害獣駆除
都会から遠く離れたのどかな村。季節は、大きく育った稲穂によって畦道が狭くなる頃だ。
傍から見れば、とても穏やかな季節。けれど毎年この季節になると、村人たちは皆、一段と殺気立つのである。
理由はこの時期に現れる、山からの来訪者にあった。狸、猪、熊……様々な獣が、手塩にかけて育てた作物を食い荒らしにくるのだ。
この村の人間は殆どが農業で生計を立てていた。農家にとって獣は天敵だ。奴らを許せば、収益は減りに減る。だから彼らは、血眼で害獣を駆除しようとする。
街の方では、「動物を殺すのは可哀想だ。保護するべきだ」との声も上がっているようだが、この土地ではそんな悠長な考えを持つものはいない。
「もし獣を捕まえ、逃したとして、そいつが他の畑を荒らしたらどうするのだ。そうなれば、お前は他の村人の、今年一年の苦労をダメにしたことになるんだぞ」
村の人間は全員、親からこう教えられていた。親は親の親から教えられてきたし、親の親は親の親の親からそう教えられている。その教えに沿ってきて、村はこれまで安泰なのだから、この教えは正しいと言えた。
さて、そんな村に一人の若い女が訪れた。目的は旅行かと思えたが、この村にあるのは田畑だけで、観光の名所などない。
女は見るに、バックパッカーのようだった。放浪歴が長いのか、こういった場所にも慣れているらしく、宿を求めて積極的に村人に話しかけていった。
最初の数人は、女を怪しみ無視をした。が、何人目かで、話を聞いてくれる男に出会った。
「よかったら、うちに泊まりますか」
「いいんですか?なら、お言葉に甘えます」
うまく話が進み、女は宿の確保に成功した。家の場所を聞いてそこに荷物を置くと、彼女は夕飯までの時間潰しがてら、辺りを散策することにした。
「それにしても、ここは風景が変わらないわね」
見える物は田園か畑。それでいて村はさほど大きくないから、すぐに一周できてしまう。そして周りは鬱然とした山だらけ。それは、如何な旅好きでも辟易とさせてしまう光景だった。多少でもいい、何らかの刺激が欲しい。
女の心が餓えた時、彼女の耳に破裂音が
「あっ」
そこには、撃ち抜かれた獣がいた。近くには銃を携えて、獲物の息の根を確認しにきた男がいる。それは宿を借りている、あの村人だった。
「おや、家にいるものかと」
その時、彼女にちょっとしたイタズラ心が芽生えた。
「(ここで彼の害獣駆除に抗議をしたらどうなるのだろうか)」
彼女は動物愛護を日頃から訴える性格でもなかったが、暇を持て余していたのと、目前の無残な死骸に些かの抵抗感が芽生えたのもあって、つい口を出したくなったのだ。
「ねえ、農家さん。動物を殺すのは、あまりよろしくない気がするのですけれど」
「な、何です、いきなり」
男は急な質問にしどろもどろになった。彼は生まれてこの方、村から出たことがなかった。だから、獣を殺すことに疑問も抱いてこなかったし、そこに質問をされるとも思わなかったのである。
そんな男の様子を、彼女は面白がった。これはいい暇つぶしになりそうだ。もっとからかってやろう。
「動物だって命があるのよ。それを人間の都合で殺してしまうなんて、身勝手じゃないかしら」
「しかし、生かしておいたら、我々の作物に影響が出てしまう」
「それでも、よくありませんわ」
代々の教えを、男は女に説いた。しかし女が納得することはない。彼女にとってそんな本質はどうでもよいのだ。欲しいのは、上辺のやり取りだけ。
もう少し、もう少しだけ彼を困らせよう。その思いのままに、彼女は口から出まかせを吐いた。
「それに──あら、この子は法によって、保護の対象になっている動物じゃありませんか。いいえ、きっとそうに決まっているわ。これはいけない。あたし街に帰ったら、この事を役所に報告します」
「えっ、待ってください。そんなことされては、私だけでなく、村にも影響が出てしまいます。それだけはやめてください」
「あたしも、宿を借りている身で、こんな事したくないのよ。でも、あなたはもう引き金を引いてしまったじゃないの。その結果、一匹の尊い命を奪ってしまったのよ。あぁ、なんて可哀想に!その可哀想な魂に比べれば、あたしの仕打ちなんて、大したことないじゃない」
「いや、それでも、ううん」
男が頭を抱えるのを尻目に、女はその場から軽い足取りで離れた。その顔には、笑みが浮かんでいる。
「うん、いい暇つぶしになった。それにしても、魂だの何だのって、随分酔った演技しちゃったわね。ま、明日の朝にでも、あの人には嘘だったってネタバラシすればいいかしら」
女はこうして宿へと戻ったが、彼女が考えるよりも事態は大きくなろうとしていた。言われたことを真に受けた男が、村長の家に相談に行ったのである。
「村長、大変なことになりました」
「どうしたのだ」
「あのよそ者が、殺した獣は法で保護すべき存在だったと言って、街に帰るなり役人に報告するというのです」
「なんだと!それは一大事だ。そんなことになってしまえば、この村では獣を殺すことを禁止され、やりたい放題されるようになる。あっという間に、村の農業は廃れるだろう」
「どうすればよいのでしょう」
「仕方あるまい、こうなったら──」
女がしばらく囲炉裏の前で待っていると、やがて男が帰ってきた。
「おかえりなさい。遅かったですね」
「あぁ……」
どうも、元気がなく見える。昼間、からかい過ぎてしまっただろうか。
「あの、ごめんなさいね、あんなこと言って。あたしも、そこまで悪く言うつもりは無かったのよ」
「いや、あなたの言うことは尤もです。私も、これからはやり方を変えてみようかと思います。
それより、お腹が空いたでしょう。今、鍋を用意しますよ」
そう言って、男は料理をはじめた。何やら今日は、山で取ったキノコの鍋だと言う。
「出来上がりました。さ、召し上がれ」
「わあ、おいしそう!いただきます!」
腹が減っていたのもあって、女は無遠慮に、器によそわれた夕食をかき込んだ。さすが地物だ。味がいい。
だが、男は鍋に手をつけない。家主が口をつけないのに、自分だけがたくさん食べるのも失礼だ。やっぱり、彼は昼のことを気にしているのだろうか。
「あなたは食べないんですか?」
「あぁ、俺はいいんだ」
しかし、彼女の心配をよそに、男の表情はさっきと打って変わって明るくなっていた。
「あら?顔色が良くなりましたね?」
「ええ、これで心配事が無くなりましたので」
「へえ?よかったですね」女は、相槌を返そうとした。けれど、声が出ない。「おかしい、どうしてだろう」そう考えようとした。だが、考えもできない。「何が起こっているの?」自分がどうなっているのか、認識しようとした。でも、それもできなかった。
無理もない。彼女が平らげた、猛毒のきのこが入った鍋は、それだけの効果を発揮する。
男は、息絶えた女を庭の裏手に埋めた後、害獣の始末を終えたことを村長に伝えた。
「うん、ご苦労だった。
それにしても、これからの時代、害獣の駆除には毒餌の方が効果的なのかもしれんな」
男は頷いた。村の田畑を荒らす害獣を許してはならない。これは代々続く教えだ。そして、教えを守っている限り、村は安泰なのだ。だから、村人たちはこれからもそれを忠実に守り、伝え続けるだろう。
そんなことを、知ってか知らずか。死んだ獣を弔うように、虫たちが盛大な合唱を行っていた。空には、綺麗な三日月が浮かぶ──。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます