時計塔

 チクタクチクタク、ゴーン、ゴーン。

 時が進む。鐘が鳴る。


 国の象徴にもなっている、大きな時計塔から聞こえるそれは、罪人の処刑を告げる音でもあった。鐘が鳴ると広場の中央、古めかしい木材で作られた断頭台へ、一人の罪人と一人の処刑人がやってくる。


 国王と貴族たちは、周りに設けられた見物席から、その首が落とされる瞬間を娯楽とし、酒を嗜む。なんとも惨たらしいが、これらは全て、狂気に染まった国王の悪法のせいであった。貴族たちも、処刑を見なければいけない義務があるのだ。もし断りでもすれば、今度は自分たちが断頭台に送られる。


 こんな習慣は、国王以外誰も望んでいなかった。それは、処刑人も。


 「なあ、なんで俺は、お前を殺さなきゃいけんのだ」

 「しょうがないさ、あの狂った王が生きてる限りはどうしようもないんだ。君は悪くないよ」


 罪人は、苦しむ処刑人を諭した。これから殺される者が、殺す者を労わる光景。だがこんな国では、そんな妙な関係も、なんら変わったことでは無かった。


 人生を終える苦しみよりも、人を殺した苦しみの方がずっと長く続くのだ。だから、処刑人を長く続けられる者はそう居ないし、もし続けられる者が居ても、それはどこか壊れている人間なのであった。


 「どうして、お前はそうまで気がいいのだ。いっそ極悪人ならば、俺も気持ちよく処刑ができるのに。お前のしたことと言ったら、この国を変えようと革命を計画した、それだけだ。行ってもいないではないか」


 今回の処刑人の男は、至ってまともな思考を持っていた。しかし倒錯した時代においては、それは最大の苦しみになる。


 「なら、処刑をやめてくれるかい。君がギロチンを落とさなければ、僕は死なないぜ」

 「勘弁してくれ。国王の前でそんなことをすれば、俺は反逆罪で、家族もろとも皆殺しだ。俺だけ死ぬなら、止めてやれたかもしれない。しかし、家族を巻き込めはしないんだ。すまない」


 あどけない顔をした彼の悪戯っぽい提案を、処刑人は泣きそうな声で断った。


 「いいんだよ。僕と君が反対の状況だったとしたら、僕も変われないさ。

 それより、あの時計塔の針が次の数字に重なったら、僕は死ぬんだね」


 もとから期待をしていなかったのだろう。罪人は肩を落とすそぶりもしないで、自分の死期にはっきりと目を向けた。


 「そうだ。せめて苦しまないように、思い切りやるからな」

 「ありがとう。それにしても、あそこの鐘の音は、すっかり恐怖の象徴になってしまったな。もし、別の時代だったら、あの音に喜べたりするのだろうか」

 「喜べるように、願うしかない」

 「そうだね」


 間もなく、文字盤の上へ針が動いた。それと共に合図がなされ、彼の首筋にギロチンが落ちていく──。




 チクタクチクタク、ゴーン、ゴーン。

 時が進む。鐘が鳴る。


 時計塔が望める、レンガ造りのアパート。その三階にある部屋の、アーチ窓から道路を覗けば、忙しなく労働に勤しむ人々と、土埃をあげて走る馬車が見えた。離れた場所には、もくもくと上がった煙がなびきながら動いているが、アレは近頃できた、汽車の煙だろうか。

 

 「どうも、お邪魔します」

 「どうぞ、コート掛けはそちらです」


 そこでは、二人の紳士が面会をしていた。片や鼻の下に、片や顎の下に、どちらも立派な髭を生やしている。


 顎髭の紳士は来客を迎え入れると、席につかずに再び窓の外を眺め、世間話を続けた。


 「この国も、産業革命が起こってから随分と変わりましたな」

 「そうですな。昔、処刑を娯楽とした王がいたらしいですけれども、まさかここが、そのような蛮行が行われた土地だとは誰も、夢にも思っていないでしょう。それほどまでに国の発展は目覚ましく、景色も変化しました」


 隣に立った彼の言葉に頷き、男は微笑んで言葉を返す。


 「しかしあの時計塔だけは変わらず、大昔から、ずっとある。なんだかその不変さが好きで、私はあの時計塔がよく見える、この部屋に住んでいるのですよ」

 「そうでしたか」


 紳士らは和やかに会話をし、テーブル向かいに座ってコーヒーを啜った。だが、一見穏やかに見える彼らのやりとりには、どこか相手を探る動きがあった。


 無理もない。これは商談であり、密談なのだ。片方は鉱業で富を築き上げ、今では幾つもの鉱山を所有する資産家。そしてもう片方は、政府の高い地位にいる役人。それが、この紳士たちの正体なのである。


