そろばん勘定

 駅を降りて住宅街を抜けた先にある、特に面白くもない外見をした、どこにでもありげな小さなビル。そこが、私が勤めるナニガシ事業会社である。

 名は体を現すではないけれど、社の業務は見た目と同じく、良く言えば安定した、悪く言えばつまらない仕事の繰り返し。毎回、「我が社以外でも出来るだろうな」と思う製品を作り上げ、「我が社以外でもこのくらいだろう」という売り上げを出す、そんな会社であった。

 だがしかし、私の所属している経理部だけは違った。ここは我が社で唯一、他社と異なる特色があるのだ。


 「おはようございます」


 会社に到着し、廊下の奥まった場所にある経理部のドアを開けると、部屋のところどころから、パチパチと乾いた音が耳に流れ込んだ。軽く見渡すと、すでに何名かの同僚が席についていて、各々与えられた仕事に取り掛かっていた。


 「おお、おはよう。さっそく仕事を頼むよ」


 部長に資料を渡され、早速私も仕事に取り掛かる。が、それは一般的なデータの打ち込みといったものでは無かった。なぜなら経理部の机には、昨今どこの会社のどの部署にも置いてあるであろうパーソナルコンピュータが、一台も置いてないのであるから。代わりにあるのは、社員一人一人に支給されたそろばん。ここに配属された人間は皆、これで全ての計算を行うのだ。

 私も最初にここへ来たとき、どうしてこんな前時代的手法を取るのかと首を傾げた。聞くに「社長の方針として、重要なものほどデジタルから遠ざけたいから」らしい。

 しかしやってみると、なるほどアナログの良さが分かる。パソコンであれば常々注意を払わなければならないウイルスの存在を気にしなくて済むし、やればやるほど暗算能力が上がるのを実感できて、その分やる気も上がる。効率の面では機械に分があるかもしれないが、それは仕事が多ければの話で、我が社の大きさであれば、少人数でも十分に仕事をこなせる。

 計算間違えの心配も、同じ計算を最低でも三人が行い、その上に部長によるチェック、さらには最終チェックとして社長へと資料がいくため、可能性はゼロに近い。それに手作業だからこそ、我々経理部全員、常に緊張感と責任感を持つことになり、むしろ他社よりもミスが少ないように感じる。

 また、こんな大事なことをアナログで任されるほど、会社から自分の才を認められたのだと思えて、何よりの自信へと繋がる。これは自惚れに見えるかもしれないが、しかしそうではない。事実、同僚の顔触れを見れば、何かしらの業績を上げていたり、有名な大学を出ていたりするような者ばかりなのだ。つまり我が社は経理部こそ、優秀な人材の宝庫なのである。

 そんな経理部でそろばんを弾ける喜び、それを噛みしめて、今日も私は仕事をする。私を評価してくれた会社へ、恩を返すために。そしてこの中の誰よりも、そろばん勘定が上手くなるために──。


 ……時と場所は変わって。ナニガシ事業会社の営業部長と経理部長が、居酒屋で会話をしている。


 「なあ、つくづく気になってたんだが。何故経理部は、そろばんでの計算なんだ?パソコンを導入した方が楽だろうに」

 

 そう言われて、経理部長は周りを気にした後、声をひそめて答えた。

 

 「……あれはな、色々と誤魔化しやすいようにしてるんだよ」

 「というと?」


 営業部長は相手に合わせて、耳を近寄せた。


 「つまりな、粉飾決算やら脱税やらを目につかないようにしてんのさ。優秀な奴ほどそういうのに敏感だからな、そいつらが外にいるとバレる。だから逆に経理部に囲ってしまって仕事を与え、自分たちの計算なら間違いはないはずだ、と思い込ませるのさ。しかし実際の所は、俺と社長だけで擦り合わせて、上手くちょろまかしてるんだよ。……これら全て、社長の発案さ」

 「そういうことだったのか。それじゃつまり、真にそろばん弾くのがうまいのは、ウチの社長ただ一人だったってわけだ……」


 経理部長は黙って頷くと、とっくりを傾けて、笑いながら酒を一杯、喉に流し込むのだった。

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