§ 6ー4  2月17日   罪を隠した黒



--神奈川県・梅ヶ丘家--



 チャプン! シャァァァー……


 この家は静かすぎる。ワイヤレスイヤホンをつけて、音量強めで激しめなロックンロールをガンガンにかける。先にお風呂に入った彩の立てる音が静か過ぎる家の中に響きわたり、変な妄想もうそうをしそうになる頭を振って平常心を保とうとする。


 梅ヶ丘の家で暮らすようになって3日目。一つ屋根の下、2人きりの生活は緊張の連続だった。特にトイレやお風呂のときはソワソワしてしまう。彩は平気なのだろうか?


 さっきまで一緒に晩御飯を食べていたときは、いつも通りの彩だった。彩が作った野菜の残りを炒めた野菜炒めで、お茶碗に半分ほど盛られた炊き立ての白米を食べるのは本当においしかった。

 そのときも、普段と同じような会話だった。「颯太は人参嫌いだよねー」とか「ミカンを食べるのは蜜柑ちゃんに悪い気がするー」とかとか。あまりにも長い付き合いだからこの調子が自然なのだが、何かがあることを期待してなかったわけでもなかった。


 余計なことばかり考えてしまう。かれた布団に寝転び、気をまぎらわすようにスマートフォンでニュースサイトを閲覧えつらんする。


【パンドラに月を衝突させる作戦、断念か】


【△△会社のシャトル、予約殺到さっとう


【避難するならここ! 人気ランキング】


 どのニュースも今の俺たちとは関係ないものばかりだった。暗いニュースは基本報道されない。マスメディアの報道によって自殺者が増えるウェルテル効果を危惧きぐしてのことだ。

 そんなネットニュースを指でスライドさせて、気になるものがないかと何気なく見ていく。ふと目にまったページをタップする。


【人生の最後に何をしたいか聞いてみた!】


 北海道でお寿司をお腹いっぱい食べる。

 好きな人に告白する。

 南の島で海をながめる。

 家族と過ごす。

 酒を浴びるように飲む。

 …………


 そこには欲望・欲求がつらつらと書き並べられていた。人生の最後、というよりも今したいこと。それは同じことを意味する。


 颯太おれは今、何をしたい? 何をしようと決めた? 何を約束した? でも、そのために何をすればいいのか……



 トントン! 横向きで寝そべっていた肩を叩かれ、驚き振り向くと彩がいた。お風呂上りで髪を下ろしている。上体を起こし、イヤホンをはずす。


「ごめん、寝てた?」


「ふぅ、大丈夫、寝てないよ。少し考え事をしてただけだから」


 彩の顔に、軽く化粧がほどこされていることに気づく。


「それで、何? どうしたの?」


「……ちょっとお願いしたいことがあって……」


 彩も颯太おれと同じように、何をしたいか、どうしたいのか、それを必死に考えていたことを、颯太おれは何も知らなかった。




   ♦   ♦   ♦   ♦




 5年前。お父さんを失い、お母さんの心が壊れ、私のせいで家族が犠牲になった交通事故。私自身は軽く数針をう傷と、節々ふしぶしに痛みをともな打撲だぼく程度で済んだ。

 しかし、その事故は誰にも分からない傷痕きずあとを脳にきざんだ。それは今も変わらずに残っている障害。


 それは、『色』を失ったこと。


 私の見える世界から色が無くなった。空も花も絵も街も信号も花火も料理も服も、窓から見える景色全てが白と黒の世界だった。何度もまばたきし、目をこすってみても変わらない。


 これは私に与えられた罰なんだ。そう心をざして受け入れることにした。



 傷もえ退院した私は誰もいない自分の部屋に閉じこもり、ただ生きていた。呼吸だけをし、ぼんやりと何も考えずに……


 どれだけの時間そうしていたか覚えていない。思い出せるのは、白い月光が差し込む夜。ふと窓に反射する自分の顔を見ると、肩より伸びた髪がすべて白く見えることに気づいた。実際に何色かわからない。でも、ただ真っ白だった。私にお似合いね、とフフフと笑う。

 そんなときだった。部屋のドアが開いた。ガチャリと開かれたドアの先を窓が映す。そこには颯太が映った。

 私は振り向けなかった。罪が表現したみにくい自分を見て欲しくなかった。窓に反射した颯太は、目を丸くしている。当然だ。


「……綺麗きれいだぁ……」


 耳を疑った。颯太が私にそんなセリフを言ったことはない。こんなみにくい自分をそんな風に見るなんてありえない。なのに、その言い方がうそいつわりではないことは解かる。長い付き合いからどうやったって解かってしまう。突然のことに動揺どうようする。


 でも、それが閉ざした心を少し開かせたのだ。


「あ! いや、ごめん。変なこと言っちゃって。母さんが心配だから様子見てこいって言うからさ。インターホンを鳴らしても反応ないし、家のあかりもついてないし、それで、玄関開けたら、鍵、かかってないからさ。なんか、彩が倒れてたりしたらって思ったら、居ても立ってもいられなくなってさ」