 「では、本題に入りましょうか。あなたは、いえ政府は、何をお求めですか?」


 ずばり、相手の正体を見透かしての質問。しかし、役人が動じることはなかった。身分などバレて当然、という態度だ。


 「実は、鉱石をこちらに売っていただきたいのです。それも大量に。もちろん、その分の金額はお支払いいたします」

 「ふむ。それは構いません。が、しかし何に使うのですか?産業用でしたら、こうして密談でなくてもよろしいでしょう?」


 そう言うと、役人は顔を一変して引き締め、声をひそめて言った。


 「用途はですね、武器ですよ。それも、戦争用のね」


 戦争。その文字の重さに驚き、声を上げる。

 

 「戦争ですか!けれどそういった話が、最近出てはいなかった気がしますが」

 「けれど実際、相手が我が国に攻め込もうと動き出しているのです。信頼できる同胞からの報告ですから、これに間違いはありません。しかし、今これを公にすれば、国民は混乱し、その隙を敵に突かれてしまう。ですから準備が出来るまでは、あえて知らないフリをして、万全の用意を終えた段階で、国民に知らせる手筈なのです」

 「なるほど、だから密談なのですね」

 

 資産家は顎髭を撫でた。役人の雰囲気から、事は切迫しているようだ。きっと自分以外の鉱山所有者にも、同じ呼びかけがなされているのだろう。


 「……分かりました。国の一大事とあれば、断る理由もありません。出来る限り、ご協力します」

 「ありがとうございます。では、詳しい話は後ほど。また、伺います」


 役人は固い表情のまま立ち上がり、コートと帽子を取ると、喧騒にまみれた路へと消えていった。

 

 男は、彼の姿を窓から見送って大きく溜息を吐くと、一つの憂慮を呟いた。


 「時計塔は、戦争で壊れないでいてくれるだろうか。私は、あの鐘の音が好きなのだが」

 

 


 チクタクチクタク、ゴーン、ゴーン。


 時が進む。鐘が鳴る。


 風の強い、曇りの日。チラシが飛ばされて、時計塔の文字盤に張り付いた。書かれているのはこんなこと。


 《我ガ国、敵国ト戦闘ヲ開始。

  招集命令ガ発令。招集令状ガ来タ者ハ、軍ヘ出頭スルベシ。

  ソノ他ノ国民ハ身ノ安全ヲ守ルコト。ナルベク室内ニ、非常時ハシェルターニ移動スルヨウ……》


 あんなに騒がしかった道路に、誰もいない。今は皆、引きこもり。


 


 チクタクチクタク。


 時が進む。鐘は鳴らない。


 爆撃で鐘が壊れた時計塔。瓦礫の撤去と、修理が進む。だけれど今日は、どちらも休みであった。


 時計技師たちは塔の中、ラジオの前で黙っている。ラジオからは、アナウンサーの丁寧な声が聞こえてくる。


 『……つきまして、我が国は本日、降伏いたしました。敗戦でございます。……』


 「畜生、負けたのか」

 「くやしいな」

 「この時計塔も、壊しやがって」


 時計技師たちは次々に悔しさを滲ませた。中でも一番のご立腹は、作業を取り仕切る親方だった。


 「許せねえ、なんでこっちが負けなきゃならんのだ。先に仕掛けてきたのはあっちだろう。俺らが戦争の始まりを知ったのも、大分遅れを取ってのことだった。何も知らない国に、攻め込んできやがって。たまたま、武器の用意はあったらしいから、ここまでやれたが。しかし今じゃ、鐘も壊れて無くなった。はあ、時間でも戻らねえかな」


 親方はヤケになって、時計の針を逆に回す。


 クタクチクタクチ、クタクチクタクチ……。



 

