§ 4ー6 12月24日① 引き出しの鍵
--東京都港区・駅周辺カフェ--
正午前の店の中は人で溢れていた。若いカップルや着飾った女性同士が多く、2人用のテーブルに座るのに10分ほど待たされた。淡い黄色や
ガラス張りで白と黒を基調とした店内はモダンでありながら清潔感と解放感があり、メニューも女性層を意識したワンプレートのランチメニューやベリーと生クリームのパンケーキ、ボール状の器に入ったカフェラテなどSNS映えするものがずらりと並ぶ。
案内された席は窓際で輪郭が強い白で
…………
「ごめんね、ずいぶん待たせちゃったよね?」
急な後ろからの声。久しぶりに聞くその高めの声は、やはり女性らしくよく通る音感を含んでいた。シエナのオレンジ色。喫茶ル・シャ・ブランの先輩であり、颯太の元カノ。成城紗良。
肩にかかる丸めた毛先、控え目な涙型のイヤリング、ディープレッドの鎖骨がちらつくセーター、ブラウンのスリットが入ったタイトロングスカート、低めの黒いヒール。社会人だからか、TV局という職場の影響か、以前より大人っぽく感じる。
「気にしないでください」とこちらが返答する間に、席に座りハンドバッグを横に置く。「注文はまだだよね? 先に頼んじゃいましょ。お腹ペコペコ」とメニューを手に取ると、すぐに店員を呼ぶ。メニューを指差しながらボロネーゼとアイスティーをオーダーする。「彩ちゃんは何にする?」と
「久しぶりだよね。いつ以来かなー? 私があの喫茶店を辞めてから会ってないんだから、1年以上
「ホントにお久しぶりです。紗良さん、TV局でバリバリ働いてるんですよね? 匡毅さんや加奈さんから話は聞いてます」
「こんな世の中だからね。報道しなきゃいけないことが山積み。ごめんね、ご飯の時ぐらいしか時間取れなくて」
「いえいえ。そんな忙しいのに時間取ってもらって申し訳ないです。あ、この間のニューヨークの報道見ましたよ」
「ニューヨーク……、ってあれか! 私、目が怖くなかった? 近くで本当に暴動が起きててさ、マジで怖かったのよね。表情も忘れてマイク握ってたんだよー」
国内・国外問わずに
カナダでオーロラがー……
沖縄の海にいるはずのない魚がー……
ロンドンで
「それはすごいですね」「大変だったんですね」と相手の勢いに合わせて
今なら。ここで聞かなきゃ!
そう思いながらタイミングを
「颯太くんのこと、でいいんだよね?」
「えっ!」
急なことで驚きが声と顔に出た。紗良さんもその反応に、やっぱり、と一呼吸する。
「……今日はクリスマス・イブだっけ。ちょうど1年になるのね」
んーっと背筋を伸ばすように背もたれに背中を当てる。一伸びした後、左
そして、目線を横に
♦ ♦ ♦ ♦
(紗良って、絶対男好きだよねー……)
(男の前でわざと上目遣いするしさー……)
(三浦くん、紗良のこと好きみたい……)
(ハァ? 何それ! ホントだったらマジムカつくんだけどー……)
部活終わりに立ち寄ろうとした教室。入る前に伝わってきた悪口。中学2年生の女の子にとって、親友だと思っていた子たちの自身への陰口は心に影を落とすほどのキズを残した。それからかな、女の子と心の底から笑い合えなくなったのは……
「なぁ、ちょっと俺の部屋で休もうよ」
「えー…………」
「ほら、この時間なら親いないからさぁ。なぁ、いいだろ?」
「別にいいけど……」
高校時代。思春期も手伝って、恋人といる時間が多かった。サッカー部で人気の
でも、いつも同じ別れ方になる。付き合いだした当初は、いい彼氏を演じてくる。優しく心地よく
そこがその恋愛のピーク。純金に見えた金属はメッキ。自分に酔って、メッキでコーティングしていることすら気づかないブリキの人形。自慢する話も無くなり、未来に
アナウンサーになりたい。それは小学生の頃から
2人家族になった数日後の夜、
それからは家事を手伝い、勉強に
母を守る。それとはもう1つ他に、心に
それは父のこと。急に家を去った父。好きだった父に私は置いていかれたのではないかと、心の深いところで思い続けていた。
その父を見返したい。貴方が連れて行かなかった娘は、こんなに立派になったんだから。見る目ないね。こんな娘の父親を辞めるなんてさ! そう
そんな思いが、気づけばアナウンサーになるという目標への明確な動機づけになっていた。