 あわてる颯太も珍しい。手振りも言葉もめちゃくちゃで、顔を赤くして、それが可笑おかしくてしょうがなかった。


「くすっ、ふふふ、うふふふ……」


 さっきまでの閉ざされた世界が一変した。父を失い、母は変わり果て、目から色鮮いろあざやかな世界も奪われた。そんな世界でもまだ大切なものがある。それだけで、こんなに世界が明るくなるなんて。


 そんな様子を見た颯太も、やれやれと小首をかしげて表情を緩める。あぁ、私はまだ、私の心を温めてくれる人がいてくれる。でも、ホントに心が温まってしまっていいのだろうか? 父と母を狂わせた私が……



 2日後。颯太がビニール袋をたずさえて、またやってきた。


「よくわからなかったけど、これでいいの?」


 私が頼んでおいたもの。黒染めの染色剤。それは罪を忘れないようにするためのもの。少しでも世界を暗くするためのもの。でも、最後に、最後の最後に心を温めさせて。


「ねぇ、颯太……。それで、私の髪を染めてくれないかな。黒く」


「え? おれが? ……うーん、いいけど、上手く染まらなくても怒るなよ?」


「ふふ、怒らないから、お願い」


「わかったよ。じゃぁ……」


 静まりかえった居間で、昔お母さんが髪を切ってくれた時に使ったヘアケープで肩を覆う。染色剤がねても大丈夫なように新聞紙をき、椅子を置いて座る。集中して染め方の説明書を読む颯太を見て嬉しくなる。


「よし、じゃぁ、やるぞ」


 真っ白な雪のような髪に櫛を入れて整える、優しく、ゆっくりと。彼が櫛を入れる度に髪が引っ張られる。目を閉じている分、感触と音に敏感になる。シュゥ、シュゥ、と髪をとかす感触と音。「じゃぁ、染色剤をつけていくから」と耳元でささやかかれる。ドキドキ……、胸の鼓動が彼に聞こえないか心配になる。


 このとき、気づいてしまったの。あなたに対する色めく想いを。


 急に怖くなった。このままだと私の心は彼がいなければ保てなくなってしまうかも。彼に依存してしまう。この先、罪をあがなうために罰を受けることからきっと逃げたくなってしまう。


 だから、少しずつ黒く染まる髪に合わせて、彼への想いの色を消すようにした。


 ダメだから、でも、ダメだから、やっぱり、いやダメだから……。


 白から黒。髪が完全に染まったとき、私の目に1つの変化が起きていた。颯太の姿に色が戻っていたのだ。モノクロの部屋に颯太だけありのままの色を持っている。罪を少しでも忘れた私への罰。受け入れよう……



 この日から、私は普段の日常に戻るようにつとめた。母に会いに行くと、母の姿もありのままの色を持っていた。しかし、他の人の色は違った。ある人は黄色く、またある人は緑。赤、青、桃、ねずみ……。うっすらと色のついた透明な膜に覆われているような、そんな見え方だった。


 学校に通うようになると、その色の膜はその人の心模様を表していることが解かった。同じ友人でも、毎日微妙に色が変わる。赤みが強くなると、怒っている。黄色味が混じると、いつもより穏やかな表情をしていた。



 学校で、私のカウンセラーをしてくれていた先生にだけこのことを相談してみた。


「それは共感覚シナスタジアかもしれないね。彩ちゃんの目から色彩が奪われたことで、他の感覚が発達して、白黒の視覚と合わさったんじゃないかな。例えば、絶対音感を持つ人はどんな音でもドレミの音階で聞こえたりするみたいにね。だから、彩ちゃんはその人の匂いや音を『色』として知覚してしまうように事故の影響でなってしまったと思うんだ」


 この感覚が治るかどうかは、日常生活や脳の成長に影響するらしい。徐々に感覚が薄れていくこともあるとのことだ。だから、私は思った。



 きっと罪が許されたときに、世界に色が戻ってくる。




   ♦   ♦   ♦   ♦




 彩の家の居間。ビニールシートを敷き、椅子をその真ん中に置く。そこにヘアケープをかぶった彩が座る。


「ホントにいいの、彩?」


「うん。いつも通ってた美容室も閉まっちゃったから。ムラが出るのも恥ずかしいし」


 微笑む彩に少し戸惑う。きっと何か思うところがあって、今まで染めてきたのだから。『お願い』と言われて渡されたのは、カラーリムーバーだった。染めている髪を元に戻したいから手伝って、そうお願いされた。


 以前と同じように、以前とは逆の色に染めていく。丁寧に、慎重に、髪の1本1本余すことなく脱染剤を染み渡らせていく。彩はじっと静かに目をつぶっている。

 夜も更けて、静まり返った世界。救急車やパトカーのサイレンも珍しく聞こえてこない。この世に2人しかいないように、髪を染めていく音だけが流れる。


 あのときと同じで、ドキドキと高鳴る鼓動が聞こえないか心配になる。あの日からだ。彩のことを見る目が変わるようになったのは。



 作業が終わり、洗い流して、髪を乾かす。雪のように、透き通るような白。


「ありがとね、颯太」と微笑む白髪しらかみの彼女は、やっぱり綺麗だと思った。


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