 チクタクチクタク、ゴーンゴーン。

 時が戻る。鐘が鳴る。


 今は氷河期。毛皮を来た原始人の群れが、時計塔を見つけ、遠くから見ている。


 「おい、なんだアレは」

 「分からん。こんな物、見たことがない」


 彼らは彼らなりの、鳴き声に近い言葉で話し合う。そのうち群れの一人が、恐る恐る中へ入った。


 「どうだ、安全か」


 外から、仲間が呼びかける。


 「ああ、安全そうだ。それに外より、いくらか暖かい」

 「そうか、俺たちも今行く」


 彼らはそれから、ここを住処にした。慣れてしまえば、吹雪も凌げて、良い所。だけど、コレがなんなのか、全く分からない。


 それにたまに、大きな音が鳴る。何か大きな黒っぽい塊。アレが揺れて音が出てるらしい。


 そのせいで、他の群れに目をつけられた。仲間が出入りするのも見ていたらしく、中が安全なのも知られた。


 やがて群れ同士の衝突が起こって、先に見つけていた奴らは負けた。


 くそう、やっと見つけた安全な場所、暖かい場所。そこを奪われた。許せない、許せない。お前らがいる、その場所は、ホントは俺らのだったのに。


 彼らの怒りは増幅していく。久しぶりに出た外は、寒くて耐えられそうにない。仲間が何人も死んでいく。


 そのうち、群れが一人だけになった。彼もそろそろ、死んでしまいそうだ。しかし、タダでは死ねない。


 仲間の骨、動物の皮、木の枝、自分の血。それらを使った怪しげな儀式。奴らの子を呪う呪術。あの土地にのさばる奴らへ報いを。だが、ただ殺すのでは怒りが収まらない。どう願ってやろう。


 そうだ。群れの長、その子孫よ狂ってしまえ。そして仲間を殺してしまえ。お前はそれを見て笑うのだ。そうすればお前は、仲間の恨みを一心に背負うことになるのだ。どうだ、まいったか……。


 そうとは知らない、勝った群れ。喜びの舞を踊る。ここは今日から、我々の住処。なかなか住み心地が良いところ。おや、コレは何かな。触ってみよう。


 触ったせいで、時計の針は進む。チクタクチクタク、チクタクチクタク……。




 チクタクチクタク、ゴーンゴーン。


 時が進む。遥か昔に修復された、鐘が鳴る。


 「ったく、あの鐘はうるさいな。仕事中なのに気が散るよ」


 ここはいつかの、時計塔を望めるアパート。机の上のパソコンを前に、イラついた男が叫ぶ。


 「そんな大きな声を出さないでよ。それに、あの音は今日止まるらしいよ。土地の新開発のために取り壊すんだってさ。今のが最後の鐘みたい」

 

 同棲中の恋人が、男をなだめた。けれど内心、彼女も鐘の音にうんざりしているらしく、言葉尻が上がり、音の終わりを待ち望んでいるように聞こえた。


 「そりゃいいや。さっさと止まってくれないかね。アレがいつからあるか知らんが、だいぶ古いものだろ?周りの景観に合わなくて時代錯誤だから、さっさと壊せばいいと思ってた」


 あの時のコート掛けはもう無い。あるのは最新の家電ばかり。窓から見下ろして走るのは電気自動車。しかしごみごみとした雑踏は、時代を跨いでも見ることが出来た。そして時計塔も、あの場所に。


 「よーし。じゃ、取り掛かるぞ」


 その時計塔内部では、作業員たちが取り壊しを始めようとしていた。その中の一人は、何やら落ち込んでいるようだった。それに気づき、監督が声をかける。


 「どうした新入り、暗い顔して」

 「あ、現場監督。いやぁ、子供の時から見てきた時計塔を壊さなきゃいけないのが、なんか悲しくて」

 「まあ、気持ちは分かるさ。けれど時代に連れて、地球から邪魔な物は無くなっていくもんよ」

 「そういうものなんですかねえ」

 「例えばよ、昔は馬車があったが無くなった。石炭で動く汽車、コレも消えた。物だけじゃねえぞ、法律、儀式、時勢ごとの価値観。そういったもん、これまでどれだけ消えたと思う。

 なんでそいつらが消えたかっていえば、もうそいつらが必要がなくなったからさ。だからこの時計塔が壊されるのも、自然の流れよ。

 さ、ほら、いいから仕事仕事。時計を止めるぞ。手を貸せ」

 「はぁ……わかりましたよ」

 

 新入りは心ここにあらずで、時計のからくりを操作する。


 「あっ、バカ。ちゃんと見てやってねえな。それじゃ時計の針止まらないよ。逆だ、逆。それじゃ、加速しちまう……」


 手違いか、運命か。時が進む。

 

 チクタクチクタク、チクタクチクタク、チクタクチクタク、チクタクチクタク、チクタクチクタク……。

 

 前の時代から、何億年経ったか。分からないが、やっと針の動きが落ち着く。鐘が鳴る。


 チクタクチクタク、ゴーン、ゴーン。


 時計塔の周りには何もない。あのアパートも、忌まわしき広場もない。罪人も、紳士も、原始人も、作業員も。そもそも人間が、どこにもいない。


 どうやら時の流れは、人すら不必要としたようだ。そこにあるのは、時計塔だけ。


 チクタクチクタク、ゴーン、ゴーン。


 どこにも反響しなくなった鐘の音。

 それでも時計塔は時を刻み、そこに佇み続ける。

 次に時計塔を見るのは何者か。


 チクタクチクタク、ゴーン、ゴーン。

 チクタクチクタク、ゴーン、ゴーン……。

 

 


 


 

 

 

 

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