§ 3ー7  10月20日② 友情 ー軋轢ー



「今後どぎゃんすーとね?」


「とりあえず、これからでも受け入れてくれる企業がないか探してみるから」


 電話で話す母の声は、匡毅を帰りたくないと思う心に望郷ぼうきょうの念をいだかせた。熊本県の実家から進学のために横浜に来て3年半。故郷の方言に標準語で返すほどに、こちらの生活に馴染なじんでしまった。


 小学3年生から始めた野球は高校3年の夏の県予選大会準優勝で一応の区切りをつけた。それまで目一杯に好きなことをやってきたツケは大学受験失敗として形を成した。元から浪人する覚悟があった分、ショックは予想を超えるほどのものではなかったが、家族や田舎の近隣住人の親戚みたいなコミュニティの気遣いやあわれみは予想以上につらかった。


 実家は澄んだ空気と山と川と農業・畜産が盛んな地域の大地主で、玉川匡毅はその家の長男として生まれた。姉の美穂みほとの2人兄弟。21世紀の今の世だが家長制度は引きがれており、長男として生まれた以上、家の農産業の後を継ぐことは覚悟していた。未来の地域の発展の期待を込めて、大学進学とその後しばらくの社会生活を息子に経験させようとした父の思惑は向かい合わざる負えない過疎化に対する大地主としての責務だったのだろう。もちろん、思春期特有の反発もした。その中で、父なりの息子への思いやりを持って接してくれていることを知り、いつしか同じ思いを持つようになっていた。


 1年の猛勉強もあって横浜にある国立大学の経営学部に合格し、それにともない上京。就職も食品メーカーに決めていた。仕事で得た経験や知見を故郷に還元するためである。多少の紆余曲折うよきょくせつはあったものの自分の思い描いていた通りに生きてきた。そう生きてきたはずだった。


 突如とつじょ現れた天体。白き女王から黒き魔女に姿を変えたパンドラが彼の未来予想図を他人勝手に塗りかえてしまった。家族の思い、故郷への責務、明るい未来、その未来のかたわらにいてくれると思えるようになっていた彩の姿、その全てを奪われたぶつけようもないいきどおりやみじめさを自分でも飼い慣らすことなどできようもなかったのである。


 優しく接してくれる気の知れた人たちに少しでも自分の心の内を解ってもらいたい。それほど心を許せる相手がいたことからこそ、無意識にネガティブな心情が表面にふいに出てきてしまったのであった。

 



   ◆    ◆    ◆    ◆




--神奈川県横浜・山下公園--



 きらびやかな中華街は夜が深まることなど気に留めずににぎわっている。乱数のような人々の動きの隙間をって小走りで周囲に気をくばる。匡毅が落ち込んで余裕がないのは分かっていたつもりだった。だが、周りが見えないほど態度にあらわれるのは颯太にとって初めてのことだった。さすがに心配になり、匡毅が店を出てすぐに追いかけたのだが見つけることが出来ず、店の周辺を当て所なく探し回っていたのである。


 そんな中、スマートフォンにメッセージが入る。彩からだ。


【匡毅さん、山下公園に寄っていくって】


 山下公園。中華街のすぐ南側だ。店を出て匡毅を追いかける前に彩がメッセージを送っていたから、20分程度探し回っていたことになる。


【わかった。行ってみるよ。ありがとう】


 返信したメッセージがすぐに既読になったのを確認してスマートフォンをポケットに仕舞った。変わらぬ人混みに、また脚をみ出した。


 …………


 喫茶ル・シャ・ブランでバイトし始めたとき、玉川匡毅と初めてあったのは元彼女の成城紗良の紹介だった。


「あ、はじめましてだよね? こちらは玉川匡毅くん。同じ大学の1つ後輩なんだ。いい奴だから仲良くしてあげてね」


 バスガイドの観光名所案内みたいな仕草しぐさで紹介される。颯太じぶんより3か月ほど先にバイトを始めた長身で精悍せいかんな男は「はじめまして。これからよろしくな」と手を差し出してきた。

 まさか、握手なの? と恐る恐る出した手をガッシリとつかまれた。暑苦しい人なのかな、というのが第一印象だった。

 歳の近い男性スタッフはいなかったのもあり、また匡毅が面倒みがいいのも相まって、気づけば敬語も抜けてため口になっていた。バイトの休憩中に会えば、おもしろ動画を一緒に楽しみ過ぎて店長に怒られることもあった。初めて飲み屋に行ったのも、仕事終わりに匡毅に誘われてだった。休みの日にバッティングセンターに行き、その後に公園でキャッチボールをしたときに「彩ちゃんと颯太って恋人じゃなかと?」って聞かれたときは、暴投して匡毅が取れない球を返球してしまった。ライブに匡毅と彩の2人で応援に来てくれた時、素直に嬉しかった。


