古の地層

 夜。一組の若いカップルが、ある高級レストランに入ろうとしていた。しかし彼らの動きは、どこか浮き足立っている。

 

 「ねえ、私の格好、変じゃないかしら?」

 「変じゃない……と思うよ。僕もこんな店に入るのは初めてだから、確証は持てないけどね」


 そこは、普段の二人からすればあまりに場違いな場所だった。


 彼らは共に住んでいるが、どちらも稼ぎは少なく、貯金があるわけでもない。身体も、随分と痩せ細っていた。


 そんな彼らに、運命の女神は細やかなプレゼントを与えたのだ。

 

 ──彼らはその日、近くの商店で買い物を済ますと、福引をやっているのを見かけた。


 「すみません、お願いできますでしょうか」


 たった一回分にしかならない金額に負い目を感じながらも、おずおずとハンドルを回す。


 「(どうせ、当たらないだろう)」


 結果は見えている。けど、もしかしたら。そんな逡巡の内に玉が出た。その色は──。


 「おめでとうございます!特賞です!あの高級レストランの、一食無料券ですよ!」


 なんと、眩い金色だった。興奮気味の声に、カランカランと、盛大に鳴らされるベル。周りにいた全員が羨望の目を彼らに向け、四方八方から、歓声と拍手が巻き起こる。けれど当の本人達は、この降って沸いた出来事に、茫然と立ち尽くすのであった。


 このような経緯で高級レストランのディナーチケットを手にして、本日、二人は店に向かったわけだから、落ち着きがないのは無理のないことであった。


 しかし、いつまでもモジモジとしてはいられない。やがて彼らは覚悟を決め、店の扉を開けた。


 「いらっしゃいませ」


 店に入るとタキシード姿のボーイが、美しい所作で頭を下げてきた。相手がこうもかしこまった動きをすると、こちらまで固くなってしまう。


 「に、二名で予約をしていたのですが……」

 「ご予約の方ですね、お待ちしておりました。こちらの席へどうぞ」


 声を裏返させながら伝えると、ボーイは窓に面したテーブルに案内してくれた。


 大きなガラス張りの窓。そこから見える景色は絶景だった。目先に浮かぶ、宝石の数々。それらが手が届きそうな位置にあって、幻想的な光を放つ。


 無闇に学があると、この星々のどれとどれを繋げれば、それは何座になる、あれはなんとかという星で誰それが名付けたんだ、と雑学を披露し、高尚に振る舞おうとするだろう。


 だが二人に、そこまでの知識は無かった。そしてだからこそ、彼らの口からは純然たる言葉しか出なかった。


 「なんて、美しいのだろう」

 「本当、綺麗だわ」


 彼らはしばし、その光景に魅入られた。男の方の腹音が鳴り、二人の静寂が終わるまで。


 「ごめん、お腹が鳴っちゃった」


 彼は苦笑いをして、謝った。彼女も怒りはしない。むしろ彼らしいと微笑んで、一緒にメニュー表を開く。


 高級店だからなのか、そこに並ぶメニューの数は、少なかった。それに、二人にとってはそれが何かもよくわからなかった。例えば、「黒池の紐」「熱された隕石の欠片」「古の地層」……、どれも比喩表現ばかりで、何が何だか分からないのだ。


 「うーん?」

 「よく分からないわね」


 そこで、彼らはボーイを呼んで尋ねることにした。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。それにこんな店に来れるのは、最初で最後かも知れない。そんな状況で、失敗をしたくないのだ。


 「実は、メニューがどういったものか分からなくて……」


 申し訳なく聞くと、ボーイはにこやかに答えてくれた。


 「はい、わかりました。初めてのお客様は、全員そう仰るのです。ですから、そんなに縮こまらないでくださいませ。

 それに、これには当レストラン側にも責任があります。というのも、お出しする料理は全て、皆様が今まで見たことのない物で、それ故に名前では想像ができない様になっているのです」

