8 題「胡瓜」「仙女」「針」

「ここか……」

 俺は仙女がいると噂の山へ登っていた。森林限界とでもいうのか、草や木が生えているところはまばらになり始め、その代わりにチクチクとした霜みたいなものが現れ始める。さらにその険しい山を上り詰めると、長さ一センチほどの針のような有機物に変わる。山頂が見え始めたが、その針の長さは増す一方で、もう刺さったら取返しのつかないような長さになりはてている。

 一軒の小屋が見えた。ようやく、仙女のおでましか、と年甲斐にもなく期待に胸を膨らませてしまう。いつになったって美女は良いものだ。美女に悪人はいない、と相場が決まっている。

「よう、よう。誰かいるかい」

 俺は扉を数回叩く。

 奥から出てきたのは、糸瓜のような、胡瓜のような顔をした女であった。その小間使いが仙女のもとへ案内してくれるのだろう、と俺は息を弾ませていると、その女は椅子に座って言った。「私が仙女です」

「お前が仙女?」

「はい。私が仙女です」

「そんな……。しこめじゃねえか。その見てくれで仙女ってのは、嘘だぜ。羽衣さえも着てやしねえ」

「それは天女です」

「別物なのか」

「はい。別物です」

「そいつは困ったな」俺はこれまでの旅路を考えて途方に暮れる。「それじゃ、お前には何が出来るんだ」

「あなたに試練を」

「冗談じゃない! ここに来るまでどれだけ大変だったと思っているんだ」

 俺は怒りのあまり机を蹴とばす。仙女は眉一つ動かさずにそれを直す。なんだかその様は、うすら汚い母の姿を連想させて余計癪に障った。

「いい加減にしろよ。俺は絶世の美女を娶りにきたんだ。こんな婆みてえな豚、自裁錯誤も甚だしい」

 俺には自信があった。今までこの世の中で俺に惚れなかった女は誰一人としていないのだ。だからこうして遥々こんな場所まで足を運んで絶世の美女をめとりにきたというのに。

 どこに向けようもない怒りを発露させるが、仙女はやはりうろたえない。代わりに、といった様子で仙女は右手の人差し指を天に向ける。

「その試練を達成さすれば、あなたの望みもかなえられます」

「ふん」俺はしばらく逡巡して言う。「話してみろ」

「私が持つこの針があります」

 仙女はいつ取り出したのか、気がつくと掲げた人差し指に針を刺している。そして、それを抜いて、窓から針山へ放った。

「この針を探し出しなさい」

 俺は振り返って針が飛んで行った方向を見定める。かなり急な斜面になっており、それほど強い力で投げなくても自由落下でその針はどこまでも風に乗るだろう。

「馬鹿言っちゃいけねえ」

 仙女は何も言わない。俺はむしゃくしゃして荷物をまとめて小屋を出る。こんな茶番に付き合ってられるか! 

 しばらく歩いて、どこもかしこもあの仙女が投げたくらいの針で地面が埋まっていることに気がつく。こんな中から、あの針を見つけるなんてことは不可能に近い。川に放った時計の部品が、海の中で勝手に組み合わされちまうくらい不可能な話だ。

 俺はしゃがみ込む。

 ならば、それなら。どれを持って行っても、あの女には判別がつかないんじゃないか。これは試す価値があるかもしれん、と俺は仙女が放った針と出来るだけ大きさが同じものをいくつか拾い集めてポケットに入れる。

「おい、仙女。拾ってきたぞ」

「早かったですね」

 俺は一本の針を取り出す。「これだろう、間違いない。お前の血が付着している」

「いいえ。これではありません」

「どういうことだ! どうしてお前にそれが分かる」

「どうして私に分からないとお思いで? そうでなければ私はこの試練を与えません」

 俺は仙女の顔を殴る。胡瓜みたいな顔の形が、より一層曲がって、茄子のように青くなる。目の上のタンコブ。目の下にもタンコブ。

 俺は外を見る。やけに暗くなるのが早かった。

「もう遅い時間ですから、どうですか一泊」

 仙女は言う。その含みのある言い方が気に入らず、俺はもう数発女の顔を殴る。こんなことをしておきながら彼女の厄介になるのは気にいらなかったので、俺は外で野宿をすることにした。幸い、山の上と言えど今は暖かい季節だし、野宿には慣れている。

 俺は月が照らす針山を見ながら、ぼうっとしていた。

 針が一匹一匹意思を持っているようで、月の光に照らされるとぽうっと明るくなるのだ。それは花火に似ていた。ねずみ花火が燃え盛って、命を散り散りにさせる様だ。それがとめどなく溢れる。幻想的な風景だと思った。

 俺は針に触れる。そうすると、今まで見えていなかったものが見えるようだった。針の流れや意図、苦悩、様々なものが透けて見えるようだった。

 気がついたら夜が明けていた。私は新たな日を頼りに、昨日仙女が投げた針を探す。今なら見つかるのではないかと思ったのだ。

 案の定、その針は嫌というほどに目立っていた。いったい、俺の頭のどこが変わってしまったのか……。

 俺は小屋を訪れて仙女に会いに行く。すると、中から出てきたのは、今まで感じたことのないような美しさを放つ妖艶な美女であった。

「見つけられたのですね」

「いや、その……」

 美しすぎて気がつかなかったが、よく見ると彼女の顔にはいくつか腫れぼったい跡がある。青あざ。俺が殴った跡なのだ! となると、こいつは昨日の……。

「はい。私が仙女です」仙女は髪をかき上げながら言う。形の良いおでこが俺を魅了した。「あなたは心眼を会得しましたので、こうして私の真の姿が分かるようになったというわけです」

「そ、そうか! これが心眼なのだな!」俺は昨日の出来事を反芻して自身に起きた変化を振り返る。「で、では早速。一緒に山を下りましょう。私と結婚してください」

「阿呆」仙女は言った。「私はもとから心眼なのです」

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