に落ち、商売を続けることができなくなります。こうして今でも診療を続けられているのが何よりの証拠、と言ったところです」

 「なるほど。言ってることはごもっともです。けれど……」

 「他に何か、ご不安になることでも?」

 「不安と言いますか、どうにも信じられないと言いますか。初めてなものですから、嘘を取り除く口腔外科なんて──」

 「これは失敬。最近は初診の患者さんがあまりいなかったものですから、まずは説明をしなければならないのをすっかり忘れていました」

 

 軽く笑ってそう言うと、彼は引き出しから何枚かの資料を取り出した。

 

 「では、こちらをご覧ください」

 

 彼が示したのは、とある患者の口腔内の写真。だが何の変哲もなく、少しでも腫れている、といったこともなかった。


 「特に、おかしな部分は無いように見えますが」

 「そうでしょう。ですが、ある特殊な機器で撮影するとこのように」


 次に、彼はもう一枚の写真を見せた。歯並びや画角からして同一人物らしいが、先ほどの写真と違い白黒で、喉の周辺に黒い泥のような物がへばりついているのが、はっきりと写っている。


 「何ですかこれは。何かのウィルスを可視化したのでしょうか」

 「ええ、しかしウィルスではありません。実は、これこそが嘘の正体なのです」

 「嘘の正体?」

 「はい。私は長い月日をかけて、人の嘘というものを研究していました。そしてある日、ついにその尻尾を掴んだのです。それこそが喉にくっつく、この黒い影。息をするように嘘をつく、なんて言葉がありますが、それはこの影が喉に溜まっていった結果、善悪の判断を鈍らせてしまうんですな。ほら、良心の呵責という言葉の"呵"という漢字。ここにも口がついてますよね。このように嘘と口には切っても切れない関係がありまして──」

 「そ、その辺で。よく分かりました」

 「おや、これまた失敬。喋りすぎてしまいました。私、よく口が回るもので。とにかく、我が口腔内科はそういった、喉に張り付いた嘘を取り除き、スッキリしていただくのが目的なのです」

 「しかし、それでスッキリとした後はどうすれば良いのでしょう」

 「それは本人次第ですよ。適切な処置をしたところで、その後にまた嘘をつく人はつきますし、きちんと正直者になる人はなります。アルコールやギャンブル依存の治療と同じで、こちら側からいくら治療をしても、一番は患者さん自身がしっかりしなければ再発は避けられないのです」

 「なるほど、仰るとおりだ」

 「さて、ここからはあなたの番ですよ。先ほどお伝えした通り、守秘義務は万全です。あなたの吐いてしまった嘘を、お教えください。それによって処方箋が変わりますので」

 「はい、私は……」


 

 患者が去った後、白衣の男は机の下に手をやった。天板裏に貼り付けておいた、ボイスレコーダーを取り外したのである。


 「いやぁボロい商売だ。適当こいてビタミン剤を処方しておけば、正直者になれたと勘違いしてくれるのだから。もしそれで嘘をついたって、自分の気持ちが弱かったのだと勘違いし、またカモは通院してくる。それに、こうしてボイスレコーダーで秘密を抑えてしまえば、もし訴えようとする奴が居たとしても、黙らせることができるのだ」

 

 こうして詐欺師の男は、大口を開けて笑った。

 だが、笑い声は長く続かなかった。うまく呼吸ができなくなったのだ。息を吐こうにも吸おうにも、身体の内部で何かが阻害して、空気を取り込むことができない。必死にもがいてみても、手が空を切るのみで、そのうちに意識は遠のいて、彼は倒れ込んでしまうのだった。



 「で、嘘を取り除けるなどと言って詐欺を働いたんだな?」

 「はい、その通りです」

 

 救急搬送された病院。何とか一命を取り留めた詐欺師は、警官から事情聴取を受けていた。その様子を後ろから見る警部が、ボソリと部下に呟く。


 「指名手配にもなっている詐欺師なんだから、とぼけたり嘘をついたりするもんだと思ったが、やっこさん憑き物が落ちたような顔して、やけに素直になってやがるな」

 「警部、そのことと関係するか分かりませんが、彼を手術した執刀医が妙なことを言ってまして」

 「何だ?」

 「執刀医いわく、『彼が運ばれてきた時、喉に何かが詰まっていて、窒息している状態だった。かなり危険な状態だったのですぐさま手術に取り掛かったが、詰まっていたのは見たこともない黒のかたまりだった』と」

 「はっはっは。何だそりゃ。怪談にしても、やけに嘘くせえ話だ──」

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