最後の最後で

 「よお、珍しいな。どうしたんだアンタ?」

 「ん、君か……」

 「おいおい、君か、じゃないよ。大丈夫か?そんなにフラフラなアンタは初めて見るぜ。一体、何があったんだい?」

 「いや、別に」

 「いつも飲まないヤツが、度数の高い酒を注文して、ベロベロに酔っぱらっちまってるんだぜ?アンタを少しでも知ってるヤツなら、只事じゃないってすぐ分かるだろうよ。それがアンタと俺の関係なら尚更さ。どうだい兄弟、悩みの種を俺に愚痴ってみろよ。多少はマシな気分になるぜ?」

 「話してもどうせ、何も変わらないさ」

 「そらぁ、何かをやらかしたって結果は変わんねえだろうよ。けどそれをどう乗り越えるかってのが大事だ、そうだろ?」

 「……そうかもな、分かった。そう考えると、話してみてもいいかもしれない」

 「よぉし、きた。で、何がアンタの心に影を落としてるんだ」

 「順を追って説明するよ。あれは数日前だった。僕の趣味は古本屋巡りだと、君は知っているよね」

 「ああ、前に聞いたな」

 「その日、僕はある古本屋に入った。そこは何回か通っている店だったから、どこに何の本があるかとか、大体の検討がついているくらいだった」

 「ふむ、そこでイヤミな客とか、店主とかと言い合いにでもなったのかい?」

 「違うよ。店主はヨボヨボのお爺さん、それでいて静かな人で、客にとやかく言うタイプじゃない。それにその店は壁の塗装が剥がれていたり、看板も錆びついたりしていて、僕のようなもの好きじゃないと、そこにあることさえ気づけないような廃れた外観をしている。つまりその時、僕以外の客はいなかったってわけさ」

 「だとしたら、何が問題だったんだ?」

 「まあ、ゆっくり聞いてくれ。そうして古本屋の中を歩いていると、一つの本が目についた。文庫本よりちょっと大きく、黒い装丁で、背表紙に金色の文字が入っている。しかし海外の本らしく、見たこともない言語だったから、それが何と書いてあるのかは分からなかった。ぱらぱらとページを捲っても、やはり何の本やらわからない。けど、僕はこの本にひどく惹かれてしまって、結局それを購入してしまった」

 「分かった、それが高かったんだ」

 「いいや、店主のお爺さんはそこらへんの融通が効く人でね。どの古本も価格は時価なんだが、僕が常連ってこともあって、どれも良心的な値段を提示してくれる。それに自分でも本の種類を把握しきっていないようで、僕がその黒い本を買う時も『こんな本あったっけなぁ』なんてぶつぶつ言いながら、手頃な金額で売ってくれた」

 「じゃあ、よかったじゃないか。何が不満なんだ?」

 「待ってくれって。これがなんだよ。ここからだったんだ、大変なのは。

 ──そうして読めもしない本を手に入れた僕は、それを家に飾ることにした。カフェにあるオシャレなインテリアみたいに、異国の匂いを我が家に漂わせようと思ってね。それから雑多な用事を済ませて、それらを終えると夜もいい時間になったので寝ることにした。

 そうして意識を睡魔に任せた後、しばらく経ってから。僕の脳内で、夢が始まったんだ」

 「夢?」

 「嫌になるくらいリアルな夢だった。僕は会社のデスクに座り、パソコン作業をしている。時には商談先からの電話を取り次いだり、上司からの頼みごとをこなしたりしていた。働きぶりは上々、このままいけば昇進も近い。

 けれど、ある一本の電話で事態は急変した。電話相手は大口の取引先で、電話内容はこうだ。

 "あなたが先日こちらに渡したデータに入力ミスがあり、発注に大きな不備が生じた。どうにか売り捌こうとしたが在庫はまだまだ余っている。御社は甚大な損失を受け、またそちらに信用も置けなくなってしまった。ついてはそちらとの取引を打ち切らせていただく……"」

