§ 3ー7 10月20日② 友情 ー軋轢ー
「今後どぎゃんすーとね?」
「とりあえず、これからでも受け入れてくれる企業がないか探してみるから」
電話で話す母の声は、匡毅を帰りたくないと思う心に
小学3年生から始めた野球は高校3年の夏の県予選大会準優勝で一応の区切りをつけた。それまで目一杯に好きなことをやってきたツケは大学受験失敗として形を成した。元から浪人する覚悟があった分、ショックは予想を超えるほどのものではなかったが、家族や田舎の近隣住人の親戚みたいなコミュニティの気遣いや
実家は澄んだ空気と山と川と農業・畜産が盛んな地域の大地主で、玉川匡毅はその家の長男として生まれた。姉の
1年の猛勉強もあって横浜にある国立大学の経営学部に合格し、それに
優しく接してくれる気の知れた人たちに少しでも自分の心の内を解ってもらいたい。それほど心を許せる相手がいたことからこそ、無意識にネガティブな心情が表面にふいに出てきてしまったのであった。
◆ ◆ ◆ ◆
--神奈川県横浜・山下公園--
そんな中、スマートフォンにメッセージが入る。彩からだ。
【匡毅さん、山下公園に寄っていくって】
山下公園。中華街のすぐ南側だ。店を出て匡毅を追いかける前に彩がメッセージを送っていたから、20分程度探し回っていたことになる。
【わかった。行ってみるよ。ありがとう】
返信したメッセージがすぐに既読になったのを確認してスマートフォンをポケットに仕舞った。変わらぬ人混みに、また脚を
…………
喫茶ル・シャ・ブランでバイトし始めたとき、玉川匡毅と初めてあったのは元彼女の成城紗良の紹介だった。
「あ、はじめましてだよね? こちらは玉川匡毅くん。同じ大学の1つ後輩なんだ。いい奴だから仲良くしてあげてね」
バスガイドの観光名所案内みたいな
まさか、握手なの? と恐る恐る出した手をガッシリと
歳の近い男性スタッフはいなかったのもあり、また匡毅が面倒みがいいのも相まって、気づけば敬語も抜けてため口になっていた。バイトの休憩中に会えば、おもしろ動画を一緒に楽しみ過ぎて店長に怒られることもあった。初めて飲み屋に行ったのも、仕事終わりに匡毅に誘われてだった。休みの日にバッティングセンターに行き、その後に公園でキャッチボールをしたときに「彩ちゃんと颯太って恋人じゃなかと?」って聞かれたときは、暴投して匡毅が取れない球を返球してしまった。ライブに匡毅と彩の2人で応援に来てくれた時、素直に嬉しかった。
そんな匡毅だから……
…………
山下公園の中央口から園内に入ると、中華街ほどではないが多くの観光客が夜景を楽しみに
颯太は首を振り匡毅の姿を探す。暗さ、広さ、人波。一瞬、途方に暮れる。見当たるはずもない。スマートフォンを取り出し、何度目かの発信をするが先ほどと同様にコール音と留守番電話サービスの案内音声が流れるばかり。眉をひそめて電話を切る。『こんなときは海だろ!』と根拠のない当たりをつけ180ある長身の男の人影を探しながら早歩きする。
海側の遊歩道。海風は季節の変わり目を知らせるように冷涼な空気を運んでいた。そんな
手すりに手を置き海を
公園内北西部にあるレストハウスまで来て、折り返してバラ園方向に向かう。見落としがなかったかと集中を切らさずに目を
係留された氷川丸への
「匡毅!」
こちらに頭の向きを変え、颯太の姿を瞳に映す。
「なんだ、颯太か……よく、ここがわかったな」
「……彩から聞いたから」
声を掛けて気づく。何を話そうかを考えていなかったことを。それを察したのか、匡毅が立ち上がった。
「颯太は何飲む? ちょっと座って話しよっと」
「じゃぁ、コーヒーで」と答えると、「座っとき」と言って並んだ自動販売機に向かった。ベンチに座ると、目の前には
「なぁ、知ってるか? 颯太。この船のこと」目の前の巨大な船に匡毅は顔を向ける。
「船って氷川丸だろ?」右に
