4 題「枯草」「白」「屋根」
週に一度、僕は中学の部活をサボって先月入院した祖母の見舞に行っていた。祖母は僕を迎えると、まるでどちらが見舞人か分からない位に僕に尽くした。僕が手ぶらで見舞に行っても、帰りには何か土産を持っているのだ。おかしな話だと思う。
僕は文庫本を読みながら病院行のバスを待っていた。外では雨が降っている。バス停に着いた時に丁度雨が降り始めたので、傘を持っていなかったが、病院で言えば貸出くらいしてくれるだろうと思った。
あと十五分か、と活字に飽きて少しぼうとしながら雨の降る景色を眺めていると、一人の女性がバス停に入ってくる。まるで秋の木漏れ日の中を歩くように自然で優雅な歩みだった。雨なんて降っていなかったんじゃないかと、外の景色に目をやるが生い茂る草や屹立するガードレールは水滴を受けててらてらと流動的に輝いている。
僕はふたたび彼女の方へ目を向けるが、とっさに視線を落としてしまう。白のブラウスが透けて艶めかしい肌の色と白の下着の境界線がはっきりと見える。なんとなく後ろめたくなって視線を彼女とは真逆の左斜め上に傾ける。頭に留めた記憶を夢想しながら、今の出来事を整理する。
「本は読まないの?」
僕は咄嗟に彼女の方を振り向くが、それと同じくらいの速度で視線の手元の文庫本に落とす。自分がかなり動揺していることが分かった。僕の動向が彼女に筒抜けのようで少し恥ずかしい。
彼女は僕の隣に座って文庫本を除く。雨の匂いと女性的な匂いが混ざった奇妙な空気が僕を包む。
「筒井康隆」
彼女はそう呟く。僕はできるだけ彼女の身体には目を向けないようにして彼女の顔を見る。美人であった。
「そうです」と僕は小さく言う。
「可愛い顔して、意外とシニカルなのを読むのね」彼女は言った。「そういえば、筒井康隆の短編に、退廃した世界で雨が降り続けるものがあったじゃない?」
僕はあまり読書家の方ではない。この本も、学校の朝読書の時間のために父がくれた古い文庫本だった。
「はい、あったような気がします」
僕はつい虚勢を張る。彼女はそんな僕の顔を数秒の間見つめていたが、何処か現実感のない顔だと思った。テレビや雑誌に出てくるような美人とは少し違った、万人が美人とは言わないような顔だったが、確かに彼女の顔は美しかった。しかし、やはり現実味のないふわふわとした寂寥感が彼女の鼻梁を模っている。僕は目を細める。
「その世界の雨は、身体が剥がれ落ちるくらい刺激的な雨で」と彼女は外の景色を指差す。まるで、この雨みたいじゃない?
僕は確信した。今までの一連の出来事は全て僕が見た夢の世界だ。雨がこれほどゆっくり地面に落ちる訳がないし、彼女からは人の温度を感じない。僕が腰かけるベンチや地面もあやふやな存在になって呆けた輪郭は急速に存在感を失っていった。
「枯れますよ」
僕は言う。すると、雨の音はもっと弾けるような気質を含み、空気とは馴れ合わずにまっすぐと降りしきる。触れた草木は橙色にひしゃげて、本来の形を損なった。「枯れる」と彼女も言う。あたりは枯草一色になり、新鮮な色は何一つなくなっていた。唯一形を保っていたガードレールが真黒になり付近へ倒れる。ガラガラと瓦解する音が虚しく響いた。
僕は彼女を直視する。はだけた上着はもうさほど気にならなくなっていた。
「悲しいね」
彼女は僕の腕を取り、雨の降る現実へ足を踏み入れようとする。僕はそれを振り払って、彼女の小さな背を少し押してやる。すると彼女は雨に打たれてダンスを舞った。はだけて露わになる衣服よりも、肌から除く白い骨が僕を興奮させた。しばらく僕はその踊りを見つめていたが、あとには何も残らなかった。僕は興味を失って手元の文庫本に目をやる。
バスが来るまであと二分かそこらだった。
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