 

 「それはつまり、創作料理というやつでしょうか」


 「まあ、そんなところです。あ、ちょうどあそこの席に料理がきましたね。あれが"黒池の紐"です」

 

 ボーイの言った席を見ると、なるほど、彼らが生まれてから、一度も見たことの無い料理が運ばれていた。しかし見たことがないとはいえ、それはそれは、旨そうな物であった。漂ってきた香りも、とても食欲をそそる。


 「たしかに、あんな物は食べたことがありません。けれど、予想がつかないままだと料理が選べない。ボーイさん、一つ、おすすめを教えてくれませんか」

 「承知いたしました。オススメはこちらの、"古の地層"ですかね。中には"熱された隕石の欠片"も入っていまして、具沢山で食べ応えもありますよ」


 聞いているだけでは何か分からなかったが、腹が減ってくる説明であった。彼女もよだれを飲み込み、喉を鳴らす。


 「で、ではそれを二人分、お願いします」


 「はい、少々お待ちください」


 またあの美しい礼をして、ボーイが席を去る。古の地層、一体、どんな料理なのだろうか。

 雑談をしながら未知の料理に期待していると、ついに料理が運ばれてきた。


 「お待たせしました、"古の地層"です」


 やはり、それは見たことがない物だった。名前の通り、食材が地層のように積み重なっている。


 「これはすごい」

 「どれが、"熱された隕石の欠片"なのですか?」

 

 彼女がそう聞くと、ボーイは重なっている部分の一箇所を指差した。


 「こちらでございます」

 「おお、これがそうなのですね」

 「焼かれているから、"熱された隕石の欠片"なのですね。お洒落な名前だわ」


 実物を目にすると、あの難解な名前も、いちいち意味があるのだと頷けた。


 「それじゃあ、いただこうか」

 「そうね、もうお腹ぺこぺこ」

 

 二人はそれを食べようとした。が、食べ方が分からない。それはそうだ、知らない料理なのだ。

 手掴み、というわけはないだろう。左右にはナイフとフォークがある。これらを使って切り分ければいいのか。しかし刃を立てようとすると、ボーイが慌てて止めにきた。


 「お客様、そのような食べ方は形が崩れて、はしたのうございます。こちらはこのように……」


 どうやら、これは上から順に、食材を取り外して食べるのがマナーらしい。


 「どうも失礼しました……」

 

 こちらも先に質問をすればよかった。彼らは赤面しながら、食事を始めた。

 一段目は、素朴な味。二段目は、フレッシュな、水分の多い食物だった。三段目は、熱された隕石の欠片。単体でメニューになるだけあって、味がいい。四段目は、一段目と同じ食材だった。見栄えのために同じにしているのだろうか。

 何にせよ、美味であるのに変わりはない。二人はそれらを、ペロリと平らげた。


 「美味しゅうございましたか?」


 ボーイが、飲み物を注ぎにきてくれた。彼らはこう答える。


 「さすが一流の店です。いつも食べている、鉱物から作られた、味がない人工食物とは大違いでしたよ」

 「地球から自然食材が無くなって、数千年も経ったこの時代に、こんなに美味しい物が食べれるなんて」

 「それはよろしゅうございました。実は、当店でお出しするこれらの料理は、食材が無くなる前の地球で作られていたもの、なのだそうでございます。当店の料理長は、それを再現する腕に長けていまして……」

 「そうだったんですね。でも、こんなに美味しい料理、過去の人達にとっても、大層高級なものだったんでしょうね」

 「そうかも知れませんね」


 ボーイは愛想良く笑みを返し、彼らが注文した"古の地層"、我々の時代で言うところの"ハンバーガー"が乗っていた皿を片付け、それを洗い場に持っていった。そして、新たに出来上がった"黒池の紐"……もとい"ラーメン"を、別のテーブルに運んでゆくのであった。

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