「この船ってさ、戦前から残る唯一の日本の貨客船なんだよ。戦時中は病院船として運用されて、その後はまた太平洋を行き来したんだと。でも、その後はここに係留されて博物館船として
「すごいよな。こんだけ大きな物が何十年とあり続けられるんだもんな」
「……この船は、今どんな気分なんだろうな」
「気分? う~ん……、解体されてもおかしくないのに、こうやって海に浮かんでられて満足してるんじゃないかな?」
「ふっ、颯太らしいな。でも、おれはそうは思えないよ。この船は役目を果たせないもどかしさを
氷川丸を見つめながら語る匡毅の声には、どこか体の芯に響くものがあった。氷川丸の歴史を悲観的に
「氷川丸だって、一度、戦時中に病院船として運用されたのは不本意だっただろうけど、また太平洋を運航していたんだろ? 思いもよらないことが起きても、
「不本意なことか……。おれにとってはあのパンドラがそうなのかもな。おかげで未来が変わってしまったんだからな。でもな、颯太。あの船みたく、戻ることはできないんだよ。おれは就職できなかったら、実家に戻って家業を
初めて聞いた話。瞳孔が広がり、顔を匡毅に真っ直ぐ向ける。
「え!? な、実家に戻るって? 家業を継ぐってなんだよ!?」
「あぁ。熊本の自然だけが取り柄の田舎町だよ。そこで牛の世話したり、農作業したりさ。就職してたとしても、いづれは家を継ぐことになってたからさ。それが少し早くなっただけかな。ははは」
その今を諦めて受け入れようとする言い草に、颯太は同情に近い
「彩は? 彩は、どうするんだよ!」口調が強くなる。
「彩?」と何気なく答える。
「彩はなんて言ってるんだよ!」心の形が乱れ、浮かぶ言葉を口にする。
「まだ言ってない……。実家に戻るのが決まったわけじゃないからさ」視線を
「匡毅!」立ち上がり、歩み寄って見開かれた眼で、肩を落としている信じた友を
「わかってる……。わかってるけど、しょうがないんだよ……」指を交互にして握られた
「匡毅! お前はっ!!」声と同時に胸ぐらに
「彩のこと、そんないい加減に思ってるのかよ!」
「匡毅だから、おれは……」ハッと我に帰り口を
「そんなんだから……。お前がそんなんだからさ、おれはよ!」匡毅は胸ぐらにある手を振り払う。今度は颯太に
「おれ? おれがなんだよ!」匡毅の眼に一瞬
バコッ!!
匡毅の右拳が顔面に飛んできた。思い切り振りきられた拳の威力に颯太は後ろに飛ばされ、2・3歩
「颯太! お前にとって彩ってなんなんだよ!」倒れた颯太を見下ろしながら早口でまくし立てる。
「…………」
「クソ! なんでなんだよ! どうやっても、どうしても彩がお前にするような顔をおれには見せてくれないんだ! いつも、どこか遠慮のある笑顔なんだよ! でもさ、いつか今のまま付き合っていければ自然な表情をしてくれると思ってたんだよ……。なのに、なんでだよ……。なんでなんだよ!!」見えない涙を流しながら、
「匡毅…………」殴られた痛みより、匡毅の心の声に
「颯太!!」
騒ぎに遠巻きに集まっていた野次馬たちの間から走り寄ってきた彩の声に匡毅も颯太も目を向ける。
「チッ」と舌打ちをする匡毅の視線は
「大丈夫?」と心配する彩の目を颯太はまっすぐ見ることができなかった。匡毅の前であることも相まって、「ああ……」とあえて乱雑に差し出されたハンカチを受け取る。
ふと表情を一瞬緩ませてから立ち上がった彩は振り向く。匡毅を見る。1歩だけ近寄る。
「匡毅さん……」
後ろ姿で彩の表情が見えなかった。ハンカチで顔を抑えながら、重く感じる身体を動かし、なんとか立ち上がる。
「……彩、やっぱりお前は……」
匡毅の瞳は、雨宿りしている野良猫のような
「いや、ごめんな。こんなことになって……。颯太もすまなかった」
匡毅は目を
「ちょっと頭冷やして帰るよ。悪いが、先に行くな」
さっと体を
物悲しげな冷たさを
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます