ババアが無双するだけのお話

牛尾 仁成

ババアが無双するだけのお話

 門が開く。


 頑丈な内郭の門が、ガラガラと轟音と共に持ち上がっていった。


 扉の先には老婆がいる。


 布に包まれている、と表現してしまえるほど小柄で、纏う装束が明らかに余っている。白い胴着と赤い袴は赤門宗の巫女が着る服である。頭からかぶるように羽織る赤茶けた聖布は高位の巫女であることの証であった。


 戦には作法というものがある。


 位の高い者が、衛兵を伴わず武器も持たず、丸腰で軍団の前に出てくることは降伏を願い出るための行為である。


 帝国軍はそう考えた。この瞬間までは、である。


 老婆が祈る様にゆっくりと枯れ枝の様な手を持ち上げ、顔のまで交差させる構えをとる。ひゅっと腕を振り下ろすと、空気を裂く音がした。


 どさっと、歩兵隊長が倒れ込んだ。


 鎧で兜で固めた中の、小さな隙間であるその首に寸分違わず小さな刃が突き刺さっていた。


 周囲の歩兵がその事実を認識する前に、既に老婆は動いていた。


 帝国兵の前に躍り出た老婆は素早く両の腕を閃かせると、熟した果実がもぎ取られるように前列の兵士たちの首が宙を舞う。長い袖から、白熱している刃が覗いていた。


「おや、もう戦争は終わりかと思ったのかい?」


 老婆の一言で、帝国兵は彼女が降伏の使者ではないことを悟り、一斉に剣を抜き、槍を構えた。


 だが、その動きは老婆には緩慢に見えた。遅すぎて蚊が止まる、と内心ため息を吐きながら、白刃を振う。


 飛び掛かろうとした歩兵の頭より高く飛び上がった老婆が消えた。その様は例えるなら猛禽類が獲物に飛び掛かるようであった。


 切り裂かれた鎧や盾ごと、人体がゴミのように吹き飛んだ。


 敵陣深くに切り込んだ老婆の前にひしめいていた重装歩兵たちは木偶のまま地に倒れ伏し、二度と動くことは無い。


 突き出された槍を老婆は半歩踏み込んで躱すと、それと同時に相手の鎧の隙間に刃を潜り込ませた。振り下ろされる剣は虫を払うかの如き動きで弾き、反対の刃で胴を両断する。


「何をしているっ! たった一人だぞ! 囲んで押し潰せ!!」


 乱れた戦列を立て直し、帝国軍が一斉に襲い掛かってきた。これこそが帝国重装歩兵の恐るべき突進である。体格の大きなものとそうでないものが交互に組み合わせて盾を構え、隙間ない盾の壁を作り出してそのまま敵陣に突っ込んでいく。精強でならす重装歩兵たちの集団戦術は、戦場で敵においては恐ろしい被害を出し、味方においては絶対の勝利をもたらしてきた。今にも朽ちてしまいそうな老婆などに受け止める術は無い。


 老婆は歩兵団の突撃の前に右腕を深く左側に溜め、薙ぎ払うように反対側に振りぬいた。


 赤い閃光が戦場を瞬き、強烈な熱線と酸素が蒸発する音がこだますると、突撃した歩兵たちの足がバラバラと地面に転がっていた。上半分が熱線によって焼き払われたのだ。


 衝撃的な光景だが、帝国の士気もまた落ちてはいない。空間が開けたことを逆手に取ることを瞬時に判断できる将兵はまぎれもなく歴戦の戦士であった。


「――っ! 矢だッ! 矢を射かけよ! 弓兵用意、発射ッ!」


 接近戦での戦闘が不利ならば、遠間から討ち取るのみ。兵法の常道である。空を覆い尽くさんばかりに黒い雨が降り注いだ。受ければ針鼠になることは避けられない。


 絶体絶命の中、老婆の顔は獰猛な捕食者の笑みをたたえていた。


 戦場全てを包むほどの光が老婆から発せられる。帝国兵の頭上目掛けて解き放たれた光は一瞬だけ輝き、爆ぜた。


 黒い雨は赤い雨となり、嘆き苦しむようにはらはらとくねりながら、塵となって大地に落ちる。紅い光の奥に老婆は佇んでいた。


「ほれ、どうした坊主ども。お前たちの大好きな戦争を続けようじゃないか」


 小さな戦鬼がずしずしと歩を進める。それに合わせて帝国兵の足が下がる。


 戦場は最早たった一人の老婆に支配されていた。


 赤い閃光が迸れば、兵たちは消し炭も残さず消失し、白く輝く刃が舞うように揺らめけば歩兵の肉体でパズルのピースが出来上がった。そして、紅蓮の炎が吹けば戦場は一瞬のうちに悲鳴も聞こえぬ地獄と化す。


 幾多の戦場を駆け、修羅場を潜り抜けてきた帝国兵たちもこのような地獄は知らなかった。もはやこれは戦争とは言えない、一方的な虐殺である。戦う戦士から被捕食者へと変わってしまった者達は、戦場にいることができない。一人、二人とこの地獄から逃げ出し始めると、帝国軍はあっけなく崩壊した。


 まともな死体が一つも残らぬ戦場で老婆はつまらなさそうに呟いた。


「もう少し遊んでやっても良かったんだが……まァ、後の楽しみができたということにしておこう」


 自分を納得させるように一つ息を吐くと、老婆は焼け焦げた戦場を後にして、内郭へと帰還した。


 統一歴984年、第二次レジストラ城塞攻防戦は帝国の撤退により終結。内郭攻撃の際、帝国はこの戦いで投入した全兵力の5割を損失するという大打撃を被った。これ以降、城塞周辺は赤門宗が治めることとなり、この場所は帝国との前線を支える一大拠点となる。


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ババアが無双するだけのお話 牛尾 仁成 @hitonariushio

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