そんな心境もあり、大学生になるとバイトを変えた。そこで見つけたのが真ん丸とした白猫がカウンターで眠る喫茶店だった。コーヒー豆を
大学生活も勉学は
しかし、異性関係だけは変わらなかった。どうせまた……、そんなことを思いながら告白を受けては、相手に嫌気が刺して別れ、自己嫌悪に
そんなときに喫茶ル・シャ・ブランにバイトで入ってきたのが生田颯太くんだった。最初は、年下で感じのよい男の子という印象でしかなかった。真面目で頑張り屋、でも冗談を言って場を
でも、その印象を変えたのは彩ちゃんが入ってきてから。颯太くんの目が変わった。普段はいつも通りのいきいきとした目をしてる。でも、彩ちゃんがお客様のオーダーを間違えてしまった時、カップを落として割ってしまった時、気持ち良さそうに寝てるモカを
失くしたもの。それを目の前にいる男の子が持っていると知ったとき、胸が
でも、
だから、あの雨の日。バイト帰りの雨宿り。自動販売機の光が反射する彼の目を見て、我慢しきれずに言っちゃったの。
「ねぇ、颯太くん。私たち付き合ってみよっか?」
自分から告白したのって初めてだったから、ドキドキした。彼が
でもね、彩ちゃんには悪いとは思ったんだ……。それでも、私は欲しかったの。失くしたものがどうしても。
颯太くんと恋人になれて、最初は浮かれてた。やっとあの目を私に向けてくれるってね。2人で出かけて、ご飯を食べて、お酒を呑んで、手を
付き合いだして2ヵ月ぐらい過ぎた頃かな。バイトの休憩中に匡毅くんから相談されたんだ。彩ちゃんのことが気になるってさ。そのときは特に何も思わなかったの。匡毅くんはしっかりしてて、気のいい奴だけど、彩ちゃんとは付き合えないだろうなぁ、て
だから、彩ちゃんと付き合うことになったって聞いたときは驚いちゃった。そして、ハッとした。
欲求と罪悪感の
そこで迎えた去年の今日クリスマス・イブ。ちょっとした
待ち合わせの16時の1時間前に店内の奥の方の席をキープして、帽子と伊達メガネで変装する。ちょっとワクワクしたかな、探偵みたいって。
30分後に現れた彼。席に着くと、真剣にスマホと
待ち合わせ時間になるとキョロキョロ見渡す彼。視線の死角になる柱にそっと身を隠す。チラッと見えた彼の目は、望んでいる輝きを
10分、20分、30分……。時間の経過と共に増える着信とメッセージ通知と罪悪感。しかし、つどつど見渡すその目を見る度、『違う……』と心で独り言。
私には向けられないのかもしれない……
ネガティブな思考は、颯太くんと彩ちゃんへの罪悪感からこぼれ出た
今更、彼の前に出れない……
私が映る彼の目が、望んだ輝きを放つことはない……
そう解かってしまったとき、私はスマホを手に取った。チラッと見た最後の彼の目を見て、決意を行動に移す。
【突然だけど他に好きな人が出来て、その人と今日は過ごすから会えません。これで終わりにしましょう。ごめんなさい】
もう彼の前に姿を見せることはできない。
肩を落とす彼の後ろを通り、誰にも聞こえないようにか細く震えた声で
「ごめんなさい。さようなら、颯太くん……」
♦ ♦ ♦ ♦
白い空。黒い影。昼下がりの
「彩ちゃんは……、どうするの?」
去り際に言われた紗良さんの言葉に返事はできなかった。色の異なる感情が乱気流のように体の内で渦巻いていて、自分でも答える言葉が出てこなかったからだ。「どうするの?」の問いは意地悪で嫉妬が含まれているのが分かる。会いにきた理由を聞かないのを合わせれば、紗良さんが私の心の内を見透かしていたのだろうと複雑な気持ちになる。
弱さ、怒り、罰、欲求……。ふと当時の傷ついた颯太の顔を思い出す。その顔は私の気持ちを暗い色にさせた。そんなにも紗良さんへの想いが深かったのかと、今でも胸に刺さり続けている棘がズキズキする。
天体衝突、
でも、こんな事態にならなければ気づかなかったことがある。
私に与えられた罰が
ありがとう。
彩はハッと我に帰る。匡毅のことが脳裏に浮かぶ。
解っている。解っているけど。開きかけた奥の奥にある引き出しに、震える手を
駅のホームに電車が停まる。導くように開かれたドア。知らない駅から、行かなきゃならない場所へと繋ぐ非情な金属体。
胸に帯びた微熱と想いを自覚しながら、一歩を
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