逝きつく暇も

 某TV局の楽屋にて。今日から大御所俳優、鈴木の担当となった新人マネージャーの佐藤は、凄まじい緊張に襲われていた。


 「佐藤くん、大丈夫かい」

 「は、はい」

 「そんなに緊張しなくてもいいんだよ。最低限のやることをやってくれれば、私は何も文句を言わない」


 そんな汗をかいて震える新人をなるべく刺激しないよう、鈴木は優しい声色で諭した。こういった仕事とは関係のない常日頃からの周囲への気配りも、彼が大御所俳優にまで登り詰めた秘訣の一つなのだろう。


 「わ、分かりました鈴木さん。ところで、何かNGとかはありますか?」

 「ははは、私はもうこの歳だ。今更何をNGにすると言うのかね。むしろ、この老体に貰える仕事をむざむざと断ってしまうのは、勿体無いし申し訳ない。なんでも遠慮なく、じゃんじゃんスケジュールを入れてくれ」

 

 若手時代に人気ドラマに出演し、ちょっとばかし名が売れて天狗になっていた若かりし頃、鈴木は仕事のオファーを選り好みし、結果として数年間の暗黒期に入ったことがあった。

 だから新人への気休めに聞こえるこの言葉も、実際は彼の経験則からくる、深い教訓なのだった。


 「わかりました。ではそうします」


 佐藤に言葉の真意まで伝わったのかどうか。しかし額面通りにせよ何にせよ、彼は鈴木の言葉を忠実に守った。ドラマ、スポーツ、バラエティ、ニュース、クイズ番組……エトセトラ、エトセトラ。ありとあらゆるジャンルの仕事を、スケジュールに片っ端から入れていった。


 だが現実問題、鈴木も歳だった。若い頃は違ったが、今ではこれだけの量仕事をこなすと、体力が尽きてしまう。けれど佐藤へちょっと偉そうに言ってしまった手前、それを自分の口から伝えるのはためらわれた。

 そうして鈴木が黙っているから、佐藤もこれで上手くいっていると思い込み、次々に予定を入れて行く。


 「今日は朝6時から散歩番組の収録、9時から昼過ぎまでは情報番組のコメンテーター、14時にはドラマ撮影をして、その後にCM撮影。夜になってからはバラエティの収録で、深夜には生放送のラジオ番組を……」


 まさに分刻みのスケジュールで、鈴木は忙殺される日々を送った。そのうちに何度、


 「遠慮なくと言ったが、少しは遠慮しろ!」


 と、怒鳴りたくなったか。けれど彼の思いとは裏腹に、テレビを見る視聴者達は「これだけの大物が、これだけの歳を重ねても、これだけ元気に仕事をやっている姿」が元気をもらえると、彼への評価をどんどんと上げていくのだった。

 こうなってしまうと、鈴木はさらに、スケジュールへの余計な口出しができなくなった。見てくれる視聴者がいて、それが良いと言われてしまっているのであっては、仕事を無碍にすることも出来ない。


 そして鈴木に、ついに無理が祟った。彼は番組の企画でフルマラソンに挑戦している最中、体力の限界がきて倒れ、そのまま死んでしまったのだ。

 

 「ああ、もっと早く、仕事を減らしてくれと頼んでおくべきだったか。けれどこれで、ゆっくり休むことができる……」


 幽霊になった鈴木は死は救済とでも言いたげに、どこかホッとした表情でそんなことを呟いた。

 が、しかし。


 「ええ、はいそうです。葬式の中継は全局で、ええ、生前の映像とともに……あ、いいですね。では鈴木の遺体の型を取って、銅像に……え?そっくりさんを使って生き返りドッキリ?うん、やりましょうやりましょう!」

 「ほんとにいいんですか、佐藤さん?ここまでやっちゃっても」

 「いいんですよ。俺が鈴木さんから受けた教えなんですから。どんな仕事も、NG無しで受けろって……」


 今や敏腕マネージャーとなった佐藤が、鈴木に一息をつかせるのは、残念ながら死後、もう少し先の話のようなのだ。

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