ノンフィクション風フィクション

 その中年の男は、悲嘆に暮れていた。身体に違和感を覚えて医者を訪ねたところ、不治の病であり、また寿命を極端に縮めるものだと告げられたからだ。

 男は家にこもって一通り泣いた後、腹を括った。すなわち、人生の店じまいをしようとしたのである。

 が、しかし、何をすれば良いかが分からない。例えば遺産相続について考えようにも、彼の両親は数年前に他界していたし、結婚もしていないから妻にも子にも渡す選択肢がない。だからと言って、遠い親戚といった顔も覚えていない者たちへ渡すのも気が乗らないし、そもそも彼は渡すほどの財を持っていたわけでもないから、悩みようすらなかった。

 では、身の回りの物品を整理してみようか。けれど普段からミニマリストの気質があったせいで、部屋にあるのは生活に必要最低限の物品にとどめられている。もし、明日には必ず天に召される、とでも言われたのならコレらも捨ててしまうが、実際、そんなことは誰にも分からない。今日思い切って捨てたとしても、もし想像以上に長生きをしてしまったのなら、それこそ何もない状態を惨めに生き延びなければならなくなる。 

 男は、自分の身辺がこれ以上なく片付いてしまっていることに気がついた。しかし、それでも何か出来ることはないかと考えに考えて、彼は遺書を書き残すことにした。

 誰に見せるわけでもなく、法的な効力を考えたわけでもない遺書。それを、近場の文具店で買ってきた原稿用紙へと書き記す。自分のこれまでを顧みたその文章は、遺書というよりも、自分の人生の出来事を色をつけておもしろおかしく書いた、ノンフィクション風フィクション小説、と呼ぶのが相応しかった。

 

 彼は全てを書き終えて筆を置き、出来上がった作品に目を通す。

 

 「うむ、中々の出来だ。む、待てよ?おや、これは──」


 確かな文体に、フリとオチがある文章、登場人物たちの軽妙なやり取り……そこで、男は気づいてしまった。自分には、天性の文才があったことに。

 己の作品を、他人の目を憚らずに心の底から面白いと言える人間は少ない。だが彼の書いたそれは、主観や贔屓目を抜きにして、どれだけ第三者の意見を入れようとも、誰もが口を揃えて面白いと言うであろうシロモノだった。


 「くそう、何だってこんな時に!」


 そして彼にはこの時、良い作品を作った自負による弊害があらわれた。それは文筆家であれば誰でも襲われる衝動。つまり、この世にも優れた作品を誰かに見せたいという欲である。人生の集大成として生み出した、清音幽韻な我が作品を、人に見せずに死んでなるものか。病の宣告を受け弱気だった先程までの彼はどこへやら、今はもう生気を全身に漲らせ、目をギラつかせて、鼻息を荒くしている。


 「誰か、我が作品を読みたまえ!」


 しかし残念なことに、男は機械全般に疎かった。現代においてはネットの海に作品を流してしまえば、自ずと誰かの目に入るということを知らなかったのだ。よって彼は自分の足で、近所の公園に向かい読者を探し出すというアナログな、一歩間違えれば通報されかねない不審者的行動を選んだのだった。


 はたして、公園で標的となったのはベンチに座る若い青年だった。今や文豪気分の男は青年に目をつけるとズカズカと近づき、隣に腰掛けるや否やズイと、出来立ての原稿を、何を恥じることがあるかといった態度で青年に差し向けた。

 当然、青年は驚きと警戒混じりの表情を浮かべる。


 「何ですか、あなたは」

 「頼む、後生だからこれを読んでみてくれ。これは、私の人生を懸けた作品なのです」


 どう見ても気が違っているとしか思えない不審人物の頼みを、意外にも青年は、黙って頷き承諾した。それはこのように何かの妄想に取り憑かれて切迫している危険人物に下手に逆らえばどうなるか、分かったものではないから、というのともう一つ。