 そんな匡毅だから……


 …………


 山下公園の中央口から園内に入ると、中華街ほどではないが多くの観光客が夜景を楽しみに散策さんさくしていた。見頃を迎えたバラ園や海には歴史ある豪華客船の氷川丸が係留けいりゅうし、その先にはライトアップされたベイブリッジや大観覧車、ランドマークタワーなどが眺望ちょうぼうできる。


 颯太は首を振り匡毅の姿を探す。暗さ、広さ、人波。一瞬、途方に暮れる。見当たるはずもない。スマートフォンを取り出し、何度目かの発信をするが先ほどと同様にコール音と留守番電話サービスの案内音声が流れるばかり。眉をひそめて電話を切る。『こんなときは海だろ!』と根拠のないをつけ180ある長身の男の人影を探しながら早歩きする。


 海側の遊歩道。海風は季節の変わり目を知らせるように冷涼な空気を運んでいた。そんな些細ささいな変化を気に留める余裕がないほど、颯太はただただ親友の姿を見つけることに必死になっていた。

 手すりに手を置き海をながめてないか。ベンチに座りぼんやりしていないか。ふらふらと流れに身を任せて歩いていないか。楽しげな群衆の中、一人緊張した面向きで目を皿にして捜索そうさくする。

 

 公園内北西部にあるレストハウスまで来て、折り返してバラ園方向に向かう。見落としがなかったかと集中を切らさずに目をらす。そして、見覚えがあるシルエットが目に入る。

 係留された氷川丸への桟橋さんばしの入口の自動販売機が並ぶ向かいのベンチ。ブラックの缶コーヒーとともにポツンと座る後ろ姿。それだけで確信する。匡毅だと。



「匡毅!」


 こちらに頭の向きを変え、颯太の姿を瞳に映す。


「なんだ、颯太か……よく、ここがわかったな」


「……彩から聞いたから」


 声を掛けて気づく。何を話そうかを考えていなかったことを。それを察したのか、匡毅が立ち上がった。


「颯太は何飲む? ちょっと座って話しよっと」


「じゃぁ、コーヒーで」と答えると、「座っとき」と言って並んだ自動販売機に向かった。ベンチに座ると、目の前には壮麗そうれいな氷川丸が停泊ていはくしている。何をどう話したらよいかと船をぼんやり見ながら脳を働かせていると、「ほい」と差し出された甘めの缶コーヒーを受け取る。渡し終えると匡毅も横にスッと座る。


「なぁ、知ってるか? 颯太。この船のこと」目の前の巨大な船に匡毅は顔を向ける。


「船って氷川丸だろ?」右にならえで颯太も顔を向ける。


「この船ってさ、戦前から残る唯一の日本の貨客船なんだよ。戦時中は病院船として運用されて、その後はまた太平洋を行き来したんだと。でも、その後はここに係留されて博物館船としてとどまり続けているんだよな……」


「すごいよな。こんだけ大きな物が何十年とあり続けられるんだもんな」


「……この船は、今どんな気分なんだろうな」


「気分? う~ん……、解体されてもおかしくないのに、こうやって海に浮かんでられて満足してるんじゃないかな?」


「ふっ、颯太らしいな。でも、おれはそうは思えないよ。この船は役目を果たせないもどかしさをかかえながら、ここで止まらざる負えない生涯を送ってるんだよ。人を乗せて太平洋を渡るために産まれてきたんだ。最後のその瞬間まで、その役目をまっとうしたかったんじゃないかな」


 氷川丸を見つめながら語る匡毅の声には、どこか体の芯に響くものがあった。氷川丸の歴史を悲観的にとらえ、自分を重ねている。その心模様に颯太は慎重に言葉を選ぶ。


「氷川丸だって、一度、戦時中に病院船として運用されたのは不本意だっただろうけど、また太平洋を運航していたんだろ? 思いもよらないことが起きても、あきらめないことが大事なんじゃないかな」


「不本意なことか……。おれにとってはあのパンドラがそうなのかもな。おかげで未来が変わってしまったんだからな。でもな、颯太。あの船みたく、戻ることはできないんだよ。おれは就職できなかったら、実家に戻って家業をぐことになるからさ……」