 「ちょ、ちょっと待て。アンタの職は個人事業だったはずだろ?会社勤めは性に合わなく、数年来スーツとは縁がないんだと、前に話してたじゃないか」

 「だから、それは夢なんだよ。事実じゃない。が、夢を見ている間はそう思えない。本当にその職についてる気分になるんだ。よって、夢の中の僕は真っ青になり、やがて上司にその件が伝わって、責任問題で会社をクビになり失意に暮れる……。

 と、ここで目が覚めた。やな夢を見たな、そう思ってまた一日を過ごし、夜になって寝る。するとまたリアルな夢だ。

 今度は野菜農家になっていた。一年間手塩にかけて育てた野菜達。あと二日も経てばやっと収穫となる。今年は子供の進学や親戚の結婚やらがあって出費が予想外に嵩んだが、こうして栽培が上手くいけば、一年間は暮らせる収入が得られるというもの……」

 「アンタに子供なんていないだろう!相手もいないのに!」

 「そう、冷静に考えればわかるはずだ。けど、悪夢はそれを許さない。僕にそれらを、現実だと信じ込ませてしまう力を持っている。

 そしてまた、最悪なことが起きた。作業を終えて家で休んでいたら、突然の強風に豪雨。台風だか嵐だかが、前触れもなく起こりやがった。野菜達は傷物になり売ることが出来なくなって、収入はもう見込めない、僕は絶望に打ちひしがれる……こんな夢が、何日も寝る度に繰り返される」

 「そりゃあ、大変だな」

 「だろ?それで僕も辛くなってね。何故、こうも悪夢が続くようになってしまったのかと考えるようになった。何かストレスを抱えているなら、精神科に行って診てもらえばいい。しかし思い当たる節は無いし、悪夢を見るようになった日に変わったことなど──いいや、一つある。あの黒い本だ。思えばあの本を手に入れてから、悪夢が続いている。

 そう気づくと、僕は趣味仲間の、呪術的な方面に詳しい人物に連絡を取った。古本屋にそういった類のものを探しにくるやつってのはちらほら居てね、彼もその中の一人なんだが、信頼できる知識と腕を持っている。そんな彼だったら、何か分かるかもしれないとね。それでアポが取れたから、僕は黒い本をバッグに入れて、彼の家に向かった。

 僕は会うなり事情を説明して、彼にその本を手渡した。彼は黒本を受け取ると、胸ポケットから拡大鏡を取り出して、まじまじと表紙や、内部の文章をなぞって見ていたけれど、ある程度すると顔を上げて、眉間をつまんでこう言った。

  『厄介なものを手にしたね。コレは、歴とした呪物だよ』

  『そうなのかい?』

  『ああ。この本を手にした者に悪夢をもたらし、憔悴させ、最後には精神をおかしくさせてしまうという、恐ろしいシロモノさ。それでいて狡猾なのは、誰かの手に渡りやすいように、本を見た者を魅了させるような術までかかっている』

  『僕は、どうすればいい』

  『こんな本は燃やしてしまうことだね。そうすれば術も解け、悪夢も見なくなるだろうよ』

 彼に礼を言って出ていくと、僕はすぐに対処法を試みた。流石に街で火は起こせないと、車で郊外に出て、枯れ木を集めてライターで火を起こす。火が大きくなってきた所で、この忌まわしい黒い本を投げ入れて、それが灰になるまで見届けた……」

 「なんだ、よかったじゃないか。それで、万事めでたく解決なんだろ?

 それじゃ結局、何で今、アンタは飲んだくれてるんだ?」

 「……そうして本を燃やしたのが今日だ。僕は悪夢から解放された高揚感に包まれ、祝いがてらに飲もうと思って、ここに向かって車を走らせていた。

 その途中、街灯の少ない暗い道で、女性が飛び出してきた。もしかしたら、僕がおかしくて、彼女の方は普通に歩いていたのかもしれない。どちらにせよ、僕は急いでハンドルを切った。

 しかし、間に合わなかった。彼女は僕の車に轢かれ、下敷きとなった。

 だが、僕は慌てなかった。これも夢だと思ったからだ。これまで通りの、うまくいきそうになると失敗する悪夢だと。だから、何事も無かった風を装って、この店まで来た。

 けれど、どうしてなんだろう。いつもと違って、いつまでも夢が醒めないんだ。おまけに酒を飲んでみると、ひどく濃く、味を感じて……」

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