 それは青年が、不審人物の一人も追い返す気力を持ち合わせていなかったのだ。

 ──青年は、とある訪問販売会社のセールスマン。しかしその会社が厄介な所だった。売り出す商品はどれも時代錯誤なものばかり、にも関わらず上司は、無知を見つけて騙せば売れる、何軒も家を回れば買う奴はいるはずだ、売れないのは商品が悪いのではなく、頑張りが足りないお前の営業方法が悪いんだ、などと悪質な詭弁と根性論で仕事を押し付けてくるのだ。これでは、青年でなくてもたまったものでない。

 こんな仕事をいつまでしなければならないのか。彼はこのような事情で絶望し、疲れ果ててここに座っていたわけだから、人っ子一人も追い返せないくらいに憔悴していたのも道理だったのである。

 かくして、青年は無気力なまま原稿に目を落とした。最初は早く読み終わろうと、目を滑らせるようにして嫌々ながら、だが次第に、段々と、食い入るように見つめていく。この後の展開はどうなるんだ、ここから一体どうやって逆転するのだ──そうこうして原稿を無心で捲っていくうちに、いつしか全てを読み切ってしまった。


 「まさか、こんなに面白い作品に出会えるとは。あなたは類稀な才能をお持ちなのですね!羨ましい限りだ」

 「いいや、羨まれるような立場にはないのです」


 中年男は息を吐き、遠い青空を見てつぶやいた。


 「実はこの才に気づいたのはつい先ほどのことでして。この歳になるまで何故、このことを知り得なかったのか……」

 「それはそれは。大層もったいないことをした、というご心境でしょう。どうです、今からでも、これを出版社に持って行かれては」


 青年の言葉に、男は目を見開いた。

 

 「出版!何故それを思いつかなかったんだろう!しかし、私のような、しがない男が行ったところで相手にしてくれるだろうか。いや、門前払いを食らって終わりだろうな」

 「ならどうです、僕も一緒にいきましょうか。職業柄、口は回る方ですからお助けできるかもしれません」

 「いいのですか?今、お仕事中なのでは」

 「こんな先の見えない押しかけ営業に精を出すより、あなたの素晴らしい作品を世に出す手伝いをした方が、遥かにやりがいがあるというもの。むしろ、僕の方がお願いしたいのです。頼みます、僕も何か、あなたの作品に携わらせてください」

 「むう、そこまで言ってくださるとは。分かりました、では、ぜひお願いします」

 「ありがとうございます!それでは早速、めぼしい出版社に行きましょう。善は急げです」

 

 こうして二人は何社かの、名のある出版社を回った。けれども、アポ無しの原稿持ち込みが歓迎されることなどまず無く、それら全てで煙たがられて、原稿に目を通してもらうことは、ただの一度も叶わなかった。


 「どうしてだ!読めば必ず、この作品の虜になるはずなのに」

 「いえ、もういいのです。実は言ってませんでしたが、これは、私が遺書代わりに書いたものなのでして」

 「何ですって?もしや、どこかお具合でも……」

 「ええ、医者によると不治の病らしく、もうそう長くは無いと。だから、最期にせっかく上手く書けたこの文章を、誰かに見せたくなりまして。そして、あなたが読んでくれた。それでもう、私は満足なのです」

 「なら尚更、世に出しましょうよ。この作品が沢山の人の目に晒されることによって、あなたの生きた証が輝くのですから」

 

 中年の男は涙を流した。ここまで自分を想ってくれる人がいるとは。しかもそれが、見ず知らずの若者であるなんて。


 「……そうだ、小説投稿サイト!」


 その時、青年が思いついたように声を上げた。


 「何ですか、それは?」

 「インターネットで小説を投稿できる場所があるんですよ。そこであなたの作品を公開すれば!」


 紆余曲折を経て、ついにこの中年の男はネットの海に辿り着いた。青年は彼の作った作品をネットにあげる手伝いをし、彼も生きうる限りの時間を使って自分の作品を書き上げている。それはあなたが見ているこの文章も、例外ではないのだ──。

 

 ……と、このように書いたが、本作は全てフィクションだ。こんな中年男性も青年も、それらの出会いもやりとりも一切存在しないので、間違っても本気にしないように。

 何故ならこの作品は、"ノンフィクション風のフィクション"なのだから。

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