最大級の恩返し

 私は今、病室の簡素なベッドでチューブに繋がれ、痩せ細った体で生きながらえている。


 惨めなものだ。今の姿を見れば、誰しもが同情と哀れみを私に向ける。


 病気にかかる前、資産家として名を馳せていた頃は、こんな眼差しを受けることはなかった。代わりに向けられていた感情は羨み、妬み、嫉み、憎しみ……。それでも、誰も私を下に見れはしなかった。そのくらいに、手にしていた財産が、そしてそれに伴った権力が多かったのだ。

 

 私は若い頃から、他人に見下されるのが我慢ならなかった。だから、株を当て多額の金銭を手にした時、周りの態度が一瞬にして変わったのを見て、金こそが自分自身を守ってくれる唯一の物だと思い込んだ。


 この考えに至ってからは、金を稼ぐことだけに身を捧げた。そのために、多くの友人が私から離れていったし、何人もの部下も失った。


 そんな私だから、結婚も金策の一つでしかなかった。ある財閥の一人娘を妻に迎え、財閥内部に潜り込み、あれこれ策を弄して、やがては財閥の全てを私の物にした。


 「お前は私にとって、道具でしかない。愛情もない。私が信ずる物は金だけだ。金こそが私の命なのだ」


 こんな酷い言葉を、妻にぶつけたこともあった。なので、半年前に不治の病と診断された時、妻はすぐに私の前から消えるだろうと思った。


 だが、妻は居なくならなかった。それどころか、あろうことにも彼女は、病に臥せる私に献身的に尽くしてくれた。自分の一族の財産を喰らった男を、何年間も冷たく当たってきた男を、夫として、手厚く世話してくれているのだ。


 そして、私の価値観を変える出来事が起きた。


 それは、秋から冬に移りゆく時期のこと。窓から見える景色が憂いを帯びるこの季節は、心を随分とナイーブにさせた。


 「はあ、私の命は、あの枯れ葉が全て落ちると共に消えてしまうかもしれんな」


 私は外の寂しさにつられ、こんな具合なことを口にした。すると妻は、必死の形相でそれを否定したのである。


 「駄目よそんなの!あなたの命は、枯れ葉なんかじゃないわ!」


 その言葉に、胸を打たれた。彼女が、そこまで思ってくれているなんて知らなかった。金が全てに勝ると思っていた自分の浅ましさを、この時ほど痛感したことはない。彼女は何の見返りも無いのに、こうして私の側にいてくれる。そのおかげで、私は人の暖かさを、初めて知ることができた。


 もう少し長生きして、彼女に恩を返したい。しかし、今までの所業のバチが当たったのだろう、急に咳が出てきたと思えば、心電図を示すモニターが警告音を発し、私の意識は急速に遠のきはじめたのである。


 ナースコールが押され、周りに医者や看護師が集まってきた。けれど、もう助からないだろう。自分の体に関しては自分が一番よくわかるのだ。


 だが死ぬ前に、せめて謝っておきたい。手を握ってくれている妻の耳元に口を近づけ、最期の力を振り絞って言葉を伝える。


 「すまなかった。お前に、何もやれなかった」


 最後まで言い切れたか否か。際どい所で、私の人生は幕を閉じた。




 「──ご臨終です。」

 「そう、ご苦労様でした」

 

 ひどく冷静な声で、妻は夫の死を受け入れた。それどころか、その声にはどこか喜びの感情が混ざっている。それと同時に、彼女の携帯が鳴った。


 「ちょっと失礼」


 彼女は死人への配慮はいらぬとばかりに、通話を始めた。


 「奥様、半年前から行っていた旦那様の元にあった資産及び利権の移動、全てが完了いたしました。これからは、奥様がこれらを所有することになります」

 「ええ、おそらく今終わったのだろうと思ったわ」

 「おや、お分かりでしたか。どうして、分かったのですか?」

 「ちょうど今、主人が死んだからよ。昔言ってたの、『金こそが私の命だ』って。そんな人が無一文になれば、死んでしまうに決まっているわよね」


 通話を終えると、彼女は笑顔で、思い出したように呟く。


 「気にしないで、あなた。あなたからは何も貰えなかったけれど、私はあなたの命をきちんといただけて、とても満足してるわよ」

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