 初めて聞いた話。瞳孔が広がり、顔を匡毅に真っ直ぐ向ける。


「え!? な、実家に戻るって? 家業を継ぐってなんだよ!?」


「あぁ。熊本の自然だけが取り柄の田舎町だよ。そこで牛の世話したり、農作業したりさ。就職してたとしても、いづれは家を継ぐことになってたからさ。それが少し早くなっただけかな。ははは」


 そのを諦めて受け入れようとする言い草に、颯太は同情に近いあわれみをいだいた。しかし、それ以上にどうしても聞かざるを得ないことが、トクンッと高鳴る鼓動と共に思考を支配した。


「彩は? 彩は、どうするんだよ!」口調が強くなる。


「彩?」と何気なく答える。


「彩はなんて言ってるんだよ!」心の形が乱れ、浮かぶ言葉を口にする。


「まだ言ってない……。実家に戻るのが決まったわけじゃないからさ」視線をらして答える。


「匡毅!」立ち上がり、歩み寄って見開かれた眼で、肩を落としている信じた友をにらみつける。


「わかってる……。わかってるけど、しょうがないんだよ……」指を交互にして握られたてのひらは、きしむほどの力が込められて小刻みに震えてることに颯太は気づかなかった。


「匡毅! お前はっ!!」声と同時に胸ぐらにつかみ掛かる。

「彩のこと、そんないい加減に思ってるのかよ!」おさえてきた感情が空気を激しく振るわせる。

「匡毅だから、おれは……」ハッと我に帰り口をつむぐ。どの口でこれより先の言葉を言えばいいのかわからなかった。絶対に言わないと決めたこと。


「そんなんだから……。お前がそんなんだからさ、おれはよ!」匡毅は胸ぐらにある手を振り払う。今度は颯太に荒々あらあらしい感情の眼を向ける。


「おれ? おれがなんだよ!」匡毅の眼に一瞬ひるんだものの、ヒビが入り割れた器から流れ出る感情は抑えられなかった。その中にあった『負けたくない』という隠した思いが、匡毅の視線にそむくことを許さなかった。そのときだった。


 バコッ!!


 匡毅の右拳が顔面に飛んできた。思い切り振りきられた拳の威力に颯太は後ろに飛ばされ、2・3歩こらえたが倒れ込む。


「颯太! お前にとって彩ってなんなんだよ!」倒れた颯太を見下ろしながら早口でまくし立てる。


「…………」


「クソ! なんでなんだよ! どうやっても、どうしても彩がお前にするような顔をおれには見せてくれないんだ! いつも、どこか遠慮のある笑顔なんだよ! でもさ、いつか今のまま付き合っていければ自然な表情をしてくれると思ってたんだよ……。なのに、なんでだよ……。なんでなんだよ!!」見えない涙を流しながら、うったえるような眼で匡毅は心の内を吐き出す。


「匡毅…………」殴られた痛みより、匡毅の心の声に呆気あっけにとられた。無意識に焦点がずれてぼやけた視界では、彩の表情の微々たる違いに気づけなかった。そう、というその1点が颯太の胸をギュッとめ付ける。



「颯太!!」


 騒ぎに遠巻きに集まっていた野次馬たちの間から走り寄ってきた彩の声に匡毅も颯太も目を向ける。

「チッ」と舌打ちをする匡毅の視線はうつむく。そんな匡毅を一瞥いちべつし、颯太にけ寄った彩はかばんから取り出したハンカチをしゃがんで差し出す。

「大丈夫?」と心配する彩の目を颯太はまっすぐ見ることができなかった。匡毅の前であることも相まって、「ああ……」とあえて乱雑に差し出されたハンカチを受け取る。

 ふと表情を一瞬緩ませてから立ち上がった彩は振り向く。匡毅を見る。1歩だけ近寄る。


「匡毅さん……」


 後ろ姿で彩の表情が見えなかった。ハンカチで顔を抑えながら、重く感じる身体を動かし、なんとか立ち上がる。


「……彩、やっぱりお前は……」


 匡毅の瞳は、雨宿りしている野良猫のようなうれいを帯びていた。


「いや、ごめんな。こんなことになって……。颯太もすまなかった」


 匡毅は目をらして、心を無理やり白い絵の具で上書きして平静をよそおおうとしている表情をする。かける声が出てこなかった。


「ちょっと頭冷やして帰るよ。悪いが、先に行くな」


 さっと体をひるがえす。歩き出す。颯太おれと彩を置いて一人で違う方向に向かう。それはこれから先の未来を暗示していたのだろう。



 物悲しげな冷たさをはらんだ海風が季節の変わりをげていた。


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